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わかったわかった

すぐ忘れちゃうから書き留めておく。

数ヶ月前なんだけど、知人の漫画家さんと話をしてて、

「なにはともあれ、集中して漫画を描きたいだけなのよね」

って話をしてたんですよ。その話に、私は「あーわかるー、私も!」って気軽に相槌を打っていた気がする。言葉にするとシンプルなんだけど、アレだ。アレが核だ。そして、私が「深く潜りたい」って言っている時は、核に戻りたい、と言う意味だ。

でも言葉にすると、単純に「集中して漫画を描きたいだけ」みたいな、割とシンプルで当たり前の言葉になるのよね。それはそうなんだけど、もっと深い意味がある。

加齢もあって集中しづらくなっている。深く潜ることが、昔ほど簡単ではない。この集中、にもいろんな意味があるんだよ。担当さんとタイミングや呼吸があったりするのも集中には大事な話だ。作家からは出版社や市場の様子は分かりづらいんだけど、そう言うのも関係あるかも。日々の食生活や、健康づくりとかも関係してくるかもね。商業漫画は売れないと仕事が来なくなっちゃうんだけど、売れる売れない以前に、集中できないんだよ。漫画は描けるんだけど、違う、もっと、深く潜りたい。あの、深く潜る快楽が欲しいの!みたいな感じなわけ。漫画にのめり込むための、いろんなタイミングが合って、ガツンと核に戻るかんじなのよね。

近代の自我は小さい。私は、もっと大きい私だ。その大きい私が、核に戻っていくかんじ。大きい私での漫画にめり込んでゆくかんじ。

そうそう、私もそれだ。それを言葉にすると、「集中して漫画を描きたいだけ」なのよ。

じゃあXやめろ、ってかんじだけど、そういうのでも無いのよ。今の私は、Xでは核に戻ってると思うの。わかる。あののめり込み方に、身に覚えがある。忘れてた、あのかんじ。隅々まで気が行き届いている感じだよ。指先よりもずっと先まで。Xでは私は深く潜っている。私はあの感覚を取り戻したくてやってたのか。ここのところ、「これは必要なことだったのか」と思うことが多い。

そして、ずっと後になって、「あの時、私、居場所が無い、居場所が無いって言ってたけど、本当は正しい場所に居たらしい」と思うことが多い。こういうの、死期が近いのかなあ。

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