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(日々)1日1回は、ここにいるからそこできることを/大人、久しぶりに膝から血を出す/餃子への渇望/ゆとり世代の体験と個性/おしゃれノート2500円/「これはなんですか?」/バイク社会と、脱スマホ時間の関係について

2023/1/31 1日1回は、ここにいるからそこできることを

『ロングゲームーー今、自分にとっていちばん意味のあることをするために』
目先の忙しさにとらわれずに、本当にやりたいことをするための「長期戦略」を立てようという主旨で、いろいろなコツが書いてある本だ。

この本のなかで、著者が「最低でも週に一回はニューヨークでしかできないことをする」というルールを決めたという話があった。
せっかくニューヨークで高い家賃を払っているのに、忙しすぎてほとんどニューヨークを満喫していないと気づき、この目標を決め、ニューヨークでやりたいことをリストをつくったのだという。

私も「ベトナムでしかできないことを、1日1回はする」をルールにしようと思う。

関係ないけど、Thinkers50って、こんなに戦略的に狙うんだと思ったのも、この本の感想。


2023/2/1  大人、久しぶりに膝から血を出す

道を歩いていたら、すべって転んだ。

この街の歩道は、でこぼこで、段差が斜めで、つるつるしている。

そのうえ、歩道でお店を開いたり、昼寝をしている人がいて、通れないことがよくあるので、定期的につるつるを通って車道に降りなくてはいけない。
そのつるつるで、すべったのだ。

膝から血を出したのなんて、4年前ウガンダでバイクにぶつけて以来だ。
恥ずかしいけど、誰かに労わってほしいなと思う自分もいたらしい(4年前はめちゃくちゃいろんな人が労わってくれた)。誰も見ていなくて、少ししょんぼり帰った。


2023/2/2 餃子への渇望

ホーチミンの高島屋に、はじめて行く。
シャトレーゼ、ロイゼ、ビアードパパ、麻布茶房、ユニクロ、風月堂。寿司屋にラーメン屋に焼肉屋。
日本のものがたくさんだ。

高島屋以外でも、これまで一風堂と丸亀製麺、温野菜、無印、マツモトキヨシを見た。

安心なようで、つまらないなという身勝手な気持ちを持っている在ベトナム日本人は、意外といるのではとも思う。
いや生活が長くなると、ありがたくなるのかな。今だって、いざとなれば、無印とマツキヨと丸亀製麺があるという安心感はすごい。

アンカラにいたときは、豚肉入り餃子への渇望感が高まり(わくわくと餃子を頼んだ中華料理店で、キョフテというトルコハンバーグを皮で包んだようなものを、ケチャップと出されたときの絶望を忘れられない)、帰国してからさらに餃子好きになった。

ホーチミンでそのくらいの渇望感は、生まれるだろうか。

2023/2/3 ゆとり世代の体験と個性

子供時代の五分間の体験というのは大人の一年間の体験より勝るんですよ。トラウマもそのときにできるわけでね、その時期にどれほど社会全体が知恵を絞って子供たちがいかにのびのびと生きられるようにするか。
個性とかなんとかいいますけど、個性なんてその子供時代の体験から育つもんです。初めから個性があるわけじゃないんです。


宮崎駿『出発点 1979〜1996』は、1996年の宮崎駿と筑紫哲也の対談をもとにした文章ではじまる。

日本を憂う中年2人に、お説教されているような感覚にもなるこの文章の一つ目の見出しは、「一番気にかかかるのは子供たちのこと」だ。

当時はじまろうとしていた、ゆとり教育批判もはいっているようだ。まさに当時子供だったゆとり第一世代としては、空虚な個性探しと、結局個性ってここにあったんじゃんという感覚に、身に覚えがあり、なるほどと思う。

私は、フィリピンに引っ越さなかったら、おそらく勉強ばかりして、個性になる体験を今ほどできなかった気がするので、海外での生活に価値を見出しがちなのかもしれない。

一方で、こう書いてみると、実際、体験の量と質は、海外だからどうというより、場所と時間に家庭(多くの場合、両親)がどう呼応したかという結果なのだろうなと気づく。


2023/2/4 おしゃれノート2500円

ホーチミン2区。高級住宅やコンドミニアムの多い地域にはじめて行く。
とてもセンスがよく、かわいい雑貨屋さんがある。

ベトナムっぽい花柄で、でもなんだかヨーロッパで売っていそうなノート。2500円越え。

かわいい! 帰国のときはここでベトナム土産買おうという気持ちと、ここでいいんだっけという気持ちの狭間。

見覚えある気持ちだなと思った。
そうだ、バリのウブドに行ったときに、似たようなことを書いていた。


2023/2/5 「これはなんですか?」

体験ということで、夫のベトナム語レッスンに同席させてもらう。

今日のキーフレーズは、
Cái này là cái gì?

「これはなんですか?」という意味だ。
厳密には、「このモノは、なんですか?」で、モノが果物のとき、動物のときなど、「この」に続くものによって、「cái」の部分が変わる。

ベトナム語は難しいと言われる所以の一端を知ったかんじだ。

直訳で「これはなんですか?」 を意味するĐây là cái gì?という言い方もあるが、あまり日常で使わないらしい。

What is this? 
This is a pen.

こんなの使わないよと言われる定番フレーズだけど、今は言いたくて仕方がない。

実際、アボカドの形も全然違ったりして(ズッキーニと日本で見るアボカドの間みたいな形)、

Trái này là trái gì?  (これはなんですか?)
Trái bơ.  (アボカドです。)
Huh!  (へぇ!)

という会話も成立してしまいそうなのだ。

2023/2/6 バイク社会と、脱スマホ時間の関係について

朝、近所にあるチェーンのコーヒー屋へ。
「アメリカーノ」を頼む。この国では、ベトナムコーヒーでないブラックコーヒーは、アメリカーノという。

ベトナムコーヒーはとても甘く、おいしいのだけど、在ベトナム日本人に、成功したダイエットの秘訣は「ベトナムコーヒーをやめたこと」と聞いてから、あまり頼まないようにしている。

この国のカフェはテラス席が多く、客もテラス席を選ぶ人も多い。ちょうど今は少し涼しい時期だからというのもあるかもしれない。

私も混ざって、テラス席に座ってみる。
景色はひたすら、絶え間なく通り過ぎるバイクだ。たまにココナツや子犬をいれたリアカーをひくバイクもある。

この国もスマホやSNSを手放せない人は多いようだけど(タクシーのながらスマホもとても多く、見るたびに『神経ハイジャック』を読んでいただきたいと思う)、さすがにバイク運転中は、皆両手はハンドル、目線は目の前の景色だ。

スマホもイヤフォンも使い放題の車や電車、徒歩での移動に比べて、一日の一定時間をバイク運転に集中すること。
これによるベトナムの人々の心理や生産性への影響は、なにかあるのではないだろうか。

そんなことを考える。ちなみに、テラス席にいる9組は全員、私を含めてスマホを握りしめていた。


サムネイル、noteのギャラリーから、ベトナムのカフェを素敵に描くクリエイターの方に出会えました。嬉しい。
(よく見たら、先週のタクシーのサムネと同じ方だった)

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