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吉原見返り柳を振り返らず

まわれば大門おおもんの見返り柳いと長けれど、お歯ぐろどぶ燈火ともしびうつる三階の騒ぎも手に取るごとく

「たけくらべ」冒頭のこの一文にいざなわれ、台東区は一葉記念館を訪れる。「一葉が生きた明治の東京」という展示会、往時の東京の様子を垣間見ることができた。その文学作品は、東京の風俗や街並みに紐づけられた生活と切っても切れないものだったとあらためて実感する。

そのなかに「たけくらべ」の未定稿が展示されていた。マス目の原稿用紙に書くのが常だったという一葉だが、マスを意識しながらも流麗で澱みない草書で書かれている。一葉が学んだ「萩の舎はぎのや」では、千蔭流ちかげりゅうという書にも習熟したという。普段、活字版でしか読めないが、こうしてみると、作品が真に迫ってくるように感じた。ところどころ削除したり、書き換えられている跡があり、苦心して推敲を重ねたことが伺える。

一葉の息遣いを吸い込んだ気になって表に出ると、吉原大門の見返り柳まで足を運んだ。秋晴れの人気ひとけのない日曜昼下がり、微風微光にそよぐ柳は、どことなく寂しげに優しく見えた。かつては多くの遊客が名残惜しく妓楼を振り返ったとの由来だが、私はしばらくしてから回れ右をして踵を返した。

見返ることなく帰路につくあいだ、不思議にも一葉の優美な真筆と柳の華奢な枝垂しだれとが重なってくるようだった。




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