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東京、至純の雪、二二六

一切の文化史が政治史と切り離されたまま、歴史など丸暗記しとけとしか教わらなかったのは今になってみると残念という他ないが、世界史選択だったにもかかわらず、日本史はポツダム宣言受諾と原爆投下まで一通り「暗記」した記憶がある。

そんな記憶はすっかり白紙になっている現在、思うところあり、夜な夜な二二六事件に関する書物を読んでいた。1936年、大雪の東京で起こった陸軍若手将校らのクーデターである。10代の頃、三島の短編小説「憂国」を手にしたことがあったが、ほとんど興味を引かず、むしろ史実を歪めた茶番ぐらいにしか思わなかった。それまではそれこそ歴史の教科書的な、何やら若者が不満を携え反乱を起こし、そこには北一輝が噛んでいたぐらいの知識しかなかった。しかし調べてみると、この事件は国を心から愛する青年らの愛国心に動かされたものだと知った。それはあっけない幕切れだったが、降り積もる雪の白さが青年らの純粋さを象徴している一方で、その挫折を一層悲愴に物語っているように思えた。

尊王攘夷を掲げた明治維新を範にして、天皇を中心とした統治を目指した陸軍若手将校らだったが、その背景には不況と凶作に苦しむ地方農民の困窮があった。とりわけ若い女性は身売りしなければならないほどだったという。その原因は軍上層部の私権自欲だとし、連中を討伐さえすれば再び天皇の治世になるだろうと若者らは考え、何度も計画を練っては変更し、ついに2月26日、テロは実行された。

しかしこの思いが天皇に伝わることはなく、むしろ信任していた重臣らが殺されるのを聞いて、天皇は激怒したという。挫折すべく挫折することはこの時点ではっきりしたが、それでも青年らは夢に描いた国の栄光に向かって突っ走っていった。

天皇を尊び、国の繁栄を願った彼らの、個を顧みない捨て身の大義が羨ましかった。社会の、そして個人のどこにも「義」を見つけられず、さらには自分のことを自分のためだけに努力することが一切できなくなっている私は、そうした大義を抱くことはあるいは幸せなことなのでは、とさえ思えた。その手段が、法と秩序の転覆を狙ったテロなる暴力だったにしても、である。

青年将校らは捕えられたのち、弁護人がつかない異常な裁判にかけられ、軍人として切腹を望んだことだろうが、首謀者のほとんどは銃殺による死刑に処された。先に「テロ」と記したが、むろん軍紀と法を遵守するのは法治国家日本では当然のことであり、その処刑もまた然るべきものである。そこに同情の余地はない。

彼らの思想的/理論的援護射撃をしたとされる北一輝もまた、死を宣告された。直接には関わっていなかったことが分かったのは、事件から数十年経ってからである。

「武士も食わねど高楊枝」とはいうものの、それでも私は彼ら青年の心に灯った「武士の情け」を見たような気がした。情けとはいっても、しかしそれはおそらく、当日に吹雪いた大雪の白さと重なり合う、若者らが抱いた「鈍たれど純で根あれ」なる至純高潔な感情だったのではなかったかと。

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