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『母は死ねない/河合香織』を読んで浮かんできたこと。


母になるとはどういう事なのか。

結婚したその日に夫婦になるわけではないように、子を産んだその日から母になるわけではない。
人の数だけ母親像があり、不思議と人は皆それが正しいと疑わない。

夫・妻という関係性も親・子という関係性も最初からあるわけではなく、ちょっとずつ糸を紡ぐように作っていくもの。

母も最初から完全無欠な母であるはずはなく、自分の母親像をベースとして、経験や知識で色づけ、形づくっていくものなのだろう。
そこに正解はない。

自分の持つ時間や想い全てを子供に手渡しすることが愛情ではないはずで、どれだけ時間を使っても築かれていかない関係もある。

自分自身が自立し、夢中になれる好きなものを見つけ、心身健康な母でいる事も、1つの愛情なのかもしれない。
責任を感じる事、後悔の念が浮かぶ事も愛情なのかもしれない。

だからこそ、誰がなんと言おうと、自分にとっての”愛情”や”母”を強く自分で持っておかないと、他の人の持つ愛情論や母親論と相対した時に揺らいでしまう。思い通りに行かない出来事が起きた時に揺らいでしまう。

母になる=女という人格を捨てる事、自分の持つ時間をできる限り子に捧げる事 ではないはずだ。

子の健康や幸せが第一である事は間違いない。
だけど、母は母の前に1人の女で、1人の幸せを望む人間である。

ふとどこかで、自分という人生ではない”母としての人生”を歩んでしまってると、私は思いたくない。
母である自分の人生を歩みたい。

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