小説(伊坂幸太郎 2)

「出てこいよ。隠れてないで、出てこいよ。出てこいよ。逃げないで、出てこいって。」
諦めて、居間に戻った後だった。気づくと背後に父が立っていて、ぼくははっと振り向く。目を充血させ、白髪混じりの髪を伸ばした父は、またいっそう痩せ衰えたようだ。口のまわりの髭にも、垢なのか食べ滓なのか、汚れが目立つ。
「おい、おまえ、父親に向かって、何言ってるんだ」父は目を見開いて、声を張り上げた。口から唾が飛び、生臭い口臭がぼくを突く。「偉そうな口利くんじゃない」
「出てこられるんじゃないか」
「何だ、その口の利き方は」
「部屋にこもっていて、何か変わるのかよ?隕石が消えるのかよ。逃げるなよ」
「おまえに、俺の気持ちが分かるか」と父は、ありきたりとも言える台詞を喚く。母はと言えば、食卓に座ったまま、こちらを見ていた。止めに入る様子はなく、疲労感を発散させているだけだ。
「あと三年だろ」ぼくは指を三つ立てる。「どっちにしろ三年なんだ。せいぜい、平和に暮らしたいと思わないのかよ」
「世界の終わりが平和なわけねえだろうが」
「世界をどうこうしろって言うんじゃないんだ。この家だよ。世界は無理でも、この家くらいは平和に暮らせるだろ。違うのかよ。そうしようって、父親なら思わねえのかよ」
「何も知らねえ奴が、生意気なこと言いやがって」
父は拳を握ると、腕を振り回してきた。僕は両肘を折り、防御の態勢を取る。前腕部の外側で、父のパンチを受ける。軽いパンチだった。まるで痛くない。音すら鳴らない。ぼくは顔を沈め、腕での防御をつづける。
(『終末のフール』より)

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