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愛と想いやりが今試されてるんだ

正月早々、こんなにも心苦しい気持ちになるとは。

報道にもある通り、石川県で大きな地震が昨日ありました。犠牲になられた方に哀悼の意を表すると共に、被災された方には心よりお見舞い申し上げます。


既視感の正体。


こんな正月でも、地震が起きて津波も起きてしまっている以上、有事であることには変わりは無いわけで。
それでも、この日本には「いつも通りのお正月」を過ごそうとしている人も必ずいる以上、私は声を大にして言いたいことがあります。


何も被害を受け無かった人に罪などない。 
誰かが不幸の時に、自分が幸せになっては
いけない理由なんてない。
必要以上に外野が気を病んでしまっては、
「不必要に心の災害」を広げてしまうばかり。

「いつも通りの生活」に後ろめたさを持つな。
貴方の「いつも通り」が、心が苦しい人にとって
救いになるかもしれない。

目を背けたければ背ければいい。
赤い言葉や青い言葉が氾濫した世界で
心を痛めるくらいなら。


この感情、私にとっては「初めての経験では無い」だけに、随分センシティブになってしまっていました。
それでも、同じ想いを抱いていた人が想像以上にいたことに、嬉しい気持ちにもなりました。

こういう気持ちになったきっかけこそ、13年前の震災の経験と、たった3~4年前のコロナ禍。直接的に被災したり罹患したりしてない身だからこそ、余計に心を蝕まれたんです。

世間――――――とりわけテレビや新聞はこれらの話題から逃げることを許さず、情報をシャットアウトすることなど到底不可能。
不安を煽る言葉や、罵詈雑言、悪意に満ちた言葉――――――伊波杏樹さんがそれらを「青い言葉」「赤い言葉」として定義しているもの。人はこの言葉の棘に傷つけられ、進むことも退くこともできなくなる。

私も、この地獄のような状況に囚われていた時期がありました。


「テレビを消せ!」そう叫んだ経験があったからこそ


実際、コロナ禍真っ只中の大学院生時代は、テレビのことで家族と揉めたりしました。

「もう嫌じゃ!!いい加減めざまし8を観るのをやめろ!!」

頭がおかしくなりそうだった。母と弟に殴り掛かるくらいの剣幕で、思いっきり叫んだ。
そう。テレビ消すだけでどれだけ私の心が救われていくのか。もう何も頭に情報を入れたくない。それだけだった。

そうすると。「青い言葉」や「赤い言葉」をシャットアウトしただけで徐々に心が落ち着いていく感覚。まるで全身の血流が滞っていたのが一気に解消されていくように。そして、真っ直ぐに「好きなこと」に向き合える感覚を取り戻した。

「この成功体験は、この先待ち受ける苦難でも
間違いなく活きる。」

この時に、上に示した境地に齢23にして到達したのです。


そして、今私ができることを考えた


「いつも通り」を届けることにした。

確かに、去年出逢ったいな民の人達の中にも「北陸地方に住んでいる人」や、「蓮ノ空の聖地巡礼している人」、「蓮ノ空の聖地に行こうとしていた人」がいた。

でも、私らが黙りこくって、何になる?


いつも通りを届けることで「心細くて辛い想いをしている人」の支えになるのなら、私はいつも通りい続ける。
少なくとも、私はこういう時に必ず心細くなるっていうのは自分でわかっていたから、自分が信じることをしただけ。
わざわざメッセージを寄越してくれなくてもいい。逆に不安になっちゃうから。また皆のもとへ会いに行ければそれでいい。そう信じてるから。


それでも襲いかかる心の不安。


でも、どうしても不安なことばかりが自分のTLを埋めつくしたり、テレビにも逃げ場所がないと感じる時もある。自分もこう言った手前、YouTubeに逃げようにも、家族はテレビを見たがるのでどうしても音漏れしてくるテレビの音に心がキツくなる。

それでも……


家族団欒で過ごしたい時間に、「出川の充電旅」が放映されたというのも私の心を救うには十分でした。おかげで正月早々に家族で揉め事になることなく、プレゼントしたカニにも喜んでもらえました。

その後、「地震報道から目を逸らしたい」というTL上の意見に噛み付くような人は、私の見る限り見受けられませんでした。結局、そういう風潮に動いているということ自体に一番ホッとしましたね。


結局「愛と想いやり」って

2年ぶりに逢いに行けたことへの安心感。
この経験があったからこそ……


結局「愛と想いやり」って、どうやって言語化すればいいんだろうって。
ずっと考えてきたんですけど、やっと言語化できたといいますか。地震があった時から一晩考えて。


どうすれば「愛と想いやり」になる
行動になるのか悩んでしまった時は、
「自分が相手の立場に立ち、されて嬉しいことか」
という基準で考えればいい。


こういう災害の時こそ、何をしたらいいのか分からなくなります。相手の心はそう簡単に読めませんし、この言葉を定義した(?)伊波杏樹さんにお手紙を送ろうにも……
結局、4年ぐらい悩みに悩んだ挙句、このタイミングで答えのうちの1つが出た気がします。悩んだ割には随分シンプルな答えですが、深読みしすぎたのかもしれません。

どのみち、この3~4年の激動の時代の経験を経て、「優しさ」という武器を各々で養ってきたんですから。さらには、物事を冷静に見れる能力も養ってきた。


世間的には、「愛と想いやり」を心がける人も
案外増えてきてるのかもしれない。
それは素直に喜ぶべきなんだ。
こんなにも世知辛い世の中なんだから。



2024年1月3日
中井みこと

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