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仲間でも友達でもない「人間関係」について

これ、前からずっと思ってたことなんですが。

友達
仲間
親友
心友
知り合い
顔見知り
ご近所さん

このどこにも属さない、でも大切なつながりの方たち。
そういう方たちを表わす”名称”がなくて困っています。

そもそも「友達」ってなに?
と広辞苑検索すると、
親しく交わっている人。とも。友人。朋友。

広辞苑

とあります。
この広辞苑にある言葉通りで受け取れば、私が指し示す人たちを表わす言葉になるので、何の問題にもならないのですが、辞書ではなく「ともだち」というその言葉が持っているイメージに違和感を感じるのです。

(こんなん書いて誰が共感してくれんだろ…
まぁでもずっと感じていたことだから書いてしまえ!)

例えば、仕事めいた事を一緒にしつつも、”友達”のようにお付き合いする人とかね?なんて表現すればいい?「仲間」…が今ある言葉の中ではしっくりくるけど、伝えたいニュアンスが「仲間」だと正確じゃない感じ。当然のことながら、こういうお付き合いをさせてもらっている人に「知り合い」はないだろう。
困った・・・

こういうことがよくある。

他にも、「ママ友」なんだけど「友達」でもあり、同じように子どもを育てえている「仲間」な所もあり、ひとくちに「友達」と括ってしまうのも何だか違う気がして。ただ、人に何かを説明する時には、「仲のいいママ友」と言う表現を使うが、完全に「仲のいいママ友という括りを超えた友達のような付き合い」と言った方が正確。
でも、長いw
困った・・・

そんなのばっかである。

おそらく、友達がたくさんいて交流を楽しんでいて、「友達」と表現することに何の躊躇もへったくれもない人は、こんなこと一々考えもしないだろうし、別にそれ「ともだち」って言っとけばええやん!と仰るだろう。
私だって、なれるもんならそうなりたい。
でも、私の中の何かが引っかかってしまうんだからしょうがない。そういうめんどくさい奴なんだから、こんな記事を書いてる。

ちなみに、もうお気づきだとは思うけど私は友達は少ない方だと思います。笑
(全く気にしてないけど)
(なぜなら、友達欲しくなったら、つくればいいと思ってるから。)

小学校も中学校も高校も大学もバイト先も会社員も、どの時代を切り取っても必ず友達はいたし、ふつうに楽しんでいたし、ふつうに遊びに行ったり旅行もしたりするけど、所属やステージや環境が変わると続かなくなっていくんですよ。
そんな自分を薄情だな、ドライだな、って責めて悩んでみたりしたけど、周りからの目を脇に置いたら、当の本人の自分は”そんなに気にしていない”と言うことに気づいてからは、全く気にならなくなりました。
ここで少し弁解しておくと、
お付き合いさせてもらっている渦中の時は、薄情でもドライでもなく、ふつうに一緒に楽しんでいるし、「大切な人たち」という感覚でいます。でも、次の環境、次の所属、次のステージになると、なぜか自然と疎遠になっていくんです。連絡を取ろうと思えば取れる時代になってきているので、ここ10年の間だけ切り取ると、少しずつですが「つながり」が継続するケースが増えてきてはいます。
ただ、圧倒的に自然消滅が多い・・・

だからこそ、一口に「ともだち」と言ってしまうことに躊躇があるのかもしれない。(今気づいた)

頭の中で、「今だけのつながりかもしれない」と思っている自分もいるから、世間一般の「ともだち」のニュアンスとのズレが気になり、でも「大切な人たち」ということには変わらないからこそ、その名称にこだわりを抱いてしまうのかも。

すごく刹那的だ。

わたしにとって「つながり」は刹那的な要素を持っているのかもしれない。前にもnoteのどこかの記事で、人間関係を必要以上に続けなければならないと思わなくてもいい。って書いたけど、つまるところ”刹那的”なんだろう。そして、私の中で「ともだち」は、刹那的なものではなく、自分の人生をある意味共に歩むような、時間の経過も含めてお付き合いしていくような属性の人たちのことを示すことばとして捉えている節がある。
だからこそ、簡単に「ともだち」だなんて言えない。
と、スネ散らかしてるのかも(笑)

にしても、なんか丁度いい名称はないものか。。

仲間と友達を足して2で割ったようなやつ。
「仲友」…なかとも?

あと知り合いと仲間を2で割ったようなやつも欲しい。
「お知り仲」…おしりなか?w


ところでこの私のどうでもいいような謎のこだわり?特性?を星語に変換すると、
7ハウス 天秤座冥王星み
8ハウス 蠍座天王星み
かな、と(笑)
あと月双子座-天王星オポ w

星語にすると短い(!!)



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