毒親:考察しても傷が深まるだけ

毒親に10万近く馳走した日に毒親から呪いを追加でふりかけられて憤慨してから1か月近く経ち、この間毒親に関する書籍・漫画を読みあさった。自分と全く同じ環境にいた人たちの手記などを読み、「ああわかるわかる」「お互い本当お疲れ様」と思うのは必要な作業だったし、「親は育ててくれたんだから甘ったれたこと言わずに感謝しろとか言われるけど、甘えなければいけない時に甘えてないんだから1回くらいそういう被害者ヅラをやらせろ」とか「毒親から克服して自分の人生を生きようとする段階の途中で、自分は万能と思う時期が一度はある」など毒親持ちならではのあるある意見にも大変賛同し、意味のある行為ではあった。

の、だが。

読めば読むほど、気持ちが晴れるようで全く晴れない。共感という作業は楽しいようで極めて苦痛だ。解決策がそこにあるようで、そんなのないとわかっていることを再度確認する。自分の傷を癒やしたいだけなのに、結果自分の辛い記憶のかさぶたを剥がしただけで終わってしまい、せっかく長年かけてふさいだ傷をぱっくり空けてしまった。生産性がゼロどころかマイナスだ。

私は、おそらく毒親問題を克服出来ていた方だと思う。社会的に自立し、子供や夫に恵まれ、人生をあますことなく楽しんでいる。毒親にはさっさと渡河して頂きたい位むかついていたけど、距離を保ったまま大人の対応として最低限の親孝行をしよう、という結論にも達していた。それは自分に自信が出来、自分の思うような人生を歩めているからだ。だが、そんな人間であっても、毒親から自分を取り戻す作業としてよく唱えられる「親と距離を取り自分の人生を歩めば親への怒りは消え、許すことが出来る」という節には真っ向から反対だ。毒親問題なんて、いつになったって解決済みになんかならない。子供時代に適切な環境で育っていない人は、おそらくずっと呪いをかけられたまま生きていくしかなく、幸せな子供時代を送った人と同じ思考回路になんて一生なれない。毒親を持ったことにより得たハングリー精神や他人にはない魅力が備わったかもしれないが、自分が本当に欲しかった安定や温かい家庭、親の愛情には結局一生飢え続けないといけない。「親への怒りや被った様々な悪影響が消えるわけねえだろ、簡単に指南してんじゃねえよ」と、もはや毒親対処本にさえ怒りの矛先が向けられる。精神衛生上、非常に好ましくない状況だ。

負のエネルギーに満ちすぎて、この数日全く楽しくない。楽しいことを、前向きなことを考えなければ。というわけで、本日は海外モデルのストイックな食生活にクローズアップした動画をアホほど見た。とりあえずオリーブオイルとチアシードと香辛料振りかけた野菜をオーブンにインするだけの動画でも、次第に心は浄化され、「ああ私も美しくなりたい」という前向きな気持ちが盛り上がってくる。お、いい傾向だ。実際、最近こうした動画を参考に男・子供受けを全くしない料理や美容に良さそうなものを摂取する楽しみを覚え、その甲斐も有り5か月で5キロほど体重が落ちた。この数値、10年ぶりや!!

自分の辛さに向き合って一生懸命辛さを取り除こうとするのではなく、自分を少しでも楽しい気持ちにさせる方に目線をずらす。辛い思いをした人に必要なのは、こうした作業なんじゃないか。毒親本を読むのはもうやめよう。そう心に誓い、ユーチューブ漬けになる。逃避なんかじゃ、絶対ない。






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