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かわいい女の子

 ここ数年、容姿をよく褒められる。この「よく」がどの程度かというと「めちゃくちゃ」である。わたしのかわいさでめちゃくちゃにされた人々から、めちゃくちゃに褒められるのである。めちゃくちゃ。

 いかように可愛かったかというと、雨が降ってもかわいい、台風が来てもかわいい、よい晴れの日などは魔法のような光を吸収し、さらにかわいいので手のつけようがない。ほこりで汚れたハイウエストのジーンズをはいていようが、似合わないワンピースを着ていようが、寝癖があろうが、髪をゆるく巻いてひとつに結んでいようが、とにかくかわいい。


 特筆すべきは年上の女友達はわたしのかわいさのあまり、わたしの写真を摂りすぎてスマホの容量をオーバーし、保存のためにハードディスクを新調した。さらにはわたしのウエディングドレス姿が見たいという理由でチャペルを予約するに至った。晴れの日のメイクはその子の指示通りになったが、メイクをしてくれる式場の人と意見が割れた。わたしの顔の行き先をめぐって人が言いあうさまをよく覚えている。

(ちなみにわたしは結婚にも結婚式にも興味がなかった。今も興味がない。でも、わたしの結婚式は最高だった。愛おしい人と隣り合って、大好きな人たちと酒を飲む夜のすばらしさがあった。愛しているとただ伝えるだけの場所。結婚はうまくいかず5年ほどで終わったが、それだけは今でも最高だと思う。あの場所にいたことはわたしの人生の誇り。)

 そしてかわいさはそこからさらに加速した。

 道を歩いているだけで「すごいかわいい」と知らないひとから声をかけられたり車を横づけされたり、ごはんに誘われたりした。レズビアンのちょっとした賑々しいイベントに行けば酔った女の子にキスをされたり、首を噛まれたりすることもあった。ちょっと立ち寄った呑み屋で、たまたま隣にいた男の子としばらく話していたら、そのうち「かわいすぎるからあまり見ないでほしい」と言われたこともある。石に為ったら売ってやる。

 タクシーに乗るとマスクをしているにも関わらず今まで黙っていた初老の運転手に「あなたの目はすごく綺麗」と天真爛漫に言われた。またあるタクシーでは「ぼくの気持ちです」と言われて1180円のタクシー代を1000円にまけてもらった。180円分のきもちを握り締めて真夜中の信号機をじっと見つめた。青から赤に変わるときに走り出してしまいそうだった。

 老若男女、悲喜交々にたくさんのひとがわたしをかわいいと言った。

 しかしてわたしはいつからこんなにかわいくなってしまったんだったか。

 10歳のときに母から「もっと笑いなさい」と言われた。笑顔でいろ、という意味である。わたしは当時身長が160センチあり、手足が太くてながく、足が24センチあり、肌が浅黒く、目が悪いので眼鏡をかけ、仲の良い男の子と一緒にいることで同級生にからかわれ、いつも眠く、胸がふくらみはじめ、誰よりもはやくワイヤー入りのブラジャーをつけていることを理由に女子にいじめられ、学校にいくのがいやで、つまりはいつも不機嫌だった。

 そしてちょうどそのころ、自分の性が「女」だったことを知った。生理が来たのだった。来たことを知らずに7日間を過ごした。自分の股から泥っぽい液体が出て、それが見つかれば親に怒られると思った。下着を洗ったり捨てたり隠したり、子どもが出来るかぎりの延命をくりかえした。けれど、しのげたのはふた月だけだった。通っていたスイミングスクールから帰ってきたわたしを母親は深刻な顔で呼び付けて「なんでわからなかったの?」とキレ気味に言った。今なら言える。わかるわけねーだろ。

 それから1年経って、小学校で保健体育の授業で詳しいことを知り、あんまりのことに絶望した。なんで保健体育に出てくる女子はみんなスカートを履いているんだ?わたしとは違いすぎる「かわいいおんなの子」が教育ビデオのなかで生理に悩まされて、大事にされているのを、股に血を浴びながらまるで他人ごとみたいに見ていた。それから次々、現実でもかわいいおんなの子たちが生理になっていった。そうして女の子たちはみんなさらにかわいいおんなの子たちになっていく。わたしはまだ従兄のおさがりのガルフィーのパーカーを好んで着て、よれよれのジーンズで、大きいからだをからかわれて、男の子たちに喧嘩をふっかけられて、街を歩けば男子と間違われてヤンキーに絡まれて、それでも生理がきて、もしかしたら男も女もいつか選べる日がくるかもしれない、そんな濃紺の希望にすがりついていた。それが10才から12才の記憶。これが一番古い地獄の記憶。

 かわいくなかったから、かわいいことが恥ずかしかった。それなのに、女でいるには、かわいくなければいけなかった。髪が長く、うす淡い色を好み、色が白く、好きな男の子と花を咲かすような声で会話をし、それから笑顔でいなければいけなかった。そんな風にいつしかかわいいことが女である条件みたく思い始めて、わたしは深い谷の底に立っていた。少なくとも、その時はひとりぼっちで。今思えばその谷底に、わたしは自らの手足で降りていった。それなのに助けを待っていた。谷底から、かわいいおんなの子たちが踊るさまを、雨の日も、風の日も、どんな晴天の日も見上げていた。そこでわたしは唯一、前向きな穴を掘るに至る。容姿や性別に左右されることをやめるということだった。そしてわたしは容姿への希望を脱ぎ捨て、谷底を去った。

 容姿は変わる。濁流よりも早く、そしてひとところに留まらない。

 それから母の言いつけとおり笑うようにしたら、今度は「いつも笑ってて気持ちが悪い」と言われた。母よ。あなたは若いころそういう人であったね。わたしが男らしくすることも、女らしくしようとすることも、すべて受け入れられていなかった母。おそろしく瓜二つのわたしという娘をもつ母よ。

 話をめちゃくちゃかわいかったわたしの話に戻す。
 実のところわたしはいまでも「かわいいおんなの子」になれずにいる。

 でも、なんたることかめちゃくちゃかわいいのである。

 とくべつ愛想がよいわけでもなく、さしたる愛嬌もなく、笑えば目がつぶれ、煙草を好んで吸うので肌色が悪い。人をときどき心底嫌いになったり、好きになったり、うまくいかないことに挫けたり立ちなおったりする。太ったり痩せたり、肌が荒れたり、すきだなと思う服がに合わなかったり、似合わない服をすすめられたり、恋をしたり、しなかったりする。今でも体の性別を、脱いだり着たりできるようになるんじゃないかと思っている。

 かわいくて良かったことなんて、たいしてない。でも、かわいい自分を愛している。

 ある大雨の朝、自転車に乗って走り抜けるわたしに恋をしてくれた人がいたこと。
 うまくしゃべれないわたしの話を、黙って聞いてくれた人がいたこと。
 泣きじゃくってひどいことを言っても、謝れば許してくれる人がいたこと。

 誰からか値踏みされることをはねのけるそのたびに心がすり減ってしまっても、わたしはかわいくないわたしを許してくれた人のことを思い出す。わたしは自分の容姿にひどく手をやいてきた。低い声、陰気なしゃべり方、黒い肌、うねる髪、どうしても消えないニキビのあとや、側頭部にある剥き出しの傷あと、太い眉毛、かしこくない頭、大きな手、うまく笑えないこと。どれもこれも小学生の時に信じた「かわいい女の子」ではないけれど、それでいい。幻想みたいなかわいさよりも、泥だらけのかわいさが愛おしいいまの日々。


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