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明るい絶望 #仕事場でのこと

最近は仕事がたてこんで、さらに酒を飲むことを覚えたために何も手につかない。洗濯物をして、タオルケットのなかで眠る。明け方にときおりやってくる人がわたしの手を握り「ただいま」という。いつからそんな言葉覚えたんだろう、と寝惚けたまま、わたしは「おかえり」と微笑む。また眠る。すべてが眠りのなかだ。

 仕事がたてこんでいくたびに、わたしは自分の事を半透明だなと思う。このうすぼんやりとした感じは、少し安心する。自分以外はすべて外界。すきとおりきらない。机にはひまわりがある。少しだけ、もう少しだけ起きていたい。そんなことを考えていたらあっというまに夜が終わる。ご飯を食べ忘れて、机に積まれた本の一冊も読みきらないまま朝日にくるまれて眠る。

 最近、会社で部下が一人増えた。ひとまわり以上年上の男のひとで、仕事が正しくできない。それがもとで、いままでの仕事や役職をとうとう下ろされ、年齢や社歴が重なったこともあり、これからその人の面倒をみてもいいという上司たちがいなくなってしまった。仕事はおそらく誰にでもできるけれど、正しく行うということは何事においても一等むずかしい。正しさは、自分ひとりで決められないことが多いから、やはりその人も孤独な場所にずっといる人であることが一緒に仕事をしているうちにしばらくして分かった。

だれかと違うことを一番怖がっているのに、すべてを知らないと気がすまないのはなんでだろう。おとなになって、ひとりでいることを怠ると誰とも生きていけなくなってしまう。

そう、正しさがわからない人の特徴として「わからない」が言えないのだ。「わからない」ことに罰を与えてしまうひとたちの生きづらさをたびたび目の当たりにして、胸が苦しくなる。なにも悪くないよ、あなたの目は開いているよ、そうやって伝えていると、その彼はすごく不思議そうな顔をする。子供のような顔をして、わからないことなんてないのだ、というふうにわからないまま頷く。わからないことを許されない環境があり、わからないことを許せない自分ができあがっていく。わたしもそうだった。自分だけ知らないことがあることって、とても恐ろしい。世界からやさしくはじきだされてしまう薄色の殺害現場をもう何度も見てきた。


部下の男のひととふたりきり、会議室でしずかに話をする。換気扇の方がきっと音が大きい。人生のなかでだれかれを助けたい、とか、そんな風に思うのはもうよしている。自分を助けてあげられるのは、自分だけ。もっとあなたはあなたを大事にしてあげてほしい。この仕事は、だれであってもけっしてひとりでできないはずなので。

そうやって伝えるのはもう何度目かで、その人はやはり真剣に頷いて来る。頷くうちは、わたしはまた同じことをいうだろう。かなしい、と思うことももうない。

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