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子どもの頃に得意だったことをやってみる

あなたは、自分のことを心から信じられますか。
仕事で、家庭で、さまざまなコミュニティで。
自分の判断や発言を、尊重したいと思えますか。

もし、自分を疑うことが当たり前になっているのならば、探してほしいものがあるのです。

それは、子どもの頃に得意だったこと。
勉強でも、スポーツでも、絵や工作や音楽でも、ゲームでも。

長じるにつれ、「上には上がいる」と挫折を思い知ったとしてもいいんです。一時期でも「自分にはできる」と信じて、がむしゃらに取り組めたものであったなら。

それは、あなたにとっての宝のカギかもしれません。



ひょんなことから、数学の問題に取り組むことになりました。高校受験レベルの一次関数。大学卒業以来、とんとご無沙汰していたので、おそらく10年ぶりです。正答率ひとケタの難問とのことで、そう簡単には解けません。いくつか試行錯誤して、なんとか答えを出すことができました。

私は勉強が得意な子どもでした。現役時代ならこの難問も必ず解けただろう、という自負があります。だから、問題を解いている間、少しも自分を疑いませんでした。「自分にはきっとできる」と信じていました。これは随分久しぶりの感覚でした。


ひるがえって現在の私はというと、仕事でも日常生活でも、自分を疑ってばかりです。子どもの頃に取り組んだあれこれよりも、今抱えるものはうんと複雑で重たくて、自分の力ではどうにもならないと感じるものばかり。どの分野にも、自分より知識や経験が上の人がいます。その人たちが言うことのほうが正しいのだから、自分の判断には大した価値がないと思っています。自分には大したことができないのだと、自分で自分を見くびっています。


今なにか夢を持っているとしても、その人が「自分はできる」と信じなければ、その夢はけっして叶わないでしょう。数学の問題ひとつだって、「自分はできる」と信じていたから、試行錯誤の手を止めずにいられたのです。10年ぶりに一次関数を解くことで思い出したのは、ひたむきに自分を信じる感覚でした。

「自分には必ずできる」という無敵の感覚は、視野が広がれば広がるほど持ちにくくなります。まわりの求める答えを導き出せているか、自分を疑うことが当たり前になれば、苦しくなります。その息苦しさから逃れるきっかけが、今日の私にとっては数学の問題でした。


あなたが無敵だったときの感覚を、子どもの頃得意だった何かに、探してみてはいかがでしょうか。



最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。