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酒呑童子説話の研究

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酒呑童子の中世説話について考えることをとおして、見せかけのおおいをとりはらった人間の姿を知る。https://wisdommingle.com/category/research… もっと読む
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酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だった!?

酒呑童子を討伐したあとに、源頼光たちが京の都にもち帰ってきたという酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だったという話もあります。 下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『京都府の民話』(県別ふるさとの民話 47)の本の50~51ページのところの記述からの引用です。この下の引用文のなかで語られている話は、福知山市大江町にある鬼ヶ茶屋(おにがじゃや)のご主人が語られたお話です。 「酒呑童子は、大きなさかずきになみなみとついでもらった毒酒を、いっきにのみほした。しばらくする

子安地蔵尊の地蔵堂(老ノ坂峠)と酒呑童子の首の伝承

山城国と丹波国の境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠(老坂)(大江の坂)には、子安地蔵尊を祀っている地蔵堂があります。 このお地蔵さん(地蔵尊)は、おなじ老ノ坂峠にある、首塚大明神にまつられた悪鬼・酒呑童子の首の祟りを鎮めるために建立されたものである、という伝承が残されています。 先日紹介した、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本からの引用文のなかにも、この子安地蔵尊を祀った地蔵堂についての記述があります。 また、この下の『京都の伝説: 丹後を歩く』の本から

『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』に記された首塚大明神の縁起譚

『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』という本には、酒呑童子(酒顚童子)が、源頼光に首を斬り落とされる場面の記述や、その首が、丹後国と丹波国の境界にある大江山(千丈ヶ嶽)から、山城国と丹波国の境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠へ飛んでいき、最終的に、首塚大明神にまつられることになったいきさつ(縁起譚)についての記述などが書かれています。 下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本の18~22ページのところの記述からの引用

「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」の和歌が書かれている扁額や、首塚大明神についての写真や動画を記事に掲載しました

京都・老ノ坂峠の首塚大明神は、酒呑童子の首をまつっているといわれている神社です。その首塚大明神のお社の上に、和歌が書かれている扁額が掲げられています。 その和歌の文章は、くずし字や変体仮名のような書体で書かれていて、ところどころ、なにが書かれているのかが判読しにくい部分がありますが、つぎのような和歌が書かれています。 「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」 この和歌のおおまかな意味は、だいたいつぎのような意味なのではないかとおもいます。 「

首塚大明神ってなに?(酒呑童子の首を埋めた首塚)

「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」 首塚大明神ってなに?(酒呑童子の首を埋めた首塚) 京都府京都市西京区大枝沓掛町の老ノ坂峠(大枝山(大江山))には、鬼王である酒呑童子の首が埋められたという伝説がある首塚大明神があります。首塚大明神では、毎年4月に例祭が開催されます。 首塚大明神の所在地は、平安時代の地名でいうと、山城国と丹波国の境界線上にある大江山(大枝山(老ノ坂峠))です(現在の地名でいうと、京都府京都市西京区大枝沓掛町と、京都府亀岡市