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酒呑童子説話の研究

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酒呑童子の中世説話について考えることをとおして、見せかけのおおいをとりはらった人間の姿を知る。https://wisdommingle.com/category/research… もっと読む
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《千の顔をもつ弥三郎》

《伊吹弥三郎: 姉川を生き、妹川に没した、伊吹山の水竜鬼》

鬼学会の会報誌が届きました!ぼくの投稿「伊吹弥三郎の岩屋と井明神社 : 姉川を生き、妹川に没した、伊吹山の水竜鬼の生と死」も掲載されています

世界鬼学会の会報誌(第28号 2024年分)が届きました! 今回は、ぼくの投稿「伊吹弥三郎の岩屋と井明神社 : 姉川を生き、妹川に没した、伊吹山の水竜鬼の生と死(抄録板)」の記事も掲載されています。 (会報誌の表紙絵は、三日月電波さん (ミず鬼ずムさん @mizuki_ism ) の《鬼婆図》です。) 上記の投稿記事では、「鬼伊吹(おにいぶき)」と呼ばれた伊吹弥三郎が「生きた場所」と「死んだ場所」として、「伊吹弥三郎の岩屋」(伊吹山の山頂付近の洞窟)と、「井明神社」(高

再生

伊吹弥三郎の岩屋(播隆上人の風穴)の洞窟への道のり(ルート)と洞窟探検 in 伊吹山【鬼伊吹】

伊吹弥三郎の岩屋(播隆上人の風穴)という伊吹山の洞窟への道のり(ルート)と、その洞窟の内部を探検する様子を紹介します。伊吹弥三郎は、鬼伊吹と呼ばれたり、酒呑童子(伊吹童子)とも関係が深い存在です。 ▼くわしい解説記事 伊吹弥三郎の岩屋と井明神社 : 姉川を生き、妹川に没した、伊吹山の水竜鬼の生と死 https://wisdommingle.com/?p=30320 滋賀県と岐阜県の境界にそびえる伊吹山の周辺には、「鬼伊吹」と呼ばれた伊吹弥三郎という人物にまつわる伝承が、たくさん残されています。伊吹弥三郎は、酒呑童子と同じ性質をもった人物として描かれることがあったり、酒呑童子(伊吹童子)の父親であるとされることがあったりと、酒呑童子にも縁のある人物です。この記事では、その伊吹弥三郎が「生きた場所」と「死んだ場所」として、「伊吹弥三郎の岩屋」と、「井明神社」を紹介します。

仮説:「酒天童子」(酒呑童子)という言葉(名称)は、円珍の護法童子である水天童子に由来する

「他人の書いた筋書きに惑わされることなく、内なる神の目でこれから始まる未来を見据えてください。」 (出典: リカルド・マーセナスの言葉, 福井晴敏(著者), (2007年)『機動戦士ガンダムUC 1 ユニコーンの日(上)』(小説), 角川コミックス・エース, 角川書店(角川グループパブリッシング), 36~37ページ.) ぼくは今、「酒天童子」(酒呑童子)という言葉(名称)の由来についての仮説のひとつとして、つぎのような仮説を立てて、それについてかんがえています。 「酒

東栄町古戸の花祭りの「榊鬼」「翁」「おちりはり」の舞い: 伝統芸能づくしの新春・オニオニパニック・弾丸ツアー(1月3日篇 その1)

仮面をかぶった姿を眺めること、それははっきり規定された信仰観念とは結びつかない、純粋に美的な経験であるにしても、そのときわれわれはたちまち「日常生活」のなかから連れ出されて、白日の支配する現実界とはどこか違った別の境界へひきこまれる。それは、われわれを未開人の、予供の、詩人の世界へ、遊びの領域へと導いてゆく。 (出典: ヨハン・ホイジンガ (1973年) 「信仰と遊び」, 『ホモ・ルーデンス』, 中公文庫, 中央公論社, 69ページ.) 先日、奥三河(愛知県北設楽

東栄町古戸の花祭りの「山見鬼」の舞い: 伝統芸能づくしの新春・オニオニパニック・弾丸ツアー(1月2日篇 その1)

 遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。 (出典: 白川静「神の顕現」, 「遊字論」, 『文字逍遥』, 平凡社ライブラリー, 10ページ.) この上の動画は、奥三河(愛知県北設楽郡(きたしたらぐん)東栄町(とうえいちょう))の古戸(ふっと)地区の花祭りの行事のなかで舞われた、「山見鬼」という舞いの映像です(2020年1月2日23時45分

酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だった!?

酒呑童子を討伐したあとに、源頼光たちが京の都にもち帰ってきたという酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だったという話もあります。 下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『京都府の民話』(県別ふるさとの民話 47)の本の50~51ページのところの記述からの引用です。この下の引用文のなかで語られている話は、福知山市大江町にある鬼ヶ茶屋(おにがじゃや)のご主人が語られたお話です。 「酒呑童子は、大きなさかずきになみなみとついでもらった毒酒を、いっきにのみほした。しばらくする

子安地蔵尊の地蔵堂(老ノ坂峠)と酒呑童子の首の伝承

山城国と丹波国の境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠(老坂)(大江の坂)には、子安地蔵尊を祀っている地蔵堂があります。 このお地蔵さん(地蔵尊)は、おなじ老ノ坂峠にある、首塚大明神にまつられた悪鬼・酒呑童子の首の祟りを鎮めるために建立されたものである、という伝承が残されています。 先日紹介した、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本からの引用文のなかにも、この子安地蔵尊を祀った地蔵堂についての記述があります。 また、この下の『京都の伝説: 丹後を歩く』の本から

『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』に記された首塚大明神の縁起譚

『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』という本には、酒呑童子(酒顚童子)が、源頼光に首を斬り落とされる場面の記述や、その首が、丹後国と丹波国の境界にある大江山(千丈ヶ嶽)から、山城国と丹波国の境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠へ飛んでいき、最終的に、首塚大明神にまつられることになったいきさつ(縁起譚)についての記述などが書かれています。 下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本の18~22ページのところの記述からの引用

「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」の和歌が書かれている扁額や、首塚大明神についての写真や動画を記事に掲載しました

京都・老ノ坂峠の首塚大明神は、酒呑童子の首をまつっているといわれている神社です。その首塚大明神のお社の上に、和歌が書かれている扁額が掲げられています。 その和歌の文章は、くずし字や変体仮名のような書体で書かれていて、ところどころ、なにが書かれているのかが判読しにくい部分がありますが、つぎのような和歌が書かれています。 「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」 この和歌のおおまかな意味は、だいたいつぎのような意味なのではないかとおもいます。 「

「歴史は残酷です。敗れる者を鬼として『時の力』が作ります」: 広島神楽の演目「滝夜叉姫」

「しかし、『東の国に将門在り』と轟き渡ったのも束の間、都の朝廷に弓引く者とされ、わが国の歴史に『天慶の乱』の汚名を残して、時代の波に消し去られたのです。  歴史は残酷です。  敗れる者を鬼として『時のカ』が作ります。  神楽の物語は、一族の中でただ一人生き延びた将門の娘・瀧姫に、将門の怨念の魂が宿ります。  美しき姫は、人の世が創り出した運命の糸に操られ、貴船の社に『願』をかけ、妖術を授かると夜叉となり、滝夜叉姫となって、父・将門の志を継ぎ、朝廷に戦いを挑むという伝説の舞

「誠の鬼神と申するは、都において我が世の春を詠いたる穢れし人の心なり」: 広島神楽の演目「青葉の笛」

誠の鬼神と申するは、都において我が世の春を詠いたる穢れし人の心なり 以前にも紹介させていただいた、石井誠治さんの著書『広島神楽 日本を舞う ―神楽旅―』という本があります。 この本のなかで紹介されている、神楽の演目「青葉の笛」の物語は、帝の勅命を受けた在原業平が、信州信濃の荒倉山の官那羅という鬼から、「青葉の笛」をだまし取る、という物語です。 この演目「青葉の笛」の最後の場面に、在原業平にたいする諏訪明神のセリフとして、「官那羅一族を討ち取りたるも、誠の鬼神にては非

『百鬼夜行絵巻』の画像を、百鬼夜行についての話の参考として記事に追加しました

『百鬼夜行絵巻』の画像を、百鬼夜行についての話の参考として記事に追加しました。 百鬼夜行についての話は、「鬼シンポジウム in ふくちやま2019」のイベントで、小松和彦先生の講演「鬼のイメージの起源と変貌」のなかで紹介されていた話です。 くわしくは、こちらの記事にて 「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」 ■この記事の関連キーワード #百鬼夜行 #絵巻 #鬼 #日本の鬼の交流博物館 #鬼博 #世界鬼学会 #福知山 #大江町 #大江山 #小松和彦 #