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酒呑童子説話の研究

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酒呑童子の中世説話について考えることをとおして、見せかけのおおいをとりはらった人間の姿を知る。https://wisdommingle.com/category/research… もっと読む
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#比叡山延暦寺

鬼学会の会報誌が届きました!ぼくの投稿「鬼ヶ洞と鬼腰掛岩」も掲載されています

世界鬼学会の会報誌が届きました! 今回は、ぼくの投稿記事「鬼ヶ洞と鬼腰掛岩 : 酒呑童子と八瀬童子の祖先の鬼の旧跡 in 京都洛北八瀬 & 比叡山延暦寺」も掲載されています。 上記の投稿記事では、鬼ヶ洞(おにがほら)と呼ばれる洞窟と、鬼腰掛岩(おにのこしかけいわ)と呼ばれる岩について、それらの場所へ行くための道のりを、動画と地図で紹介しています。 これらの名所旧跡は、酒呑童子や、鬼童丸(鬼同丸)や、八瀬童子(やせどうじ)の祖先の鬼にゆかりのある場所です。これらは、洛北(京

比叡山延暦寺の古地図『山門三塔坂本惣絵図』(1767年: 江戸時代中期)

『山門三塔坂本惣絵図』ってなに?『山門三塔坂本惣絵図』(さんもんさんとう さかもと そうえず)は、比叡山延暦寺の境内と坂本地区を描いた古地図です。成立年代は 1767年 [1][2](江戸時代中期)。作者不詳。第1鋪と第2鋪の2つの地図で構成されます [3]。 第1鋪の地図 第1鋪の地図には、比叡山延暦寺の横川地区(北塔地区)と、比叡山の東麓の坂本地区(現在の滋賀県大津市坂本)が描かれています。 第2鋪の地図 第2鋪の地図には、比叡山延暦寺の東塔地区と西塔地区が描かれ

鬼学会の会報誌が届きました!ぼくの投稿も掲載されています

世界鬼学会の会報誌が届きました! 今回は、ぼくの投稿「青き鬼の霊木と、比叡山の水神たる酒天童子」も掲載されています。 その投稿では、香取本『大江山絵詞』の絵巻物に記されている「酒天童子(酒呑童子)が変化した楠」を出発点として、それに関連する叡山開闢譚の霊木や、その守護者であった青鬼、そこからさらに、酒天童子の水神としての性質などについてお話しています。 その投稿は、下記のURLでも見ることができます。 「青き鬼の霊木と、比叡山の水神たる酒天童子」 https://w

円位上人無動寺へ登て、大乗院の放出に湖を見やりて「にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば漕ぎ行跡の浪だにもなし」『拾玉集』より

 円位上人無動寺へ登(のぼり)て、  大乗院の放出(はなちで)に  湖(うみ)を見やりて にほてるや凪(な)ぎたる朝(あさ)に見わたせば漕(こ)ぎ行(ゆく)跡の浪だにもなし (慈円『拾玉集』第四[歌番号5106]より) (この上の写真と下の写真は、比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の本堂である明王堂の前からながめた琵琶湖の眺望と、明王堂の写真です。) この上の和歌は、『拾玉集』第四に収録されている和歌(歌番号5106)です。 (参考文献: 慈円(慈鎮和尚)(原著),

比叡山延暦寺と、園城寺(三井寺)、石山寺、の競立

比叡山延暦寺と、園城寺(三井寺)、石山寺、の競立 「平安時代には大津市域のなかでも、北部の山門(さんもん)(延暦寺)に対して、中部の寺門(じもん)(園城寺(おんじょうじ))、そして南部の石山寺(いしやまでら)といった競立がみられるようになるが、北部地域では坂本・下坂本が、延暦寺と日吉社を中心に都市的発展を示した。そこに山門を本所(ほんじょ)として土倉(どそう)が立ち並び、主として北陸道の物資を揚陸する港湾として、著しい経済的発展を示していた。とくに院政の開かれるころか

比叡山延暦寺の鬼追い式: 伝統芸能づくしの新春・オニオニパニック・弾丸ツアー(12月31日篇 その1)

遊びと祭式の本質的、根源的な同一性ということをまず受け容れさえすれば、清められた奉献の場が根本的には遊びの場であることが承認できる。そして「何のために」「なぜ」遊ぶのか、というような誤った問いなど、生ずる余地がなくなってしまう。 (出典: ヨハン・ホイジンガ (1973年) 「遊びにおける神聖な真面目さというもの」, 『ホモ・ルーデンス』, 中公文庫, 中央公論社, 57ページ.) 2019年から2020年にかけての、今回の年末年始は、つぎのような、「伝統芸能づくしの新春

『日本の神々: 神社と聖地 第5巻 (山城・近江)』に記されている、比良明神や、三尾明神(猿田彦命)、白鬚明神についての記述

この下の引用文は、『日本の神々: 神社と聖地 第5巻 (山城・近江)』という本に記されている、白鬚神社や、比良明神(白鬚明神)についての記述です。 酒呑童子の説話と、比叡山延暦寺や、比良明神(白鬚明神)などとのつながりについて考えるという観点から見ると、この引用文の記述のなかの、この下に箇条書きにしたことがらが興味ぶかいとおもいます。 ・白鬚明神を渡来神とする説がある。(近江の白鬚明神(白鬚神社)の場合は、日本海側からの大陸文化の進入ルートが考えられる。) ・もとの

『近江輿地志略』に記されている、白鬚神社や、比良明神(白鬚明神)についての記述

この下の引用文は、『近江輿地志略』に記されている、白鬚神社や、比良明神(白鬚明神)についての記述です。 この記述にもあるように、比叡山延暦寺や、白鬚神社には、それぞれ、釣垂岩(釣垂石)とよばれる岩がありました。 また、この記述にもあるように、比良明神は、白鬚明神(白髭明神)と同一視されています。 「〔白髭大明神社〕 鵜川村打下村の間にあり。打下村は高島郡也。此社ある地は郡界也。小松より四十六町あり。祭る所の神猿田彦命也。縁起曰、白髭大明神は皇孫天津彦火々瓊々杵尊降臨

比叡山の回峰行の始祖・相応和尚の墓である相応和尚塔(相応廟)(無動寺谷 比叡山延暦寺)

比叡山における回峰行といえば、千日回峰行が有名です。その千日回峰行に代表される、比叡山の回峰行(北嶺修験)の始祖とされている、相応和尚(そうおうかしょう)という、平安時代の仏教僧がいます。(ちなみに、相応和尚は、建立大師(こんりゅうだいし)という通称で呼ばれることもあります。) その相応和尚(そうおうかしょう)の墓である、相応和尚塔(相應和尚塔)が、比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の、山林のなかにあります。(相応和尚塔は、相応廟と呼ばれることもあるようです。)また、その相応

艮岳の鬼門柱(うしとらだけ の きもんばしら): 京都の鬼門である比叡山延暦寺の西塔地区に立つ相輪樘(相輪橖)(宝幢)

比叡山延暦寺には、「艮岳の鬼門柱」(うしとらだけ の きもんばしら)という、なにやらものものしくて、中二心をくすぐる俗称でよばれている、相輪樘(相輪橖)(そうりんとう)という塔があります。 実際に、この「鬼門柱」(相輪樘(相輪橖))を見たときには、その存在感や、形状や装飾デザインの秀麗さ、あたりの静謐な空気感、などの印象からなのか、かなりの迫力をかんじました。(この下に列挙している写真が、「鬼門柱」(相輪樘(相輪橖))の写真です。) 比叡山延暦寺は、日本天台宗の総本山