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双極性障害Ⅱ型の話

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躁のエピソード多めです。恥を忍んで書いてます。
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いつまでもくよくよするのはやめることにしました

名古屋地方裁判所平成26年8月7日 被告人は、浮気をしていたことが交際相手に発覚し、そのことで一方的に責められ続けたことに立腹し、同人の頸部を、殺意をもって締め付け、同人を窒息死させた事案。 殺人罪で懲役14年の判決を下した事例。 福岡地方裁判所平成25年7月12日 被告人が、妊娠中の妻を殺害し、心中を装った事案。 殺人罪で懲役16年に処した事例。 悪質な動機で人を殺めてもこれだけの刑で済む場合がある。 それに比べたら躁転のときに友人を罵倒したり、友人の恋人を奪っ

躁転でいちばん嫌なのは暴言を吐くこと

 数ある躁転のエピソードの中でもいちばん嫌だと思うのはキレて暴言をはくことである。かっとなると抑えられない。そして多分相手がいちばん言われなくないだろう言葉を浴びせかける。どうも私は一番言われたくない言葉を見つけ出すのが得意みたいで、ひとを怒らせたり泣かせたりするのはお手の物だったりする。  躁転のときはツンとスイッチが入ったら止まらない。ただ感情に任せて相手の心に突き刺さるだろう言葉を吐きまくる。ひと言ふたことで済む場合もあれば執拗に責めたてる場合もある。感情的ではなく冷静

双極性障害という精神疾患を知らない人にもわかるように書いていきたい

 今更ですが、ご挨拶させてください。  わたしは双極性障害Ⅱ型という精神疾患をもつ精神障碍者です。令和六年の三月現在で二十七歳の女。既婚です。いま障碍者雇用という制度を利用して事務職として働いています。  発症したのは十年程前の高校生のときになります。診断されて治療を受けるようになったのは二十二歳のときでした。  双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、わたしが罹っているⅡ型はⅠ型に比べると症状がやや軽めです。とは言ってもだから楽というわけではありません。  双極性障害Ⅱ型

双極性障害の履歴書を書いて自分の障碍を振り返る

 私の双極性障害のエピソードをまとめてみたいと思った。いま一度自分を客観視してみたくなったからだ。改めて振り返ってみたら、何か感じることがあるかもしれないと思った。    私は高校生になるまでずっと、話しかけてもらえないと自分から話しかけにいくことすらできないくらい、おとなしくて引っ込み思案だった。  でも高校生になって、ようやく世慣れてきたのかもしれない。相変わらず引っ込み思案なところはあったが、仲が良くなった子とは普通にコミュニケーションをとれるようになった。  ところ

躁の時は無駄な買い物をするという話

 躁転のときは衝動的な無駄な買い物が増える。量産型庶民のくせに家や高級輸入車を衝動買いして払いきれないローンを組んでしまったりする残念なひともいると聞く。  私も躁転のときは必要な物なんてないのについついアマゾンを見てしまう残念なひとである。欲しいものも無いのになんとかして欲しいものを捻り出そうとしてしまうことがよくある。  そんな残念な私も街中で見かけたFIAT500というクルマが欲しくてたまらなくなってディーラーを訪れたことがあった。そして営業マンのお姉さんの口車に上手く

はじめての躁転とそのときにおぼえた夜遊びの話(続き)

 前回の話はこちら  (続き)  わたしの夜遊びがだんだんとエスカレートしていったそのころお父さんはいったいなにをしていたんだろう。わたしがこんなことをしているのに見てみぬふりをしていたのかって思われるだろうね。  お父さんはこのころ頻繁に台湾やベトナムに出張していた。三日で帰ってくることもあれば一週間帰ってこないこともあった。だからお父さんがいない日は時間を気にせずに遊ぶことが出来た。  お父さんはわたしのことをまったく気にかけていないわけじゃなかった。でも結局は無責任だ

はじめての躁転とそのときにおぼえた夜遊びの話

 なんとなく感じるのだけど躁のエピソードを書く方が反響があるみたいだ。鬱のことを書く方はとても多いけど躁のエピソードを書く方は少ないのかな。そういわれてみるとあまり見かけないような気がする。  躁のエピソードは振り返ると辛いことが多いからなかなか文字に起こせないのだろうか。わたしも躁のエピソードを思い返すとしんどい。声をだして叫びたくなる時もあるし、急に独り言をつぶやき出して挙動不審になることもある。衝動的に万年筆を太ももに刺してしまったこともあった。  でもわたしは書く。

障がい者になったことで気づいたこともある

 精神障がい者になってよかったと思うことはほとんど無い。残念だけどこれが正直な気持ちである。よかったことがあったとしても嫌なことのほうが多いのでプラスマイナスでいえば良くても四分六分である。少なくとも五分五分は無いというのが実感である。  でもこれはもしかしたら歳を重ねていけば変わってくるのかもしれない。価値観は年齢と共にかわるだろうし、成長もあれば退化だってあるだろう。  でも気づかされたことを感謝していることはある。それはどんなことかというと、自分の内面のことだったり

躁のときに傷つけた友達の夢をみるのがしんどい

 躁のときに傷つけた友人がいる。そのことがどうしても忘れられなくていまでも彼女達の夢をみることがある。夢の中でわたしは彼女達に泣きながら謝っている。  しんどいなぁと思う。忘れられたらいいのにと思ったりもしつつも、でも忘れちゃ駄目だと思う。  友達の彼氏を奪ったことがあった。別にその彼のことが好きでたまらないというわけではなかった。ただその子と彼が仲良くしているのを見て、またその彼がとても評判がよかったからどうしても自分のものにしたくなった。そんなくだらない理由だった。

躁のときは自分がおかしいと気づかないのが厄介だな

 自分は精神疾患に罹ってなんかいないのではないかとよく考える。双極性障害Ⅱ型という診断をされているけれど、本当はただ単に生まれつき持っている性分というか性格の問題なのではないか、そんなふうに考える。ただ医師にいわせると、双極性障害の患者は体調が良くなると皆一様にこれを言いだすらしい。  鬱のときは自分はあきらかにおかしいと自認しやすいけれど躁転は気づきにくい。最近えらく調子がいいなって思ってお終いである。  家族や知人から散々とあなたは言ってることとやっていることがおかし

躁になると睡眠時間が減る

 躁になると睡眠時間が減る。夜ふかしするし、早起きになる。  わたしの場合は躁になると次から次へとしたいことが出てきたり、今していることを新幹線みたいな勢いでやっているので簡単には止まらなくなってしまい、それでついつい夜更かしになる。徹夜もある。  野球に例えるなら打者一巡の猛攻どころか二巡も三巡もして打線が止まらないみたいな勢いである。一番センター近本から八番キャッチャー坂本まで打って打って打ちまくる。投手の青柳までがホームランを打つ。こういうときは頭もパッキパキに覚醒

双極性障害とギャンブル

 双極性障害とギャンブルの相性はとてもよいらしい。赤ワインとオリーブオイルをかけたプロシュートみたいなものである。のめり込み過ぎて多額の借金を背負ってしまい破産する人も多いらしい。なんというか、わからくもない。  二十歳になった頃に急に思い立って競馬を始めたことがあった。単なる思いつきだった。きっと躁転していたんだろうと思う。    わたしの周りには競馬をやっている人がいなかったので誰かの影響を受けたという訳ではない。そういう訳でまるっきりの独学で始めた。  予想の仕方を

たまには俺にもストレス発散させてくれよと夫がキレた

 「なんでわたしの気持ちを分かってくれないの」  「精神障がい者のつらさなんて誰にも分かりっこない」  こんな気持ちになることは精神障がい者のみならず誰にだって頻繁にあるだろう。  わたしもしんどい時にはどうしてもこういう考えかたをしてしまう。  でも、いまはこのような考え方をしないように心がけている。  どんなに遅くても必ず終電で帰ってくる夫が連絡もなく遅い時間に帰宅したことがあった。ウチの夫は連絡もせずに終電より遅く帰ってくることは絶対に無かったので不安になった

精神障碍者になってしまったというショック

   最初は鬱になったことがきっかけだった。精神科を受診して、最初の診断は鬱病だったけれども三か月後に双極性障害という診断に変わった。そのときに主治医から、早い話があなたは精神障碍者になりました、というようなことを告げられた。  その言葉を聞いたときに真っ先に思ったのは、「まじか!わたし精神障碍者になってしまったのか。めちゃめちゃ嫌なんですが、何とかなりませんか」ということだった。正直にいってしまうと本当にショックだったし本当に嫌だった。  これを読んで下さっている方々の