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久しぶりに真希とふたりだけで食事をした帰り道、最寄りの駅を降りてから静まり返った深夜の住宅街を真希の家まで並んで歩いた。家々の窓からカーテン越しに灯りがみえる。白く光る街灯がぼんやりと道路に光をおとしている。 夜空を見上げても星なんてひとつも見えない。暗闇になろうとしているのになりきれていないような薄明るい夜空の下を、遠くを走る車の音しか聞こえない深夜の住宅街をふたり並んで歩いた。 ふたりの影と靴音だけがあとを離れずについてくる。モンクレーのダウンを着た真希の栗色の髪が
大学生になったわたしは軽音楽部に入って、そこに少し馴染んできた頃に坂口という先輩と付き合いはじめた。軽音楽部の新入生歓迎コンパで坂口とすっかり意気投合してしまい、そのまま坂口の部屋に泊まってしまったのがきっかけというあまり人には言いたくないような馴れ初めだった。 六月のある雨の日、烏丸鞍馬口近くの坂口の部屋でアスファルトに打ち付ける雨音を聞きながらわたしは彼とベッドにもぐり込んでお互いの温もりを確かめ合っていた。 しばらくして雨が止み、わたしがベッドに潜り込んだままう
喫茶店のカウンターできみがクリームソーダを飲んでいる。隣に座っている僕はそんなきみの様子を横目でこっそりと盗み見ている。そして目があってしまわないように細心の注意を払いながらきみの横顔を盗み見ている。 わきの下辺りまで伸ばした茶色い髪と眉毛のあたりで揃えられた前髪に見とれる。きれいに反った長いまつ毛とすっとまっすぐ伸びた鼻筋に見とれる。そしてすこしめくれたようなきみのくちびるが誰かのくちびると重なり合って互いに求め合うところを想像する。そして髪の毛の隙間からのぞく白い首
土曜日の午後三時のマクドナルド。ハンバーガーやポテトの匂いが充満した店内の二階の窓際の席にわたしたちは座っている。さっきまで勢いよく降っていたにわか雨はもうとっくにやんでいて雨水を吸いこんだアスファルトの所々に水たまりが出来ている。店の前の歩道沿いに停まっているクルマの窓についた水滴がすっと流れ落ちた。 「なあ、さっき弾いてもらったベースの音めっちゃカッコよかったな」 真希はそう言うとポテトを二本まとめて口にはこんだ。くちびるにうっすらと油がついている。わたしはそれ
都会から伸びてきた線路が県境の大きな河にかかる鉄橋を渡り、それから古くて汚らしい競輪場を避けるようにしておおきく右に回り込んだところに小さな駅があった。 その駅も競輪場とたいして変わらない古くて小さくてみすぼらしい駅だった。その駅の正面にはみすぼらしい商店街があって、その商店街のつきあたりにあるコンビニで彼女は働いていた。 そこは時給は安いし店長も意地悪な人だったが、パートのおばさん達は親切にしてくれたし余り物の弁当をこっそりともらうこともできたので、彼女にとってはさほ
令和六年二月十一日 日曜日 晴れ/曇り 外食をしたいと夫を誘ってみた。いいんじゃないと夫が言ったのでクルマで十五分ほどのところにあるファミレスに行くことにした。 ファミレスの駐車場にクルマを停めて、店に入ろうとしたそのときにポケットに入れたはずのスマホが無いことに気づいた。たしかに上着のポケットに入れたはずだとおもいながら身体中を探してみたが何度探してみてもスマホは見つからない。クルマの中にもない。 でも絶対に家から持ちだしていることだけは間違いない。上着のポケッ
令和六年一月十九日 金曜日 晴れ 従姉の結婚式に参列するために東京を訪れる機会があった。そして折角東京に来たのだからと思い、空いた一日に神田神保町の古書店を巡り歩いた。昼前に神保町に着き、それから数軒回ってそのうちの一軒で本を二冊買い、その書店を出てからしばらく歩いているうちに目に留まった喫茶店で遅めの昼食をとってホテルに戻った。 ホテルに戻り、買った本のうちの一冊をおもむろにめくっていると、女性の名前が見返しに美しい筆跡で書かれているのを見つけた。書店で本をパラパラと
ある日のこと、寺町通の古書店を覗いてみると、店主のいるカウンターの足元に積まれた本の中に内田百閒の全集が半ば埋もれるようにして置いてあるのに気付いた。講談社の内田百閒全集全十巻。定価は一冊四千二百円也。全巻を束ねている紐に括り付けられた値札には七千数百円と書かれていた。 以前これを別の古書店で見つけたときは確か一万数千円だった。それと比べたら破格に安いように思われたので店主にこの値段で間違いはないのかと恐る恐る尋ねてみた。すると店主いわくボックスカバーに濡らした染みがあ
令和六年一月十日 水曜日 曇り 昨年の夏、用事があり夫と二人で金沢に行った。主計町の辺りで夕食をとった後タクシーで香林坊のホテルに向かったがそのままホテルに戻るのも勿体ない気がして、少し足を伸ばして以前訪れたことがある片町のバーに寄り道しようということになった。 普段よりも疲れていたせいかジンフィズを一杯飲んだだけでずいぶんと酔った気がしたので、まだ飲み足りない様子の夫には申し訳ないと思いながらもホテルに戻ることにした。 大通りに出ようとして歩き出したが急に思い立っ
令和六年一月七日 日曜日 晴れ 母の葬儀の日、両親の寝室の母が使っていたベッドの上の枕がへこんで窪んでいるのをみつけた。近づいてみるとどうやら頭の形に窪んでいるようにみえた。 奇妙に思った。このベッドも枕も母が入院して以来誰も使っていない筈だからだ。このことを父に言おうとしたが父は慌ただしくしていて声をかけづらかったので祖母に伝えた。 祖母は伯母に声をかけ二人で母の寝室に入っていき母の枕の窪みを見て、なぜだろう不思議だねといった。母が入院したあとにこのベッドを整えたの