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日本国の一国民ここに記す 私は国葬儀に反対である

令和4年9月27日、安倍元首相の事実上の国葬である国葬儀が開かれる。戦後の日本国として首相経験者の国葬が実施されるのは吉田茂元首相以来55年ぶり2例目である。岸田首相は歴史的な決断をしたといってよい。

しかしながらこの安倍元首相の国葬は様々な点で看過できぬ問題があり、その決定と実施は日本国の国家の根幹をゆるがすものである。まずそれ自体が大問題であり、さらに日本国の法秩序崩壊の一線上に楔として精確におかれた事件でもある。本稿では国葬儀に関する基本的な問題・点としての問題を概観し、その後あらためて反対を表明する。


まずここに今回の国葬に関しての私の考えを書いておく。

私は日本国の一国民として安倍元首相の国葬に反対である。もはや国葬が中止になることはなく、実施後は関係者の自画自賛が予想される。だが私は先人たちの言語に絶する労苦の末に成立した日本国の一国民一個人として書いておきたい。安倍元首相の国葬は日本国の国政に残る汚点である。民主主義の敗北である。

以下では安倍元首相の国葬の論点のうち主要かつ私が特に問題と考えているものをあげ私見を述べる。実質的な弔意の強要などについては時間的な余裕がないため省略する。


国葬の主な問題点

1.国葬の法的根拠

政府は現行法制において政治家の国葬が可能であるという主張を以下のように述べている。松野官房長官の発言である。

「内閣府設置法、第4条第3項第33号に内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが明記され、国葬儀を含む国の儀式の執行は、行政権に属することが法律上、明確となっており、閣議決定を根拠として行いうるものであると考えております。」
( 国葬「閣議決定を根拠として行いうる」松野官房長官会見7月22日(全文)(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE) )

該当条文は以下である。
「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。」
( 内閣府設置法 | e-Gov法令検索 )

なるほど確かに国葬(儀)が国の儀式であるならば今回の国葬は可能であろう。「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事」はその内容が具体的に制限されていないからここに国葬を加えることもできる。安倍元首相の葬儀はすでにすんでおり、本来の葬儀と国葬(儀)は別物の儀式だと政府が強調しているのもこのことによる。にもかかわらず国葬を葬儀と混同し葬儀に反対するのは礼儀がなっていないと言い出している方々がいることは大変憂慮すべきことである。もっとも元来国葬というものはこのような動きも含め時の政権に有利に作用するものであり、だからこそ行う価値が政権にある。民衆による自発的な混同は政権にしてみればむしろ好都合である。

話を政府の主張に戻す。上記の主張は実に巧みな詭弁と私は考える。

何らかの儀式や行事が「国の儀式」であるにはそれが「国の儀式」であるという法的・歴史的・慣習的な承認、あるいは多くの国民の賛同が必要であり、ゆえにこそ内閣は行政権をもって多くの儀式・行事を「国の儀式」として行うことができる。戦後日本では政治家の国葬に関する議論は水面下であったものの、厄介な事柄として放置されるに至ったという経緯がある。戦後唯一の首相経験者の国葬は吉田茂元首相のみであり、1967年に実施、今から55年前である。この時にも法的根拠が問題となったが、時の佐藤栄作首相が閣議によって強行し、明確な法的根拠は宙に浮いたままとなった。このため吉田茂元首相の国葬によって歴史的・慣習的な行事となったとは全く言えないし、法的根拠はあいまいなままである。

そうなると現行法制において政治家の国葬が国の儀式であるという唯一の根拠となりうるのは多くの国民の賛同ではないかと私は考える。次の 2. で触れる岸田首相の速断も生前の安倍元首相の人気の高さを踏まえていたのではないか。しかしそれは得られないまま国葬当日を迎えることとなった。よって今回の国葬は法的根拠に欠けると私は判断する。

たとえ時の政府がすでに決定し実行に移すことであっても反対の声をあげるのは無意味ではない。このことは時代や政体を問わず不変である。


2.岸田首相の独断先行

岸田首相は安倍元首相が亡くなってから6日後に突然に国葬実施を宣言した。日本国における国葬が定まっていない現状での一方的な宣言は当然に問題であり、国葬の賛否以前の話である。事に緊急性は全くないのにあまりに早すぎる。いつもはのらりくらりと腰が重い岸田首相がこの件に関しては電光石火で動いたというのは、反発を大きくした原因の一つなのは間違いない。したいことだけはすぐに勝手にやろうとする首相と言われても仕方あるまい。

私はこの速断は岸田首相が国葬問題の重大性を認識していなかった為に起きたミスであったと思う。そしてこのミスは閣議先行型の違憲・違法の国政をとっている以上は必然であったとも思う。

国会よりも閣議を先行させてさっさと重大事を決めてしまいあとは適当にあしらう。安倍政権が閣議による解釈改憲を行ったことで確立され、菅、岸田と受け継がれているこの国政のあり様は現代日本政治の病巣である。


3. 安倍元首相は国葬にふさわしい人物か

ここでは日本国における国葬という儀式についての是非は一旦おき、安倍元首相が国葬にふさわしい人物であったかについての私の意見を述べる。まず岸田首相の発言から考えてみよう。

「世界各国が、さまざまな形で敬意と弔意を示している。わが国としても、敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事として開催する」
安倍元首相の国葬は適切 首相「国全体で弔意表す」 | 共同通信 (nordot.app) )

この岸田首相の発言の中の「国全体として表す」は首相の事の進め方と国葬の位置づけに関して大問題がある事を自ら露呈しているが、それについてはここで文を割かない。以下においてはこの発言をそのままにとり、安倍晋三という政治家が国全体として敬意と弔意を表す必要が他の政治家よりあるかどうかについて検討する。

政府は国葬がふさわしいことについて4つ理由をあげている。

松野博一官房長官:「安倍元総理の国葬議については、憲政史上最長の8年8カ月にわたり内閣総理大臣の重責を担ったこと、選挙運動中での非業の死であったこと、大きな実績を様々な分野で残されたこと。これを国の公式行事として開催をしその場に海外からの参列者の出席を得る形で葬儀を執り行うことが適切であると判断したところであります」
安倍元総理の国葬「非業の死、大きな実績」 法的根拠は?経費は適正? (tv-asahi.co.jp) )

これらを整理すると以下となる。

『憲政史上最長の8年8か月にわたって首相の重責を担ったこと』
『内政や外交で大きな実績を残した』
『国際社会からの高い評価』
『蛮行による死去に国内外から哀悼の意』
安倍元首相“国葬”に基準ナシ――岸田首相が決断ナゼ? 4つの理由も…自民議員「保守層取り込み」「真の後継者と印象付ける」 (ntv.co.jp) )


①首相在任期間が憲政史上最長の8年8か月であること、
②経済や外交で実績を残したこと、
③各国が弔意を表明していること、
④選挙運動中の非業の死、
( 安倍元総理の国葬と法の支配(大浜啓吉) kokusou (iwanamishinsho80.com) )

 
各リンク先でも言及されている通り、これら4つの理由は「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」を個人の政治家に対して特別に行う理由としては曖昧で主観的である。また自民党の政策の自画自賛の度合いが強く党派性を帯びている。

以下にそれぞれの理由について私見を述べる。理由の文章は大浜氏のものを用いる。


①首相在任期間が憲政史上最長の8年8か月であること
だからなんだという話である。首相の重責は安倍元首相のみにあったわけでない。在任期間が長くなったのはその時そういう情勢であったからに過ぎない。この記録を称えるのは各人の自由であるが、国政は首相の在任期間をのばして誇る競技ではなく、日本国の憲政において特定の人物の首相在任期間が長いのは危険とすらいえる。歴史的に見て日本人は宗教的・王族的権威を帯びた為政者を求める傾向がある。安倍政権下では安倍氏の首相在任期間が長くなるにつれて彼を国王のように崇拝する傾向が国民の間に見られるようになり、院政期といえる菅・岸田両政権においてもそれは変わらなかった。


②経済や外交で実績を残したこと
政治家の実績の評価は極めて難しい。これは安倍氏に限ったことではない。時間が経った上で正しい資料と議論によってある程度評価を定めることは可能であるがしかしそれも絶対ではない。現役政治家だった彼のここ10年の実績を正当に評価するのは難しい。現状で控えめに見ても政策ごとに賛否があり、確固たる実績が定まっているとはいいがたい。

ただし私は安倍元首相は経済・外交ではなく日本政治のある一点において抜群の実績をあげたと考えている。間違いなく歴史的な実績であるので、これをもって国葬をおこなうというのであれば筋は通る。しかし政府は絶対にこの実績を国葬の理由に挙げることはできない。それは 2. で触れた閣議先行型の国政の確立である。今の日本国では内閣が現行の憲法・法律を変更・無視しその後に国会で与党会派が追従することで議論を抑えて誰も責任を負わないのが常態化している。これは歴史的に見て日本国において画期的なことであるが、いまだ建前はこのような実態を許すものではないので国葬の理由としての実績にはされない。


③各国が弔意を表明していること
だからなんだという話である。合同葬で有志が資金を出し合って抜かりなく行えばよい。


④選挙運動中の非業の死
暗殺は紛れもない事実であり、法治国家であってはならぬことである。しかしながら国葬を導く理由としては他の理由と同じく弱い。なぜ暗殺されたのかを見極める必要がある。この点でも岸田首相の決断は拙速であったと言わざるを得ない。

首相は、諸外国でも弔意が表明されていることや、民主主義の根幹である選挙中の死亡であったことなどを実施理由に挙げ、「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と述べた。
岸田首相「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意示す」…安倍元首相の国葬 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp) )


一見すると岸田首相の言っていることはもっともに思える。しかし私たちは既にこの暗殺事件の背景をかなり知ることができている。私にとって首相のこの言葉は逆効果にしかならない。

安倍元首相は岸・安倍三代にわたる旧統一教会とのコネクションを活用し続けることで党内の権力基盤を安定させ、その過程で国内外に生まれた多数の被害者については見て見ぬふりを続けた。そしてその結果、宗教二世である山上容疑者に復讐され落命した。日本国の「民主主義の根幹である選挙」と有力政治家たちが反社会的集団に侵食されていたという事実を直視することがいま私たちに求められている。

公開抗議文 衆議院議員 安倍晋三 先生へ 統一教会 家庭連合 (stopreikan.com)


鈴木エイト ジャーナリスト/作家『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』9/26発刊(小学館)さんはTwitterを使っています: 「全国弁連が安倍晋三元首相の統一教会系イベント出演に抗議文を内容証明郵便で送付した際、安倍晋三事務所は受け取りを拒否していた。 やや日刊カルト新聞 『霊感商法対策の弁護士団体が安倍晋三前首相に公開抗議文』 https://t.co/dwphLDXAEt #安倍晋三 #統一教会 #家庭連合 #山上徹也」 / Twitter


あらためて考える。岸田首相が守り抜くと述べた民主主義とはなんであろうか。言葉尻をとらえるようで申し訳ないが守り抜くという以上はこの発言の時点で存在しているものである。であればそれは安倍元首相や彼の側近の政治家たちが反社会的集団と密接に関わることで成り立っていた、多くの人々の人生を潰し家族を崩壊させて得た金銭と労力を権力基盤とする政治である。直接的な暴力はない。だが暴力的な、あまりに暴力的な政治システムである。これが私たちが守り抜くべき民主主義なのだろうか。反共を掲げて隣人の家族の崩壊を見て見ぬふりでやりすごすのが戦禍の果てに成立した日本国の国民のあり方だろうか。教団と決別するといいつつこの関係の中心人物であった安倍元首相の国葬を強引に実施することに何の道義があろうか。

伝え聞くところによると、安倍元首相の人柄は暖かく、周囲への気配りを欠かさない面倒見のよさが慕われていたという。おそらくこれはその通りなのだろう。
しかし一方、信条や立場の異なる人々には冷淡酷薄、あからさまな嘲笑や侮蔑をなげることも度々だったのが彼だった。良くも悪くも極端に情に厚い人というのが私の印象である。日本国と彼にとって悲劇であったのは、彼がこの情の厚さを政治制度にまで持ち込んでしまったことである。
彼は直接に人に暴力をふるうことはなかったが、旧統一教会との関係に顕著なように、間接的に悪事やグレーな事に加担することは厭わなかった。そこに彼の信念や愛国心があったことを私は否定するつもりはない。だが、だからといって彼の重大な政治的・道義的過ちを見過ごすことはできない。

安倍元首相にまつわる様々な疑惑と対応の仕方を列挙すると長くなりすぎるので本稿では記述を断念する。政府があげた国葬の理由④に関しては暗殺事件の背景にある旧統一教会との関係を見るだけで十分であろう。

人間社会では直接的な暴力によらなければどんな非道な行いでもおこなっていいのだろうか。権力を持つ政治家や団体は信念や信仰があれば個人や家族から人生を奪っていいのだろうか。私はいいとは考えない。


反社会的な集団を権力基盤の一つに据えそれゆえに復讐されて命を落とした政治家を国葬で称えることは日本国のあやまちである。
責任を明確にするために書いておく。これはまずもって岸田首相のあやまちであり、閣議決定をなした閣僚の方々のあやまちである。

以上をもって日本国の一国民である私の、安倍元首相の国葬に対する私見、反対表明とする。法的根拠のあやふやさ、内閣の独断専行だけでも反対すべき事柄である。しかし私個人としてなによりも重要な反対理由は、安倍元首相が昭和の頃から多くの人々を不幸に陥れている反社会的な集団と蜜月の関係を維持し権勢をふるったことでその被害者の一人に復讐されて命を落とした政治家であることだ。そのような人物を国をあげて称える国家がはたして民主主義や法の支配を掲げることができるだろうか。国民の幸福を追求することができるだろうか。


以下に旧統一教会についてのリンクを二つ貼っておく。戦後史の入門として有用であると思う。


「いろいろな要素があるので、少し書き出していきます。1/(・ω・) 統一教会(または協会)は「世界基…」fruitfulなブースカちゃんのスレッド (twinotes.com)

「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教”【報道特集】|TBS NEWS DIG - YouTube


安倍元首相の祖父にあたる政治家の岸信介元首相が行ったことはあまりにもスケールが大きすぎるために創作めいており、近年は安倍政権への支持が高かったこともあって忘れ去られていた。しかし岸信介元首相や統一教会の行動、反共と冷戦構造、アメリカの支配などは今もなお我が国の政治や国民意識に多大な影響を与えていることは明白である。今後はひろく多くの国民の方々に日本の戦後史が共有されて欲しい。

そして暗殺する者、される者がもう現れないことを願ってやまない。


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