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第3章の3 ジョン・ローの巧みな魔術

『マネーの魔術史』(新潮選書)が刊行されます(2019年5月20日予定)。
第3章を4回にわけて全文公開します。

3 ジョン・ローの巧みな魔術
聡明なる山師ジョン・ローの登場
「ポークサラダ・アニー」という曲がある。エルヴィス・プレスリーが歌って有名になった。「アメリカ南部のルイジアナは、ワニがうようよする恐ろしい場所だが、アニーはワニよりこわい娘。夜出かけては、ポークサラダという雑草を摘んで来る。夕飯のおかずはそれしかない」。家族といえば、「ワニに食われちまった」とか、「ムショ暮らし」だとか、「スイカ泥棒」だとか、とにかく、滅茶苦茶な状態だ。ルイジアナがどんなところかという感じを、よく伝えている。
 ルイジアナは、その名(ルイの地)が示すように、新大陸におけるフランスの植民地だった。18世紀前半までのルイジアナは、ミシシッピ川流域から中西部に及ぶ広大な地域で、現在のアメリカ合衆国の約4分の1を占めていた。しかし、広いだけで、ローワー・ルイジアナと呼ばれる南部の実態は、プレスリーが歌っているように、どうしようもない沼沢地と湿地だったのである。
 ところが、ここをバラ色の未来を持つ土地だと宣伝して、開発する会社を作り、それを用いてフランスを財政危機から救うという、途方もないアイディアをぶち上げた男がいた。
 男の名は、ジョン・ロー。財政家とか経済思想家とされることもあるが、「いかさま師」と呼ぶほうが適切な人物だ。
 彼は、1671年にスコットランドのエディンバラで生まれた。父親は金匠を営んでいた。これは、金細工職人を兼ねた金融業者だ。ジョンは父親の元で3年間死に物狂いで働き、銀行業の本質を見極めるまでになった。とくに、数学の才能はずば抜けていた。女性に大変もてて、「伊達男のロー」と呼ばれていた。
 17歳の時、仕事を完全にやめてロンドンに赴いた。父親から相続した土地の上がりがあったので、それなりに裕福。賭博場の常連となり、複雑な計算に基づいて賭け、相当な額を儲けた。しかし、放蕩生活のあげく、救いようのない賭博師に落ち込んでいった。さらに、女性問題で決闘を申し込まれる事態になり、相手を殺してしまった。
 留置されたが脱走し、ヨーロッパ大陸に逃れた。各地を放浪しながら、金融や銀行業にますます精通するようになった。夜は賭博場で過ごし、それで生活を支えていた。
 そうした時に、パリの社交場でオルレアン公爵という有力者と知り合い、お互いに気にいった。ローは自分の金融理論を公爵に吹き込み、公爵は、いずれ後援者になってあげようと約束してくれた。
 1715年にルイ14世が逝去して、5歳のルイ15世が王位を継承。オルレアン公フィリップが摂政として統治することとなり、いよいよローに運が回ってきた。
 当時、フランスの国家財政は、ルイ14世による乱費で、破産状態に陥っていた。マッケイの『狂気とバブル』によれば、ルイ14世が死去した時、国庫債務残高は30億リーブルだった。それに対して、財政収入は1・45億リーブルしかなかった。つまり、財政収入の20年分を超える債務を抱えていたわけだ。
 現在の日本では、2019年度末の公債残高見込みは897兆円で、一般会計税収62・5兆円の14・4年分に相当するから、似たような状態だ。
 オルレアン公にとって緊急の課題は、この状態から何とか抜け出すこと。そのため、貨幣改鋳や徴税請負人の汚職摘発を行なったが、何の効果もなかった。
 そこに聡明な山師ローが登場し、この膨大な財政赤字を解消するアイディアがあると、オルレアン公を説得したのである。

奇想天外で異次元 ローの財政再建案
 そのアイディアとはつぎのようなものだ。
 まず、紙幣を発行できる銀行を設立する。この銀行は1716年に作られた。
 つぎに、新大陸フランス植民地との独占的貿易権を持つ会社(ミシシッピ会社)を設立する。この会社は、ミシシッピ川流域の開発も行なう。そこには鉱脈が眠っているはずなので、採掘すれば巨額の利益が得られるとローは言った。
 もちろん、そこには、何もなかった。前項で述べたように、ワニしかいない沼沢地に過ぎなかったのである。だから、ミシシッピ会社とは、架空の事業を掲げたペーパーカンパニーだった。この会社は1717年に設立された。
 驚くのは、その規模だ。会社の資本金は1億リーブルとされた。これは、当時のフランスの国家予算とほぼ同規模だ。後に1719年になってから、会社は王室に12億リーブルを貸し付けた(ファーガソン『マネーの進化史』)。この貸付額は、国債残高の半分近い。これを使って償還すれば、国債残高は半分になってしまうのだ。
 当時の人々の目に、これは「異次元」と映っただろう。ただし、これほど大規模であるのは、それが実体の変化を伴わぬ帳簿上の操作にすぎないからだ。言い換えれば、規模が異常に大きいということは、それが何らかの意味でまやかしであることの証拠なのである。
 会社の株式は、国債の額面価値で購入できることとされた。すでに国債の市場価値は額面を大きく下回っており、他方でミシシッピ会社は巨額の収益を生むと期待された。したがって、人々は争って国債を株式に交換したのである。つまり、ローのシステムの目的は、国債をミシシッピ会社の株式に転換することだった。
 こう言うと、「それは南海会社と同じではないか」と、すぐに気づかれるだろう。まったくその通りである。実は、南海会社の社長ブラントは、ローのシステムがフランスで人気を博しているのを見て、それを真似たのである。
 両者に共通しているのは、返済義務のある「国債」を、返済義務のない「株式」に転換することだ。その点では、南海会社もローのシステムも同じである。ただし、両者はまったく同じではなく、重要な差異がある。それは、「どのようにして人々に株を買わせるか?」にかかわるものだ。
 南海会社の場合には、「スペインが貿易を許可する」という類の虚偽の情報を流して株価を吊り上げた。だから、詐欺以外の何物でもない。
 しかし、ローのシステムはもっと複雑だ。実体のない会社を誇大宣伝した点は同じだが、ミシシッピ会社は、配当を支払ったのだ。配当は(本来は植民地からもたらされるはずの利益で支払われるべきだが)、ローが設立した銀行の発行する紙幣で支払われた。つまり、ローのシステムを支える基本は、この紙幣にあったと考えることができる。
 そして、これは、現在に至るまで論争がつきない問題に深くかかわっている。それは、「マネーはなぜマネーとしての価値を持つのか?」という問題である。これまでも論じたが、これからも繰り返し出てくる。
 ところで、南海会社は実体的な事業を何もしなかったが、ミシシッピ会社は、何もしなかったわけではない。ローは、新しい町をミシシッピ川の河口に作ったのである。そして、その町に、オルレアン公への追従として、彼の名を冠した。これが現在のニューオーリンズだ。

インチキ会社への熱狂的投機が起こる
 ローの紙幣は信用をもって流通し、15%のプレミアムがつくようになった。
 ローの銀行も支店がつぎつぎと開設されていった。そして、1718年、王立銀行に改組された。ここが発行する銀行券は、法貨としての地位を与えられた。つまり、この銀行券で租税を払える。法貨を発行できるという意味で、現代の中央銀行と同じような権限を与えられたわけだ。
 ミシシッピ会社の株価は上昇し、投機の対象となった。バブルが生じ、フランスは熱狂状態に陥った。この様子を、マッケイは、『狂気とバブル』の中でいきいきと描いている。
 ありとあらゆる人がミシシッピ株に投機した。ローの自宅には、朝から晩まで熱心な株購入希望者が殺到した。新規株主の名簿が出来上がるまで数週間かかる。その間、公爵や伯爵らも妻を伴ってローの自宅に詰めかけ、名簿の発表を待つ。ある婦人は、ローに取り入ろうとして、注意を引くために、自分の馬車をわざと柱にぶつけて転倒させた。フランス中の公爵夫人がローの自宅の控室にいると言われた。
 大通りでは何千もの群衆が押し合いへし合いなので、貴族は名簿の発表を待つ間、それを避けようと、近くのアパルトマンを借りる。アパルトマンの家賃は、通常は年間1000リーブルのところ、1万6000リーブルにも跳ね上がった。
 広場では朝から晩まで市が立ち、商取引をしたり、飲み物を売ったりするテントや屋台が並んだ。仲買人のための500余りのテントも設置された。ある猫背の男が、投機家たちに自分の背中を机代わりに貸して、結構な金額を稼いでいた。警官だけでは群衆を取り締まれず、兵隊が出動した。
 人々がなぜこのように熱狂したのか。それは、具体的な数字を見ると、納得できる。
 500リーブルだった株価は、1720年初めには1万リーブルを超えるまでに高騰した。ミシシッピ会社の発行済株式は1720年には50万株程度だったので、この頃の会社の時価評価額は、実に50億リーブルになったことになる。1715年の財政収入は1・45億リーブル、国庫債務残高は30億リーブルだったことと比較していただきたい。
 マッケイの著書には、つぎのような挿話が紹介されている。病に倒れたある大株主が、保有していた250株を1株8000リーブルで売ろうと、使用人をローの館につかわした。ところが、使用人が館に着くと、株価は1万リーブルに上がっていた(この頃には、株価が数時間で1割も2割も上昇するのが稀でなかった)。だから、売却額は、予定値を50万リーブル上回っていた。
 マッケイによると、これは2万英ポンドだった。この換算値が当時のポンドとのものであるとすると、本章の1で述べたニュートンの損失額と同じだ。そこで述べたように、当時の1ポンドは現在の日本円で約2万8000円なので、何と5・6億円ということになる!
「いくら何でも多すぎる」と思われるだろう。私もそう思ったのだが、「アパルトマンの年間家賃が1000リーブル」という記述を思い出していただきたい。これはパリの中心部のことだから、少なくとも100万円と考えてよいだろう。とすれば、50万リーブルはその500倍だから、5億円ということになる。繰り返すが、使用人が主人のもとからローの館まで移動する間に、株の時価がこれだけ増加したのである。
 この使用人は、何食わぬ顔で5億円超相当の差額を自分の懐にしまい込み、残金を主人に渡して、その日のうちに出国してしまったそうである。

賢人ローはフランスの守護神に
 1717年にミシシッピ会社が設立されてから1720年の初めまでの間、すべては極めてうまくいった。会社の株価は上がる。それに合わせて紙幣も増発された。
 このシステムは、2つの期待に支えられている。第1は、ルイジアナには金が眠っているという期待。そして第2は、ローの銀行が発行する紙幣は、価値を維持し続けるという期待。
 南海会社の場合も似ているが、もっとお粗末だ。スペイン領との貿易が嘘だと分かれば、たちまち潰れてしまう。「株の時価で国債と交換するから、株価が上がれば国債利子の収入が増え、配当が増えて、さらに株価が上がる」と説明されるのだが、それは、「株価が上がれば、株価が上がる」と言っているだけのことであって、自己循環的だ。念力によって宙に浮いているようなもので、正気に戻れば落ちてしまう。
 ミシシッピ会社はこれより複雑だ。ルイジアナに金があるという期待に支えられてはいるが、それだけではない。
 ローの銀行の紙幣で配当を払うことになっている。人々がこの紙幣を信用し、それが流通する限り、紙幣は価値を持つ。したがって、配当も価値があり、ミシシッピ会社も価値がある。だから、南海会社が架空だと言うのと同じ意味でミシシッピ会社を架空だとは言い切れない。紙幣がからんでいるために、インチキを見抜きにくいのだ。
 バブルは常に過大な期待に支えられる。しかし、人々をうまく騙し続けられる限りは、持続する。1980年代の日本のバブルも、2005年頃のアメリカの不動産バブルも同じだ。
 しばしば、SNSを通じて「フェイクニュース」が広まることが問題にされる。この場合は嘘であることを見抜きやすいが、経済的な問題については見抜きにくい。
 フェイクニュースと言うが、日本の大新聞も異次元金融緩和が始まったとき、日本経済が活性化すると書いた。それもフェイクニュースではなかったのか?
 南海会社やミシシッピ会社の場合には、一握りの人達が情報操作をした。しかし、現代社会では、誰が意図的に騙しているのか、よくわからない。政府なのか、金融機関なのか、それとも投機家なのか。あるいはジャーナリズムなのか。
 ただ、はっきりしているのは、多くの人が信じる限りは、万事うまく回るということだ。そして、利益を得た人は、すぐに逃げてしまえばよい。
 ローの話に戻ろう。5億リーブルの紙幣発行で世の中がこれだけ良くなったのだから、さらに5億リーブル刷ればもっと良くなるはずだ。オルレアン公はこう考えた。公はローに絶大な信頼を寄せ、重要な案件はすべてローに相談した。ローは国家の救世主。フランスの守護神。外出すると群衆が後を付けてくるので、騎馬隊が護衛についた。
 これほどの重要人物になったにもかかわらず、ローは礼儀正しく、柔らかな物腰。言葉の隅々から知性が溢れる。控えの間には株の購入名簿に名を載せてもらおうと著名人がごった返しているというのに、眉目秀麗なスコットランドの賢人は、静かに書斎にこもり、手紙を書いている。その内容と言えば、父親から譲り受けた土地の庭師に宛てた、キャベツの栽培指示だ!

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