アンケート用__2_

皆んなの意見は正しいか?

 「多くの人が正しいと考えていることは正しいのか?」という問題については、これまでさまざまな議論が行われてきました。

・雄牛の重量あてコンテスト
 ジェローム・スロウィッキーは、『「みんなの意見」は案外正しい』(角川書店、2006年)の最初で、次のようなエピソードを紹介しています。
 1906年の秋のこと。イギリス人の科学者フランシス・ゴールトンは、家畜の見本市に向かいました。彼は、遺伝学、優生学、統計学の専門家です。そして、「ごく少数の選ばれた人間だけが、世界を健全に保つ特性を持っている」と信じていました。
 その日、見本市では、雄牛の重量あてコンテストが行われていました。ここに参加した800人の中には、家畜についてほとんど知らない人も多く含まれていました。そこで、ゴールトンは、結果は愚かなものになる、つまり、グループの予測値の平均は全く的外れな数字になると考えたのです。

 ところが、予測の平均値は1197ポンドで、これは実際の値1198ポンドとほとんど一致していました。ゴールトンの考えとは反対に、集団は極めて優れた知力を発揮することが示されてしまったのです。

分散的・分権的システムへの信頼
 経済学者は、決定が分散的・分権的になされるシステムに強い信頼を寄せています。誰もが知っているのは、アダム・スミスが『国富論 Ⅱ』(大河内一男監訳、中公文庫、1978年)で展開している「見えざる手」の議論でしょう。彼は、つぎのように言っています。
 「彼自身の利益を追求してゆくと、かれは、おのずから、というよりもむしろ必然的に、その社会にとって、もっとも有利な資本の使い方を選ぶ結果になる」、「自分自身の利得のため(に産業を運営することによって)・・・見えざる手に導かれて、・・・自分では意図していなかった一目的を促進することになる」(第4篇、第2章)。

 この考えの厳密な理論的基礎は、経済学者のフリードリヒ・フォン・ハイエクが1945年に発表した論文 ‎The Use of Knowledge in Society(「社会における情報の利用」)において示されました。
 ハイエクによれば、人々は特定の場所、職種、経験などに基づく個別の知識を持っており、したがって、問題に近い場所にいる人ほど優れたソルーションを知っているはずです。つまり、決定は分散的になされたほうが良いのです。分散性が抱える問題は、システムの一部が発見した貴重な情報が、必ずしもシステム全体に伝わらない点にあります。そこで必要なのは、個人がローカルな知識を元にして決定を行ない、それらを集団全体に組み込めるようにすることです。市場メカニズムは、「価格」という手段を使って、これを実現しているのです。

・スペースシャトル・チャレンジャー号の事故
 1986年1月28日午前11時38分、アメリカ、フロリダ州のケネディ宇宙センターから、スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げられました。しかし、その74秒後にチャレンジャーはフロリダ沖合上空で爆発し、乗員7名の生命が失われました。
 実はこのとき、株式市場で驚ろくべきことが生じたのです。
 打ち上げの様子はテレビで全世界に実況中継されていたので、株式市場もリアルタイムで事故の発生を知りました。そして、数分もしないうちに、市場はその情報に反応したのです。
 まず、スペースシャトルの製造と飛行に関係する4社の株価が、めだって下落を始めました。4社とは、シャトル本体とメインエンジンを製作したロックウエル・インターナショナル、外部燃料タンクを製作したマーティンマリエッタ、固体燃料ブースターを製作したモートン・サイオコール、そして地上支援を担当したロッキードです。事故の責任はこの4社のどれかにあるはずですから、このこと自体はさほど驚くべきことではありません。
 しかし、20分もすると、株価の下がり方に差が生じてきました。4社のなかで最も激しく下落したのは、モートン・サイオコール社でした。そして、同社の株はほどなく取引停止に追い込まれました。他方で、ほかの3社の株価は持ち直し、その日の終値での下落幅は、前日比2%にとどまったのです。
 事故原因を調査する政府の委員会が組織され、5ヵ月後に結論を出しました。それによると、事故の原因は、ブースターの継ぎ目の「Oリング」にありました。これは、燃焼時に高温の燃焼ガスが漏れないようにする2本の合成ゴム製のリングです。そして、ブースターの製造を担当していたのが、モートン・サイオコール社でした。
 事故の原因を示唆する報道などまったくなされていない段階で、アメリカの株式市場は、わずか20分のうちに、真の責任企業をつきとめてしまったのです。
 
・原因はインサイダ取引ではなかった
 なぜこんなことが起こったのでしょうか?市場は、どのようなメカニズムによって正しい答えを得たのでしょうか?
 これについて、さまざまな調査や研究が行なわれました(興味のある方は、つぎの文献を参照。Maloney, M. and Mulherin, J., "The complexity of price discovery in an efficient market: the stock market reaction to the Challenger crash," Journal of Corporate Finance,September 2003)。
 まず疑われたのは、同社の関係者がインサイダー情報に基づいて株を売ったことです。彼らは、自社の製品に欠陥があることを知っていた可能性があります。それが明らかになれば、株価は下落し、多大の損失を蒙るでしょう。それを避けるため、事故調査結果が発表される前に株を売ってしまうことは、当然考えられる行動です。したがって、それに関する調査は念入りに行なわれました。しかし、インサイダ取引が行なわれた形跡はなにも見当たりませんでした。

 そのほかのさまざまな可能性が調査され、研究されました。しかし、はっきりした答えはえられませんでした。
 われわれが知っているのは、「アメリカの株式市場が、ごく短時間のうちに正しい答えを見出してしまった」という事実だけです。ですから、「どのようにしてそれができるのかを説明することはできないのだが、市場は正しい答えを算出する能力を持っている」と言わざるをえないのです。
 価格を決めているのは、多数の取引参加者の取引です。さまざまな人が、それまで知られている製品の性能などに関するさまざまな情報から事故の原因を推定しました。その結果、モートン・サイオコール社に責任があると判断した人が多く、それらの人々の売りが同社の株価を下げた、ということになります。
 つまり、多数の無名な人のさまざまな意見の積み重ねが、正しい(少なくとも、それほど間違ってはいない)結果に自動的に収斂する、と考えざるをえないのです。つまり、多数者は、総体として「正しい答え」を知ることができるのです。

・市場は「効率的」 
 「市場は、利用可能な情報を価格に素早く、正しく反映させるだろうか?」という問題は、ファイナンスの最も基本的な問いです。そのような性質を持つ市場は、「効率的市場」と呼ばれます。
 上で述べた例は、アメリカの株式市場が効率的であることを、きわめてドラマチックなかたちで証明したものです。
 同じような例はほかにもあります。それは、オプション価格に関するものです。オプションとは、「取引できる権利」のことです。例えば、株式のコールオプションとは、ある株式をあらかじめ決めた価格で購入できる権利のことです。
 オプションは古くから市場で取引されていましたが、その価格の正確な算定法は知られていませんでした。この難問に初めて答えを与えたのは、1973年に発表されたフィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズの論文です。
 このとき彼らは、実際に市場で成立しているオプションの価格を、彼らの理論式と照合してみました。ところが、驚くべきことに、ほとんどすべての市場価格が公式の結果と一致していました。しかし、あるオプションの価格だけが理論式よりかなり低い値になっていました。そこで、彼らはそのオプションを購入しました。しかし、期待に反して、それによって利益を上げることはできなかったのです。
 後でわかったことですが、そのオプションの基礎になる株式について、まだ公表されていない情報があったのです。その情報を加味してオプション価格を計算すると、市場価格と一致しました。つまり、正しかったのは市場のほうだったのです。ブラックとショールズは、市場がすでに取り入れている情報を知らずに、誤った価格を算出しただけのことでした。
  ブラック=ショールズ式が発見されるまで、オプションの正しい価格付けはできなかったと考える人がいます。しかし、そうではなく、それまでも市場はブラック=ショールズ式と同じ結果を出していたのです。この場合にも、市場がなぜ正しいオプション価格を算出できたのかは、説明できません。「どのようにしてかは分からないが、とにかく正しい答えを出していた」と言えるだけです。
 もちろん、ブラック=ショール式の発見が無意味だったわけではありません。なぜなら、これによって誰もが正しい答えを簡単に計算できるようになったからです。事実、ブラック=ショール式の発見以降、オプションの取引は飛躍的に拡大しました。しかし、それまでの市場価格がでたらめだったわけではないのです。
 以上が意味するところは、きわめて重大です。これらの例のように、専門的な調査や研究で明らかにされた要素が関係している場合や、複雑な論理で価格を算定しなければならない場合でさえ、市場は正しい判定をします。ましてや、多くの人に周知の事実が、価格に反映されずに放置されているはずはありません。

市場が間違える場合:バブル
 ところで、この考えには、強力な反論があります。市場はしばしばバブルを起こすからです。チャールズ・マッケイは、1841年に刊行されたExtraordinary Popular Delusions and hte Madness of Crowds(異常な集団幻想と群衆の狂気)という本の中で、歴史上のさまざまなバブルの例を紹介しています。金融市場におけるバブルは、現代にいたるまで、なくなることがありません。

・検索エンジン
 グーグルの検索結果において表示される順位を決めるのは、そのサイトへのリンク数です。つまり、「皆んなの意見」です。
 その内容が正しいから、役に立つから、という理由ではありません。
 このため、見映えのよいものだけが優先される、上滑りで浮ついた評価ではないか?という疑問があります。
 しかし、他方で、伝統的なシステムが正しい評価をしてきたかといえば、大いに疑問です。
 「権威」は、単なる思い込みにすぎないのかもしれません。伝統的な大新聞や歴史ある出版社の出版物が正しいとは限りません。目につく広告を出せるかどうかは、広告費や寒で決められます。このように、伝統的システムとグーグルのシステムとの良し悪しの判断は、難しい問題です。



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