悠木 倫

一橋落ち無職。 物書きの仕事が欲しいです。メール→yukirin.wr@gmail.c…

悠木 倫

一橋落ち無職。 物書きの仕事が欲しいです。メール→yukirin.wr@gmail.com

最近の記事

死にたい気持ちと共に、目標も忘れた。

 やってしまった。気付いたのは今朝である。昨日は特に何をしていたというわけでもないが、完全に意識の外にnoteの存在があった。毎日エッセイを書き残すと決めた私は、10日程度で過去の自分を裏切った。  エッセイを書く行為とは自分と向き合うことだ。精神を病んでいる今だからこそ、これを毎日行うことに、何かしらの意味があるように私は思う。しかし、忘れたら意味がないのだ。  私は毎日駄文を書き連ねることすらままならない人間である。それはとても悲しい。  一昨日から抗鬱剤を飲み始めた。

    • 仲間がいることの心強さ

       今日は病院へ行った。精神科である。  大雨の中、精神科の病院に行くのは、風景と状況がマッチしていてとても面白いと思った。  先生は女性の方で、優しい雰囲気を醸し出している人だったが、目が合った時にギクリとした。柔らかい物腰であったが、この人には嘘が通じない……、直感的にそう思った。  先生に色々と話を聞かれた。なぜ鬱がぶり返したのか・最近何があったのか・死にたいと思うことはあるか……。自分のことを全部赤裸々に話した。そして、吐き気を催す時があること、常に頭が痛いこと(これは

      • 台風に中指を、予防薬に花束を。

         平生から偏頭痛が酷い。それは低気圧の日、嫌な気分の日、緊張する日に襲いかかってくる。  先ず、微量な痛みが一度、私の頭を襲う。それは生活できる痛みだ。しかし、不愉快だ。次に、歯車のようなものが、目前に現れて点滅を始める。そして、徐々に頭の痛さが増してくる。そして最後に、歯車が消えて少し経った後で、大きな痛みが私を襲う。生活が立ち行かなくなるほどの、絶望的な痛みだ。  ただいま列島に台風が接近してきている。そして、私の心は暗澹としている。低気圧と嫌な気分のダブルブッキングだ。

        • しがらみ

           今日は何も書きたくない。  エッセイとして書くには十分すぎる出来事が、私の身に起こった。しかし私はまだ、それを言葉にしたくない。  昨日は下書きにあった文章でお茶を濁した。だが本日はその余裕すらない。  私の文章を書くモチベーションは、端的に言えば"憂愁"であった。(明確な目標もあったが、筆を動かす原動力は辛さである。辛くないと私の筆は動かない)憂き心に駆り立てられた私は、抱える絶望感を希釈して、解釈して、翻訳して、日々のエッセイに綴っていた。  だが、昨日今日と、辛さが文

        死にたい気持ちと共に、目標も忘れた。

          猫が好きです

           猫に翼が生えていたらと思う。  置物然として丸くなっていると思えば、急に颯爽と駆け出す。構ってほしくてこちらに来たと思えば、次の瞬間にはこちらへの興味を失う。私たちは彼らに気まぐれで、アンニュイの中に生きているような印象を受ける。  猫は柔らかい足の、その鞘の部分に鋭い鉤爪を隠している。これが、彼らの溌剌たる運動性を保証する。彼らはその爪故に、高さを恐れず木に登る。彼らはその爪に担保された運動神経から、鼠を殺す。それはアクロバティックな運動で、アンニュイさからは程遠いものだ

          猫が好きです

          吐き出したって吐き出せない物もある。

           頭痛が酷い。まともに立っていられないため、今日は終日ベットに寝転がっている。普段はパソコンで執筆している私だが、本日はそれ故スマホである。おそらく文体に差は生じないだろうが、私の精神状態は普段とは違う。寝転がっていると何もできない、頭が痛いため読書すらできない。それ故、思考の世界に身を落とすしかない。自分の世界に没入するしかない。だが、思考がまとまらない。モヤがかかっていて、ろくにものを考えられない。それなのに、不安や絶望や恐れは絶え間なく浮かんでくる。……。  いつもより

          吐き出したって吐き出せない物もある。

          逃げ道を作る

           恋人に怒られた。私には可愛いところがある。スキが増えるたび、フォロワーが増えるたびにLINEで逐一恋人にそれを報告していた。それに関して、一言。 「一喜一憂するな、数字に踊らされずに毎日エッセイを継続しろ」もっともな意見だ。耳が痛い。私の恋人は私の特性を完全に理解している。  「褒められたら浮かれるし、貶されたら必要以上に落ち込むから、君は他人の評価を気にしない方がいい」 ……。  まだ皆さんに貶されることはないものの、明らかにスキが少ないとき、私はひどく落ち込む。評価さ

          逃げ道を作る

          弱さを認めても何も見えてこない

           今日は久々に人に会った。荷物を受け取る必要があったのだ。それは事務的な対面だ。私はサインをした。日付と、名前を書く欄があった。日付がわからなかった。私は受付の女性に今日は何日か吃りながら聞いた。彼女はそれに答えた。私は答えを聞き、素早く紙にサインを書いた。そして、逃げるように彼女の元を後にした。  その後、喫茶店のトイレで泣きながら吐いた。私は病んでいる、そう思った。   ここ数年、胸にある異物感が取れない。それは、増長したり、縮小したりする。しかしそれは、常に私の心に付き

          弱さを認めても何も見えてこない

          身の程を知る

           「note毎日投稿はどう? 何か心境に変化はあった?」  昨日、高校時代の友人から聞かれた。私はnoteに毎日エッセイを投稿している。エッセイとは日常に目を向ける作業だ。何もない毎日から、何かを抽出する苦役だ。私は彼に、  「いいねがもらえると嬉しいし、いいねがもらえないと悲しい」とだけ述べた。浅はかな感想である。実際noteに投稿すると、いいねが多くつく文章もあれば、全くつかない文章もある。そこにクオリティの差があるとは私は思えない。そもそも、無職である私の毎日に質的な

          身の程を知る

          思い出の代わりに頭痛がある

           快晴で、酷暑だ。今日で8月が終わる、すなわち夏が終わる。夏は私に二つの異なるイメージを想起させる。一つは活力で、一つは退廃だ。  二つのものは私の中で奇妙に親密に結び付き、活力が退廃を、退廃が美を伴い、官能的な魅力を引き起こす。しかし、活力に同伴した退廃以外は、ただの怠惰だ! 私の今年過ごした夏は、イメージとは異なり、ただの退廃した季節。ひたすらに暑さを憎み、日光を憎み、世間を憎んだ、ただ暗く、ジメジメとした、腐敗した季節であった。  そんな夏が、今日で終わる。俗な言い方を

          思い出の代わりに頭痛がある

          卵が先か鶏が先か

           家事をすることが多くなった。学生時代、殆ど学校には通わず、出席日数・単位数ともにギリギリで卒業した私だったが、それでも毎日家を出、図書館や映画館で時間を潰していた。それ故、家事は専業主婦である母に任せっきりの生活が続いた。父は父で働いていたし、私も名目上は学校へと通っていた(両親は私が学校をサボっていることはもちろん承知していた)ため、家にいるのが母のみであったからである。しかし、今春から我が家の事情は変わった。家にいるのが、母だけでなくなったのだ。無論、加わったのは私であ

          卵が先か鶏が先か

          どうしていつもこうなのか

           今朝起きると右目に違和感を感じた。痒さと共に異物感がある。洗面所へ行き、鏡で自分の姿を見た時にゾッとした。右目の白目が、赤く膿んでいるのだ。直ちに眼科へ行かねば。しかし、手元の時計は十一時を指していたため、午後から医者にかかることにした。取り敢えず、暇を潰す為に、ff14にログインしてメインクエストを進める。その後、昨日買った星野源のエッセイを読む、恋人と通話をしながらマインクラフトをする、和訳がされていなく、英語で書かれている故毎回読むのを後回しにしていたDoris Le

          どうしていつもこうなのか

          冷たいもの

           私は祖父の死に目に会えなかった。  祖父との最後の邂逅は、彼が死ぬ一日前のことである。痩せ細った祖父の命を維持するのには、少々大仰にも見える人工呼吸器をつけられた彼のもとに訪れた時だった。蝉の声が嫌にうるさかったのを覚えている。  彼は私の姿を認めると、祖母にジェスチャーをし(右手の人差し指を動かしただけである)人工呼吸器を外させ、そして私に何かを懸命に伝えようとした。荒い呼吸で、懸命に音を発している。声として認識できる音よりも、口から空気の出される音のほうがはるかに大き

          冷たいもの

          何者でもない私たちにも生活はある

           私は無職だ。目的もなく、日々をのうのうと過ごしている。私の人生は無限に停滞している。親の貯金を貪って、時間という蝋を溶かし、若さの炎をか細く燃やしている。その炎は今にも消えてしまいそうなほどに弱い。その炎とは人生という暗闇を照らす、希望の光であるから。  それ故私は、自分の存在に不安を感じる。私より年下の球児たち・バスケットボールの日本代表・二十四時間テレビに出ていた方々、その全員が、目的を持って、希望はなくとも、自らの命の炎で未来を照らして、毎日を生きていた。そして、私た

          何者でもない私たちにも生活はある