【感想文】こんな時だから『ペスト』読もうぜ(その5)

どうもどうも。みんなマスク受け取った? 郵便受けの中にソレを見つけた時の俺の率直な感想は「アベノマスク来た(笑)」だよ。この(笑)はなんなんだろうな。

さて、前回小説の描写に基づいて似顔絵を描いたらリウー先生がスティーブン・セガールに似てしまう、という不測の事態に。面白かったんで他の七人も描いてみたところコーキ・ミタニ風のキャラが発生。登場人物によって描写の濃度がかなり違うんでしょうがないんだよ。

コタールなんて『小柄』以外ほぼ何も書いてないしな。一応相関図的なものを作ったんで最後に貼っつけとくよ。文字だけよりは分かりやすいんじゃないかと思うぜ。しかしPagesってすげぇな。昔だったらイラレ使ってただろうけど面倒くさくてさ。試しに使ってみたらほぼ何でもできるのな。

素敵なことに『ペスト』はずいぶん売れてるらしいし、相関図も完成してなんかスッキリしたんで、次回からは感想文らしく自分の好きなところだけピックアップしようと思うけど、一応月並みな感想も述べておきたい。この作品が普遍的だ、とかそういう当たり前のやつね。

まずはタルーの私的な記録から。

言うまでもなく、タルーはペストの経緯についても要点を述べており、同時に、ラジオが死亡者数を、週の合計ではなく一日に九十二人、百七人、百三十人の死者、と報道するようになった時点で、感染の新たな局面が到来した、と記している。『新聞と有識者はペスト相手に試合をしている。百三十は九百十より少ないという理由で相手を負かしたつもりでいる』
Needless to say, he outlines the progress of the plague and he, too, notes that a new phase of the epidemic was ushered in when the radio announced no longer weekly totals, but ninety-two, a hundred and seven, and a hundred and thirty deaths in a day. “The newspapers and the authorities are playing ball with the plague. They fancy they’re scoring off it because a hundred and thirty is a smaller figure than nine hundred and ten.”

これと逆の現象がこの国でもあったよな。例えるなら『煽ることこそメディアの使命である。感染者数が減ると都道府県ごとではなく全国で何名、という具合に合算し始めた』ってとこか。最近ようやく分母を示すようになったけどな。

そしてリウー先生。どうやらこの疫病がヤバいやつだ、と結論して知事や他の医者たちと一席設けるんだが、参加者はみんな責任を取りたくない。日和ってる奴らとの議論のシーンだ。長いんでざっと斜め読みしてくれ。

知事は割って入った。
「先生のお考えは、こう受け取れるわけですが、これがペストでないとしても、法の介入による感染拡大の予防措置法を直ちに施行すべきだ、と?」
「もしどうしても私の見地を示せと仰るなら、まさにそのとおりです」
他の医師たちはざわついた。リシャール医師が皆を代弁した。
「つまりこういうことですよ。我々の責任に於いて、この伝染病がペストであるかのように振る舞え、と」
その意見は参加者の賛同を得た。リウーは答えた。
「どう表現しようが構いません。要点はこうです。市民の半数が命を落とす可能性がないように振る舞うべきではない、と。でなければ実際にそうなり得るんです」
“Your view, I take it,” the Prefect put in, “is this. Even if it isn’t plague, the prophylactic measures enjoined by law for coping with a state of plague should be put into force immediately?”
“If you insist on my having a View,’ that conveys it accurately enough.”
The doctors confabulated. Richard was their spokesman.
“It comes to this. We are to take the responsibility of acting as though the epidemic were plague.”
This way of putting it met with general approval.
“It doesn’t matter to me,” Rieux said, “how you phrase it. My point is that we should not act as if there were no likelihood that half the population would be wiped out; for then it would be.”

リウー先生の誠実かつ巧みな訴えは功を奏し、今では誰でも知るところとなったロックダウンが実施され、オラン市は世界から孤立、第二章からは八人それぞれの、壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。先回りすると当時世界からの応援はラジオを通じてのことだった。

『オラン、一緒にいるよ!』ラジオは感情的に呼びかけた。いや、違う。医師は一人つぶやいた。人を想うか共に死ぬか―「それしかない。彼らはあまりにも遠い」
“Oran, we’re with you!” they called emotionally. But not, the doctor told himself, to love or to die together― “and that’s the only way. They’re too remote.”

この作品が書かれてから七十余年。現在の状況はぜんぜん違う。感染は世界規模だし、なんつったってインターネットがある。製薬会社は国境を超えてワクチン開発に取り組んでいるし、遠い場所に居る人とだって映像付きで会話可能だ。カステル先生はより早くワクチンを作れただろうし、リウー先生は療養中の奥さんと、顔を見ながら会話できただろう。

それなのになぜ、この意思決定の様子に「ありありとした現実味」を感じるのか。それが問題なんだ。

卑しくも『世界なんとか』って冠付けた組織にバイアスのかかった人間置いてんじゃねぇよ。「まだパンデミックではない」とか「マスクは無意味だ」とか言ってた能無しのナマズヒゲはこれ千回読め。暗記して総会で発表して謝罪して辞職しろバーカ。

なーんてね。奴らが何やってんだか知らないし、特に影響もないからいいんだけどさ。他にも全く効能のないハーブがデマで売り切れちゃうみたいな「あるある」描写が随所にあるんだけど、そんなの別にいいよな。何しろ実際に体験してるんだし。トイレットペーパーが売り切れまくった時に(なんで? 煎じて飲むと効能あるとかいうデマ?)って、俺マジで考えたもん。

以上がありふれた感想で、この作品の面白さは『そういうところじゃねぇ』ってのが俺の主張。公的には「感染者か否か」「生存者か死亡者か」という分子か分母に集約されてしまう一個人が、それぞれの立場でどう振る舞い、どう変わって、あるいは信念を持ち続けて、目の前の苦難を乗り越えたのか。その普遍性こそが語られるべき部分なんだよ。

久しぶりに読み返して改めて感じたんだけど、どのキャラにも(あ、俺もこうかも)あるいは(こうありたい)って思える部分があるんだ。この機会に、ちょっと不気味な、良い事の起きそうもないタイトルの傑作を読む機会を得た人たちには、是非何度も読み返して欲しいと思うんだよね。

最後に、俺がこの小説を読んで(ああ。自分の行動原理ってこれなんだ)って気づいて、以後心の拠り所になってる、恐らく誰にもピックアップされないであろうタルーの言葉で締めようと思う。

「私の関心事はただ一つ。心の安らぎを得るということなんです」
“The only thing I’m interested in,” I told him, “is acquiring peace of mind.”

ペストの人物相関図(やっと作ったぜ)

相関図


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