メガネの話

それは唐突にはじまった

割と遅い時間の特急淀屋橋行きに揺られて気持ち良く眠っていた。ふと目を覚ますと、樟葉に停車したところだった。 「あぁ、もう樟葉か…」とぼんやり思っていると、少し遠いところでモメ事が起こっているような声が聞こえてきた。

「オイ!メガネ降りてこい!!」 「びびってんのか!メガネ降りてこい!!」 「かかってこいや!メガネ!!」 といった類の怒号が繰り返されていた。おそらくチンピラAが一般人に対していちゃもんをつけているのだろう。実は一人でメガネの降霊術に勤しんでいる可能性も無くは無いが。

連呼されたメガネ

さて、そこで少し気になるのが繰り返し発されている「メガネ」という単語である。 メガネは単なる視力矯正器具である。そのフォルムと使用箇所の関係から、オシャレにも使えるがそれは二次的な使用法だ。しかし、チンピラAは明らかにメガネという単語を蔑称として使用している。 メガネが蔑称たりうるためには、本人がそれについて劣等感を抱いていなければならない。また、社会通念としてメガネが劣等感の象徴であることも必要条件だ。 執拗に繰り返される蔑称としての「メガネ」について考えてみた。

序列としてのメガネ

かりに、KOKISHIKIがメガネをかけていて、チンピラAに絡まれていたとする。その時、チンピラAは「メガネ」を侮蔑するだろうか?答えは「否」であろう。多分「デブ」という。 同じように、池乃めだかがメガネをかけて(以下略)答えはやはり「否」であろう。多分「チビ」という。 このように、罵倒語としては「身体的特徴」>「メガネ」であるということが導きだされる。 つまり、「とりたてて身体的特徴の無い人」に対して「メガネ」は蔑称として扱われるのである。

次に、「メガネ」以外のモノが蔑称となり得るか考えてみたい。もちろん、ここでは前提として「身体的に特徴のない人」を想定する。 絡まれた一般人が、異常にデカいカバンを持っていた場合、チンピラAは「カバン降りてこい!!」というだろうか?微妙なケースではあるが、多分「否」ではなかろうか。 同じように、一般人がすごく目立つ腕時計をつけていた場合(以下略) これも微妙なケースではあるが、「腕時計かかってこい!!」と言わないような気がする。

というわけで「身体的特徴」>「メガネ」>「その他装飾品」という図式が成り立つ。 では、なぜ「メガネ」だけが「その他装飾品」よりも不当に低い扱いになったのであろう。 それはやはり「丸出だめ夫」から連なる「野比のび太」への系譜が多大な影響を与えていると思う。彼らの偉大なる功績が、世に「メガネ=比較的アカン人」というスティグマを記してしまったのだ。 ただし、ここで見落としてはならないことが「何故に丸出だめ夫はメガネをかけていたのか」という点である。 やはり、そこには無数の「メガネのダメな人」の存在があったのだ。そして、そのデフォルメの結実としての彼らが生み出され、それがよりメガネにとって不利な印象を与えるというスパイラルが誕生したのであろう。

復権されるメガネ

つまり「メガネ」は蔑称として足り得るモノだったのである。 但し、近年に至っては『メガネ男子』(アスペクト社)という本が出版されたり、『めがね』という映画が公開されたり、また『メガネもの』というジャンルの人気は根強いものだし、その権利は回復に向かいつつあることは考慮にいれたい。

とりあえず、チンピラAは「メガネ」を罵倒し続けていたが、割と遅い時間の特急淀屋橋行きの乗客が、そんな安い挑発に従って途中下車すると思ったのだろうか?彼は確実に「どうせ降りてこない安全な敵」に向かって吠えていたのである。それに、そんなに腹立つなら電車に乗り込めばいいものを、一向にホームから動こうとしない。それはつまり、チンピラAには割と遅い時間の特急で淀屋橋ブッ飛ぶワケにはいかない事情があったのだろう。とても冷静な損得感情が働いていたのだ。

世界から無視されたチンピラ

私はというと、特急からの連絡が遅れてバスに乗れない事態が心配であった。同じように思っていた人はたくさんいたはずだ。ハッキリ言ってチンピラはいつ何時でも迷惑だ。「メガネ」が連呼される度に乗客の顔はウンザリしていた。しかし、京阪電車はさすがプロである。駅員がかけ寄って騒ぎを大きくしてしまうこともなく、チンピラAの存在など全く見えてないかのように「4番線ホーム、電車が発車します」と言うや否や、プシュー…とドアを閉めたのである。 チンピラAはもちろん動き出す電車に詰めたが、車掌が笛でそれを一蹴した。 加速する車窓から、誰からも構ってもらえなかったチンピラAを眺めた。

一応「乗客トラブルで云々…」というアナウンスはあったが、ダイヤについての言及はなく、またその必要もなかったのであった。 

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