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私とポケモンの原点、町田、がつながった

ポケモンとの出会いと長きに渡る付き合い

 姉が先にゲームボーイで、たまごっちの育成ゲームを買ってもらったのを見た私は、自分もゲームが欲しいとねだって、父と一緒に、今はとうになくなったゲーム屋に行った。それは幼稚園生の頃であった。

 そこで、私は運命的な出会いをする。
 ゲーム屋に貼られていたポスター。
 それには、赤い竜、リザードン、が印刷されていた。

 どんなゲームがあるのか、またどんなゲームで遊びたいのか、よくわかっていなかった私は、そのポスターに引き込まれた。
 なんかすごいぞ、こいつ。
 子供ながらにそう感じたらしい。

「このゲームがいい」

 というわけで、そのゲームはポケモンということ、当時の子供達の間で人気が出ていたこと、なんて知識は知らずに、ただただひとめぼれで、人生最初のゲームをポケモン、君に決めたのだった。

 ちなみに、ポケモン効果なのか、そのとき在庫があったゲームボーイポケットの色はブラックしかなかったが、ゲームがやりたい私は、そんなことおかまいなく「黒でいい」と言ったのだった。普通、欲しい色の本体カラーがなければだだこねそうなお年頃なのに、ゲームをやりたいという気持ちはそれを上回ったのだ。

 夢中になって買ったわりに、とても小さかった私にとっては、ポケモンは少々難しく、途中から姉が独占して遊んでいた。なんともなさけない話である。

 その後、当時通っていた公文式でポケモンショックのことを知り、ポケモンはアニメ化していたのか、ということを遅くながら知った。

 そして長きに渡る休みののち再開されたアニメポケモン。
 サトシとピカチュウが別れそうになりながらも、お互いの絆を感じ、一緒に旅を続けるというエピソードは、幼い子供ながらに感じるものがあった。
 これが私にとってのはじめてのアニメポケモンだったけれど、ゲーム同様に「ただものじゃないぞ」と思わせた。

 といういきさつを経て、私はポケモンっ子になった。

 思春期になって、ポケモンが恥ずかしいという気持ちになったり、マイナーチェンジ版がめんどくさくなって最後までクリアしなかったり、とムラはあったが、だいたいのポケモンのゲームを遊んだ。
 またアニメはある程度は追っかけてみたり、映画も特典目当ての時はあったが、そこそこ通ったりしたものだ。
 つかずはなれずの関係を続けていて、正直、ポケモンが大好きな人には負けてしまうところはあるが、それでも「ポケモンは好き?」と尋ねられたら「うん!」とはっきりと答えられるぐらいには、今でもポケモンが好きだ。

町田、ポケモンの生みの親の育ちの町であり、私の第二の故郷である町

 ポケモン好きであるが、そのポケモンについては、意外と知らないことがある。
 ポケモンってどんないきさつで生まれたのかとか、どんな考えで作品が作られていったのかとか。
 本や資料はあるにはあるが、それをすべて読んだわけではない。今から本気で追いかけるには、膨大な数を読み込まなければならないだろう。
 私は、ポケモンが好きなわりに、ポケモンのことについて、あまり多くを知らない。
 それでも、ポケモンには「好き」と言わせてしまう魅力があると思う。

 だが、何も知らないでいるのは、なんかもやもやする。
 そんな時、ある本とであった。

 ポケモンの生みの親、田尻智さんの伝記本だ。
 普通、伝記本って死んだあとに作られることが多いことを考えると、変わったことであると思う。
 でも、ポケモンについて知るいい機会だ。
 そう感じた私はこの本を読んだ。

 この本を読んで、ポケモンやポケモンの生みの親について親しみをさらに感じていった。

 それは、町田、にベースがあるということ。

 ネットだと「町田は神奈川県」だとかとネタにされる。
 ちなみに私は相模原生まれ育ちだが、確かに町田と相模原の距離は、地理的にも心理的にも近い、気がする。

 田尻さんは、生まれは別のところだが、育ちは町田であること、そしてポケモンのベースとなった、虫取りを体感したのは町田だったということを、この本で知る。

 一方の私は、町田に関しては、相模原と町田が隣り合わせであることもあり、高校時代・大学時代は、通学をはじめとてもお世話になった町である。

 人生初のゲームと、奇妙なつながりを感じた。
 それが不思議であると同時に、私は誇らしく感じた。
 こんな偶然、はたして人生でいくつあるのだろうか、と。

ポケモンと町田がつながった

 町田とポケモンのつながりを知って以来、私は「せっかくなのだから町田で、なにかポケモンで地域おこしをしてほしいな」とたまに思うことが出てきた。
 ポケモンは、意外と、世界的に有名になったわりに、田尻さんのことが知られていないなど、調べようとしないと知られていないことが多い、ミステリアスな一面がある気がする。
 とまぁ、個人的な感想はおいて、ポケモンで地域おこしをする、という活動をしているわりに、生みの親の町田でなにも動きがないことが、ちょっとだけもどかしかった。

だが、夢はいつか叶うものであるらしい。

 ついに、町田にも、ポケモンの地域おこしの一環である『ポケふた』が置かれることになった。
 このニュースが嬉しくてたまらなかった。
 町田とポケモン、そして私の第二の故郷がつながったのだ。


 これに関連して、2020年9月には、近くの児童文学館で展示会も行われると知り、絶対に町田に行くと決めた。

 と、この記事を書いたのは、このニュースが元である。
 でも、自分が好きだというものが、何かしらの形でつながるというのは、単にファンだからというだけではなく、もっと深いつながりを感じるという意味で、嬉しいものだ。

 これからの私はずっと、ポケモンを好きでいるのだろうか。
 それは分からない。
 けれど、ポケモンは、私の人生に、確実に影響を与えた。
 そして与え続けるだろう。

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