教科書を翻訳した話

最近、「スピントロニクスの基礎と応用」という本を翻訳した。その経緯をまとめておく。

翻訳のきっかけは、コロナの最初の緊急事態宣言で在宅勤務となったことだった。授業はオンラインでできるが(私の場合は対面よりオンラインのほうが評判がむしろよかった)、私は実験家のため在宅だとなかなか研究はできない。そこで勉強のために自分の専門とするスピントロニクス分野の教科書を読もうと考えた。若いうちに専門分野の全体像を把握しておくのは悪くないと思ったからだ。普段はなかなかゆっくり勉強する暇がないが、研究が再開できたらその知識が活きるはずだ。

どうせ読むなら外国の本にしようと思った。理由は、外国でやられていて日本でやっていないところはどこにあるかを知るのが有用だと思ったからである。いうなれば研究としての狙い目はどこにあるかの調査でもある。

ということでスピントロニクスの英語の教科書をamazonで探したら、最近出た本が一つだけ見つかった。それが翻訳した本である。amazonで買い(結構高かった)、裁断してPDFにした。同僚の先生が最近教科書を出していたのもあり、私もせっかくなので出版したいと思い、文字(テキスト)にしてgoogle翻訳にかけていみたが、とても自然とは思えない。専門書なだけあってよく考えないと意味がとれないところもあった。

少し絶望しながら冒頭からちまちまと一段落ずつ翻訳を始めた。全部終えるのにどれくらいかかっただろうか。少なくとも数ヶ月?以上たってようやく一通り翻訳し終えたので、出版社を探し始めた。翻訳をやっていたときは見切り発車だったので、この努力が無駄になったらどうしようと不安だったのを思い出す。(自費出版のサイトも見たりしていた)

一通り終わった頃には少しは大学に行けるようになっていたので、自分の書棚を見て目についた講談社サイエンティフィクのHPの問い合わせフォームから企画書のようなものを書いて送ってみた。駄目だったら片っ端から出版社をあたってみようと思っていた。数日たって連絡があった。思ったより好意的で、担当者さんが会ってくれることになった。この担当者さんと仕事をした知り合いの先生がプッシュしてくれたのもあり、幸いにしてトントン拍子で出版してくれることに決まった。既に原稿が一通り用意されたのが印象をよくしてくれた。

そこからは地道に原稿と元の本を照らし合わせて一文一文確認する作業である。思ったより大変であったが、こんなに一つの本を精読する経験はないので、大変勉強になった。使えそうな研究アイデアもいくつか得ることができた。

終わってみて。教科書を書くのは退官した先生が多いようだが、出版社としては若い人がもっと教科書を書いてほしいと思っているようである(これもアウトリーチかと思うので私も頑張らないといけない)。スピントロニクスといっても分野も広くいろんな話題があるわけだが、この経験を経て私自身ある程度どんなスピントロニクスの講演を聞いても、ああ、あの話ねと思えるようになった。結果論だが、昨年度は実験研究者としても試練の一年であったが、コロナの体験をうまくポジティブに変えることができたと思う。

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