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戦わずに生き残る人生の提案

何か商売を始めても、ライバルがいるのは当然。

自分がスタートした頃はまだそうでもなくても、後になって増えてくることもある。

出来ることが少ない自分が何とか生き延びてこられたのは、競争を避けてきたからじゃないかと思う。

競い合い勝ち進んでいくのは苦手という人に何か参考になれば嬉しい。

①苦手なことは全部捨てる

②周りの人の意見や反応を気にしない

③自分のリソースを洗い出す

④出来る人と同じ土俵に上がらない

⑤世の中の流れを見る

苦手なことは全部捨てる

今から40年近く前、私が若かった頃は、いい大学に入り大企業に就職すれば定年まで安心と信じている人が多かった。

実際私達の親の世代はそうだったから、子供にはそのように伝えるのは自然な事だと思う。

私は学校の勉強はほとんど駄目で、中でも数学が壊滅的に苦手だった。

ここで死ぬほど頑張ってせいぜい平均ぐらいまでいったところで元々頭のいい人には勝てない。

大学にいかなければ就けないような職業への興味もなかった。

なので早々と頑張るのをやめた。もし高校を卒業出来なくても死にはしない。そんな感じだったので本当に0点を取ったりして卒業できないと脅されたけれど、何とか奇跡的に卒業できた。多分まぐれだと今も思う。

苦手な事を勉強しなかった事は後悔していない。やっぱり私には要らなかったから。元々出来る事が少ないというのに、苦手な事まで頑張っている余力は無い。

わりと早くからバイトを経験できた事も自分の人生ではプラスになったと思う。どこかで働くという事、お金を稼いで生きていくという事に目を向けるようになったので「どこに入れるか」という思考よりも「どうやって稼ぎ続け、生き延びていけるか」で物事を考えていた。

苦手な事を必死に頑張って多少ましになったところで、そこからの競争に勝っていけるとは思えない。その事を将来仕事で使うかというと使いそうな気もしない。

何をやったら自分が生きていけるかで考えた時、高校を出てからは、もうしばらくバイトを続けた後20歳で京都に出てきた。田舎では仕事の種類が限られているので、少しでも得意な事を生かせるかもしれない方面に進むために。

絵の好きな人募集というので見つけた京友禅の仕事は、働きながら学べるというのは元手がかからないし、丁稚奉公のような感じだったけれど十年やったら独立というのにも魅力を感じた。

この頃から、高い学費をかけて大学に行くのは、将来それ以上に稼げるようになってこそ意味があるのではないかと思っていた。今、奨学金を借りて返せない人が多いのを見ると間違いではなかったかなと思う。

周りの意見や反応を気にしない

子供の頃から、家族も親戚も優秀な人ばかりだった。自分がそこに並べないことは、自分が一番よく知っている。私はそこで頑張ろうとは思わなかった。

占いの仕事を始めて人のお悩みをお聞きしていると、周りから言われる事を気にして凹んでしまっている人は多いし、こうしなければいけないのになぜ自分は出来ないのか・・という思考で苦しんでいる人も多い。

いい方法は、周りの環境から距離を置く事。自分が距離をおこうと思っているのと同じくらい、大抵周りからもそう思われている事は多いから、ありがたいことに相手からもちゃんと距離をおいてくれる。

自分の家族、親戚、子供の頃育った地元の人達、その頃の同級生から、どう見られるとかどう思われるとか、誰々はこんなに凄い事ができているのに自分は・・・とか余計なことを考えている暇があるほど人生は長くない。

たとえその中で誰からも相手にされなかろうが、地球上にどれぐらいの人数の人間がいるか考えたらそこを気にするのは無意味というもの。死ぬほど数学が苦手は私でもわかる。

どうせどこにも知り合いもいないなら好きなところに行ってそこで新しく人と知り合い、好きに暮らせばいい。

これを基本にしているので、仕事を選ぶ時、それにたどり着くまでに、続けていくためにどうするかというところで「人にどう思われるか?」を気にして動いた事はなかった。もちろん法律に触れる事はしないけど大丈夫な範囲で。なので、気にしなくていい事まで考えすぎたために出遅れたりした事は無かったと思う。

自分のリソースを洗い出す


本当になんの取り柄もない人というのはいない。

たとえ周り中から100回そう言われようが、そんな事は気にしてはいけない。

今は、一昔前なら考えられなかったような事を仕事にしている人が数多く存在する。仕事の種類も本当に増えた。仕事を自分で作ってしまう人だっている。

大人になってから知った事だけれど、どこの大学に入るか、どこに就職するかで人生の全てが決まると思われていた時代でも、そうでないところでけっこう生き延びている人というのが世の中に沢山存在する。それを思うと今は可能性が広がったとも言えると思う。

一流大学卒業、一流企業就職を果たせなかった人は、低賃金で過酷な労働を続けるしかなく、それで体力が続かなくなったら病気でくたばるか物乞いをして暮らすしか道はないと言われていた頃でも、それを本気にしなくてよかったと今も思う。

女の場合は、頭はパーでも外見が美しく魅力的であれば稼げる男性と結婚して経済的安定を手に入れる道もあると言われていた時代だけど、自分にはそれも無理だろうと最初からそこで勝負しようとも思わなかった。

ここでも同じ。勝てない競争には参加しない。実際この年まで生きてみて、付き合った男性の経済力で美味しい思いをしたことはただの一度もないので、やっぱり間違っていなかったと思う。

これは仕事になりそうだとかならなそうだとか先入観は一旦全部捨てて、子供の頃まで遡って自分が出来る事を探してみよう。

夢中になれる事

熱くなれる事

時間を忘れて没頭できる事

人から一度でも、これが得意だねと言われた事

まだチャレンジしていないけど興味がある事

今すでに若くない年でもそんな事は関係ない。占いの仕事を始めて色んな人を観てきたけれど60代でも70代でもチャレンジする人はするし、うまくいくことは十分可能。人生が100年以上あるかもしれない今の時代、早々と諦めてはいけない。

出来る人と同じ土俵に上がらない


最初の仕事を選ぶ時も、学歴が一番と言われた時代に、そこから大きく外れた事を選んだ。その仕事を今でもやっているわけではないけど、その経験は役立っているので選択は間違いなかったと思う。

次に商売を変えた時。きっかけは観光地の土産物の店で似顔絵の仕事をやらせてもらえる機会があったこと。今までの仕事は着物や帯の仕事だったし、日本画をもう一度勉強し直していた時ではあったけれど人物画には全然馴染みがなかった。

でもチャンスがつかめそうな時は乗った方がいいのは直感でわかる。「出来ません」と言えば全てはそこで終わる。

もうすでにプロで上手い人は沢山いる。その仕事をしている他の人の絵を色々と見る程、気分は落ち込み絶望的になってきた。でももここでどうするか。

人の描いている絵を見て、カラフルなイラストが多いのに気がついた時その反対をいこうと思った。同じ画風でいけば上手い人は山ほどいて、自分がそこで勝負していけるとはとても思えない。他の人に比べて拙さが目立つのは目に見えている。

自分が使いやすい日本画の画材を使い、その頃でももう古いと言われていた色紙に墨で描くような方法を選んだ。やっいる人がほとんどいなかったから。それでも描いた事のない人物画には苦労したけれど、元々描く事そのものが好きなので練習が辛いとは思わなかった。

描き直しても描き直してもなかなかうまくいかないまま一晩中描き続けて朝を迎え、そのまま仕事に行く事もよくあった。

そんな状態で始めても、スタートしてしまえば慣れていくものだ。その後占いをスタートした時も、趣味でやっていただけで接客が大嫌いな自分ができるだろうかと思ったが何とかなった。占いも、その頃は少しブームになりかけたという頃で、今のように大手企業が参入してきている業界ではなかったし、まだ世間では占い師と言うと怪しい仕事と思われたり胡散臭いと思われる事もあった時代。そういう時だからやろうと思った。

聞こえがいいからとか、皆がやりたがって殺到している仕事だからというので選べば過酷な競争にさらされる。

世の中の流れを見る


最初の仕事を選んだ時、独立資金を貯めるためと世の中の様子を知るために、仕事が終わった夜や休みの日に水商売のバイトをしていた。

今のようにネットで何でも調べられる時代と違い、携帯電話すらなかった頃なので。住み込みの仕事場で外へ出る事もなく、風呂を取るか食べ物を取るかで悩むほどお金も持っていなかった時なので、自分から世間の情報を取りにいかなければ何も知らないまま生きていく事になる。

独立して自分の商売をと考えているのにそれではまずいと思い、出てみた外の世界はバブルの絶頂期で別世界だった。私が朝から夜遅くまで毎日十数時間働いてやっともらえる金額が、ここでは席に座って2〜30分、お酒を一杯飲んだだけで消えていくお金なのだと知った時は衝撃だった。

その頃は不動産業界が好調で、景気良くお金を使われるお客様が多かった。祇園、先斗町も賑やかで、朝まで飲む人が多く、帰りはタクシーが足りなくて始発電車で帰れる朝までどこかで時間を潰して帰るという事も珍しくなかった。着物業界も、この頃はまだ何とかいけていた。でもこれからどうなるか・・・

私は十年を待たずに仕事を辞めて、自分で得意先を探し独立する道を選んだ。十年頑張ってから独立すれば、得意先も紹介してもらえるけれど、外に出て色々聞く中で、その頃までこの業界がいけているのかあやしいと思えたから。

実際、独立して数年後には廃業することになったけれど、それがあるかもしれないという予測の範囲内だったので何とかまた違う道で生き延びる事ができた。繊維業界が最悪の状況になり、次々と会社が倒産していった時代。今更つぶしがきかないしもう終わりだと絶望して自殺する人も多く出るという悲しい時代だった。

その頃より何倍も世の中の変化が早くなった今の時代、これから世の中がどうなっていくか、どういう産業がこれから伸びるのか、何が消えていくのか、知っておく事は大事だと思う。今やっている事が永遠に大丈夫という保証はない。

まとめ

周りにどう見られるか何を言われるかなど気にせず、自分の得意分野で勝負する。苦手な事は全部捨てて得意な事に集中。人が殺到するところは避けて少しズレたところを狙う。その中でも、今の世の中の流れは意識して、変化に対応できる用意をしておく。









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