余談①映画マトリックス1〜3部作を観た感想

機械が人間を支配し、人間を培養しつつ人間が見ている夢(プログラム)をエネルギーとして利用し続ける世界。
夢の中にいる人間は、そこにいることが現実だと思い続けている。

公開当初にマトリックスを観た時は、夢、機械、アクションという感じだけで漠然と面白いと思うだけだった。

いま観ると全然違う。笑

主人公たちは機械の支配下にある夢を見させる装置から目覚め、機械の支配を止めるために立ち上がる。的な話。

現実だと思っていたものが夢だった、というところが面白くて、実際にも明晰夢というものが存在する。
夢の中でこれは夢だと感じたり、目が覚めた時に夢だと思えないくらいリアルだったりするやつだ。

マトリックスの中では、スミスという監視プログラムが夢のなかに居る人間を乗っ取り、次々と自分と同じ姿に変化させてしまうシーンがある。
じゃ、主人公たちも乗っとればいいじゃん?と言いたいところだが、主人公たちは自分達の支配下にいない為やすやすと乗っ取ることができないのだ。
これがすごく興味深くて、これって映画の中だけじゃなく、現実でもそうなんじゃないかと思ったわけだ。

現実でいうところの支配とは、機械ではなく、シガラミだったり、ルールだったり、脅迫概念だったり、何かと強制するものに置き換えられる。
一見、物理的なことに思えるが全て心が創り出していることだとわかる。
なぜなら、強制とはシバリであり、シバリは各々の価値観(心)によって度合いが違うからだ。
こうでなければいけない、というルールは誰が決めるでもなく自分自身が決めることなのである。

この強制(シバリ)に心が支配されている人間はやすやすと他人の心に乗っ取られる。そう、まさしく監視プログラムに乗っ取られる事と同じなのだ。
マトリックスの主人公のように心が解放できている人間は入り込む隙が無く、むしろ相手の中に飛び込んでいった(まんま)笑。

世の中には知る事を恐れ、恐れに対して見てみぬふりをする人間もいる。
自分の代わりはどこにも存在しないのに、どこかの誰かに身を委ねている。
傷つくのを恐れるのは、人間として当然のことだ。
だけど、傷つき恐れることを知っているのは他の誰でもなく、自分自身であることに気付かないと、いつまで経っても夢の中からは解放されないだろう。
他人やシバリに乗っ取られ、そこに自分自身は存在せず、肉体をただただ動かす機械と化す。

わたしは人間として生きる(自立)ということを理解するために今ここにいるのだ。

あー、本当に気付けて良かった。

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