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祝福

社会人になってから、およそ3ヶ月。一人暮らしを始めてから、およそ4ヶ月。自宅と会社を行ったり来たりする日々。趣味は、家に帰ってから寝るまでの数時間と、週末の家事以外の時間に詰め込んでいる。

最近は家に帰るとすっかり脱力してしまう。水道代の支払いをしに行かなきゃいけないことや、病院の予約をしなければいけないことーー生活における小さな「雑用」が一つずつ後回しになっていくたびに、少しずつ自分が嫌いになっていった。今日は仕事終わりの電車の中で、週末にパスポートの更新し忘れていたことに気づいた。相変わらずいつも何かに追われていた。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」

耳につきそうないつものアナウンス。駅前のスーパーの入り口では、小さな花束が売られている。繊細で可愛らしいのに、ぴかぴかな野菜や果物に比べて自信がなさそうな花たち。前からずっと気になっていたが、落ち込んで帰ってきた時に買おうと、今まで買わずにいたのだ。桃色のカーネーションと真っ赤なバラが印象的な花束をレジに持っていくと、店員がビニール袋に入れてくれた。一緒に買った牛乳や野菜はリュックに詰め込んで、花束は両手で抱えて店を後にした。

生暖かい空気に包まれながら、家路を辿った。春が過ぎ、少し明るさの残る空には半月が光っていた。輪郭が少しぼんやりして、紺色の空に溶けていくような月。再び花束に目を落とすと、花びらが風に吹かれて小さく揺れていた。

引越し、おめでとう。
就職、おめでとう。

花が、月が、優しい手で、私の心を持ち上げてくれているようだった。一人暮らしの寂しさと、社会人生活の忙しさの中で、新生活が「おめでたい」ことだとはまだ感じられずにいた。季節の変わり目の柔らかい風は、そんな自分の脆い心のヒビを、静かに満たしていくようだった。精一杯頑張ってもできなかったことは、明日やればいい。

家に着いた頃には、辺りはほとんど暗くなっていた。街全体が、働くモードから休むモードへと切り替え始める時間帯。花束に乱暴に貼られた「500円」の値札が、愛おしく風に揺れた。

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