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「出産に立ち会う」ということ

先週の火曜日、日本代表のベルギー戦の日、第二子が産まれた。23:19分、入院してからほぼ24時間後、難産?だった。

23:19に産まれて、そこから約2時間後25:30過ぎに病院を後にし、ベルギー戦を見た。ベルギー戦を見終わった後の感想は、「大迫、半端ないって、」ではなくて、

「助産師さん、半端ないって、」という感想だった。

「絶対に負けられない戦い」だったのに負けちゃったベルギー戦については、1秒で忘れ、僕は、出産という、「絶対に出てくるんだけど、いつ出てくるのかは誰にもわからない戦い」について、思い返していた。

僕は幼少期からずっとサッカーをしていたので、もしも生まれ変わったら、大迫のように半端ない選手になりたい。というわけではなく、もしも生まれ変わったら、女の人になって、助産師さんになりたい。そう思ってしまうほど、

「助産師さん、半端ない」って思った。大事なことなので、2度言ってしまった。


何を半端ないと感じたのだろう。

助産師さんから、発せられる母体と子どもへの信頼感が、半端ない。

なかなか進まないお産を前に、僕は「本当に産まれるのかな、大丈夫かな?」なんて不安に感じてしまっていたが、助産師さんから、そんな不安げな様子は1ミリも感じない。

「あなたなら大丈夫。」「100%大丈夫」どこから湧いてくるのかわからない、でも確信をもってそう信じ切っている。

助産師さんの
「そうよ、ここ、ここに集中して、そう!はい、今、イキんで!上手ねえ、いいわよ!」という声と言葉を今でも思い出す。その言葉から感じるエネルギーが半端ない。

助産師さんには、いろんな所作、言葉がある。その全てに通底していたのが、産む母と、産まれる子、それぞれの持っている力を信じ切っていること。

産まれる前から、やっと産まれたその瞬間の、子の泣き顔と母の安堵する顔が、既に、目の裏に焼き付いてあるんじゃないかと思う。

これまで僕が人生で耳にした、どの「大丈夫だよ」よりも、大丈夫感が、半端じゃない。

なんなんだろう、あれは。
陣痛が来て、初めて会った助産師さん。会って初めて数時間の人に「大丈夫ですよ」と言われて、「きっと大丈夫だ」そう思えることってあるんだ、僕のこれまでの人生ではなかった。だから、驚いた。

本当のほんとに心の底から、母と子の力を信じているんだと思うし、信じること以外出来ない、ときっと思っているんだと思う。目の前の人達が、100%の力を発揮することのみに、自分の力を注いでる。

お産が進まない、だから焦ってアタフタ、なんていうこともない。母の状況、子の状況を正確に見極めながら、折れそうになる気持ちにただただ寄り添い、励ます。

一歩間違えば人が死ぬ。
生きるか死ぬかの状況。
そこで、微塵の揺らぎも感じさせない、
「大丈夫」の一言。

あなたなら、大丈夫。
どうしてそう言えるの?
私が大丈夫って信じてるから。

助産師さんの何が半端ないとかもうよくわからない。

産まれるまで、助産師さんが、母と子にかけ続けた「大丈夫」の言葉。


その「大丈夫」を、産まれた後死ぬまで2人にかけ続けるのは、きっと僕だ。

出産に立ち会っていたのは、
その「大丈夫」の言葉を受け取るためだったんだ、と、ふと今思った。



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