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川の記憶

朝の7:30、保育園に向けて、車を走らせる。保育園までの道のりの中に、飯能河原という僕の住む街を流れる大きな川が、眼下に見える道路がある。家から車で走って3分もしない場所だ。

物心ついた頃から変わらない、僕の原風景。15年前も、川は変わらずにそこにあって、変わらずに緩やかに流れていた。


川で遊ぶことは、夏の日差しに包まれた僕らにとって、日常だった。海に行くことは、ディズニーランドに行くような一大イベントだったけど、川に行くことは、家の近くのスーパーに行くくらい、お手軽なことだった。

どこの川に行くかを決めることから、僕らの遊びは始まっていた。

行き先は、メンツと気分と気温で変わった。7,8人で連れ立って、自転車を漕ぐ。ツーリングだ。僕の住んでいた街には、車のよく通る道とそうでない道がある。僕らはそれを心得ていて、車のあまり通らない道の、道幅いっぱいに、横並びに自転車を走らせていた。


川に着く。何をしようか。無限を感じさせる水の流れと、無限の自由がそこにあった。どこからが危険で、どこまでが安全か、記すものは何もなかった。僕らの感覚センサーが頼りだった。水の透明度、色、流れの強弱、「見る」だけで大体ヤバそうなポイントがわかったし、「そっちはヤバイんじゃね?」っていうやつが1人でもいたら、大体それ以上はやめた。

僕たちは、着替えを持っていなかった。荷物を持ってると自転車のスピードが遅くなるし、すぐ乾くのを知っているからだ。お母さんの一言は、いつも余計に感じられた。それに、濡れたTシャツは鞭のようにしなり、叩き合う遊びもできる。僕たちにとって、身軽で動きやすいことが大事だった。「ヤバイ怒られる、逃げろ」や、「ちょっとみんなで隠れてあいつ驚かせてやろうぜ」って思った時に、最大限のスピードを出したいから。

僕たちは上島竜兵と、出川哲朗が好きだった。「やめろやめろ、押すな押すな」と言っている人がいて、ドボンさせちゃう人がいる。テレビと違うのは、みんなが代わる代わる上島竜兵ポジションになり得ることだった。誰もが押して押されて、「やめろやめろ押すなって」と、竜兵になりつつ、「ヤバイよ、ヤバイよ」と、出川にもなる。そんな本当にアホすぎる時間を過ごしていた。

川遊びで好きだったのは、水切りだ。滑るように、川を渡っていく石の姿を見る。会心の一投で、13回跳ねたと思いきや、次の一投は3回で終わる。成功の法則を見つけたいけど、見つからない。同じ形の石はないし、腕も投げるたびどんどん疲れてくる。ミラクルな一投を追い求めて投げ続けていたら、次の日上腕二頭筋が筋肉痛になった。



川で遊ぶことは、僕達の日常だった。

群れて、道幅いっぱいに自転車を走らすことは、大人の牛耳る社会への僕らなりのささやかな抵抗。

びしょ濡れのTシャツは、遊んで興奮している僕らの熱を冷まし、乾くまでの間だけ、僕らは冷静でいられた。

底の見えない川。飛び込む、身体が宙に浮く、孤独。浮かぶ、重力を感じる、友達の顔。不安と安心のスイッチを交互に押していたら、電池が切れて、僕らは大の字になっていた。

竜兵の如く、「押すなよ」と言った彼の手は、誰かの背中を押していて、押す時は楽しいけど、押される時は怖い。楽しさと怖さと川と僕らが混ざりあっていた。

水切りをするのは、1人ずつとなぜか決まっていて、誰かの投げた石は、僕らの目線の焦点を1つに結んでいて、手に取る石は違うけど、見るのは同じ石だった。


川から帰った僕らは、明日を待ち遠しく感じながら、水の底にいるように深く眠った。


川で遊ぶ時、着替えを忘れることはないし、ささやかな抵抗を試みる相手はもういない。誰かの背中を無邪気に押していた手は、固くハンドルを握る手に変わっていて、僕らの居場所だった川は、時おり見下ろす風景になっている。
そして、いつのまにか僕は、大人になっていた。

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