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棚を作りたいけど家が狭い人はどうすればいいのですか?

家から一歩外に出て、場所を探しましょう

ベランダの棚を作りたいと思ったのですが、ベランダでは作れなくて、マンションの前のごみ捨て置き場の目の前の道に、ブルーシートを広げて作る。このゴミ捨て場の前が、ちょうど車の動線に引っかからなくてちょうどよい。

棚の部材は部分的に組み立ててあって、今日の作業は、①部材の組み立て、②ペンキ塗り、をすること。12時くらいからスタート。

当然子ども達に遊ばれるでしょう

組み立てたらペンキを塗りぬり。
子ども達も塗りたいと言ってくる。汚れてよい服にあらかじめしておいて、ぬりぬり。

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塗り終わったら、画伯はここでもお絵かきをしたいと言い出す。うちの弘法は筆も場所も選ばない。棚の間で、絵を描く。

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ある程度ペンキも乾いて、触れる状態になったら、登り出して、オンザステージ、な状態に。閑静な住宅街に響く、「カーモンベイビーアメリカ」。ママが手を握っていてくれないと一人で舞台に立てないくらいビビっている中での不安をかき消すかのような熱唱。

道行く人の生暖かいまなざしを浴びるでしょう

12時から17時過ぎまで、作業していたけど、たくさんの道行く人の生暖かいまなざしを感じる。車の動線には引っかかっていないけど、ドライバーの人から見ると異様な光景なので、「んっ!?」という視線。

散歩中のカップルは、突然の音程外した「U・S・A」の熱唱にくすくす笑って通り過ぎる。1時間後もまた通って、ニヤニヤしながら子どもたちを見て笑っていた。


駐輪場でよくお会いするマンションの住人のママさんは、「棚いいな~うちのベランダにも作ってほしいなあ~」とお世辞交じりに通り過ぎていくし、次男と同い年の子どもがいるマンションの住人のパパさんは、苦笑いしながらベビーカーを押して出かけていく。暗くなってきたころ、棚の2段目に潜り込んでいた長男を見て、散歩中の老夫婦のおばあさまが、「あら~」と目を細め、話しかけてくれる。

午後いっぱいを使って、棚が完成。夕方、道のライトに照らされた棚は、なんか雰囲気よかった。ここに、テーブルを置いて、ビールでも飲んだら、楽しいんじゃないかな、と思ってしまうような。

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家から一歩外へ出て、DIYしてみてどうでしたか?

家から一歩外へ出て、DIY

広くて作業しやすいし、汚れは全部ブルーシートに落ち、片付けも楽。子ども達ももう分別がつくので、見えないところに行くことはしないし、かつ家の中より広くて、近くには雑草や石片、コンクリ片とか、DIYの端材や道具もあるので、遊ぶことには困らないしそれが豊富だから喧嘩もするけど、すぐに収まる。広いところでの子どもの喧嘩ってこちらも「キー!!」とならなくていい。

好意的な人と見慣れない光景を怪訝に思った人と半々くらいだけど、眼差しは痛くなかったし、嫌だと思う人はいなかったと思いたい。普段会わないマンションの人とただ通りすがる以外の接点が出来たのはなんだか嬉しい。ただ同じマンションに住んでいる人という関係を少しはみ出した気がする。

家の一歩外での何かが交ざりあう時間

家の前の道が、ただの移動、通過点の場で、主に車が通る場であった道。午後の数時間、少しだけ変わった。人が何かを作っていて、子どもが熱唱していて、それを面白いね、という人がいてなんじゃこりゃと思う人がいて。すごくいいねでもなくて、すごく嫌だなでもなくて、ちょっとした気持ちの動き、見慣れないものとの出会いが現実に起こる。テレビの中じゃなくて、具体的な見て聴いて触れる距離の中で。

ごくたま~に、「何かをしよう」と思う舞台の一つに、道が加わればいい。それも狭くていいし、少しの時間でもいい。別にそれが何になるってわけじゃないけど、お互いの手の届く距離の中で、視線が交わり、気持ちが交わり、お互いのもってる温度が混ざる。

都市社会、消費社会、へのささやかな抵抗

見慣れない人が何か物を作ってる、人んちの子が踊って歌ってる。ちょっと見慣れない、ちょっと得体のしれないものと交わる時間。便利で、自分の都合よく全てが進む、何でも買えば済む、人と関わらずに事が済む、都市の時間の中での異質な時間。

そんな時間がたまにある街に、僕はしたい。でないと、得体のしれないものへの拒絶感ばかりが増す街になる。得体のしれない顔の見えない(実際いるのかもわからないというか初めから不審者の人などいない)不審者ばかりにおびえる街になる。その結果は、誰の目にも触れずに生きづらさを耐え忍ぶ人が増え続ける街になる。

そんな街へのささやかな抵抗としての家を一歩外に出ての棚作り。



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