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私の使命はなに?~自分探しをしても見つからない

自分が打ち込める大好きなことがあって、それを仕事にしている人、あるいは仕事にしようとしている人は、迷いがなくて幸せな人ですよね。

でも多くの人は、特別に得意なこともないし、夢中になれることもなく、自分は何をして生きていくべきだろうかと、自分探しをしているのではないかと思います。
 
実際、私もそうでした。以前の記事でも書いたように、私は大学4年の時に、偶然新聞で求人広告を見つけたことから、気がついたらフランスで客室乗務員になっていました。

同期の人たちの中には、元々フランスが好きでフランスに住みたいと考えていた人もいるし、客室乗務員になることが夢で色々な航空会社の入社試験を受けている人もいました。
 
また、1986年に男女雇用機会均等法が施行される前だったので、日本の会社では女子社員は男子社員の補佐的な仕事しか任されず、日本の会社に見切りをつけて転職した人もいました。
 
そういう目的意識や入社の理由がはっきりしている人たちは、自分の仕事に迷いがなく、結婚しても(多くはフランス人とですが)仕事は辞めずに続けていて、中にはチーフパーサーやインストラクターにまで昇進した人もいます。
 

そんな中で、2年くらいで会社を辞めて日本に帰国してしまった私は、何もかもが中途半端でした。

フランス語も大してできるわけではなかったし、職歴としても客室乗務員という特殊な仕事だったため、普通の事務職としての経験もありませんでした。
 
結婚して子育てをしながらも、このまま自分は外で働くこともなく、妻や母としてだけ生きていくことになるのだろうかと思うと、焦る気持ちが募るばかりでした。
 
その時になってやっと、自分が手放してしまった仕事やパリでの生活がどんなに貴重なものだったのかに気づいたのでした。
 
「あのままパリにいればよかった」とか「結婚なんかして東京に戻らなければよかった」とか、どんなに後悔したところで、過去は変えられるわけではありません。
 
そんな後悔の念に苛まれているのは、時間とエネルギーの無駄以外の何ものでもないのですが、自分探しの真只中にいた30代から40代の頃は、辛いことあると過去の記憶を美化して苦しんでいたように思います。
 
 


先日、テレビのワイドショーで偶然見た脇屋友詞氏のインタビューで聞いた言葉が衝撃的でした。

脇屋氏は高級中国料理店『Wakiya一笑美茶樓』のオーナーシェフであり、テレビ番組のアイアンシェフとしても有名な料理人です。
 
しかし驚いたことに、料理の道に進んだのは自分の希望ではなく、15歳の時に易学者の父親に何の相談もなく「山王飯店」に修行に出されたことから始まったそうなのです。
 
脇屋氏は、若い頃は鍋洗いばかりの辛い毎日で辞めたいと思ったこともあったけれど、この道しかないと決めて頑張り、その後は独創的な料理を編み出し、料理人としての大成功を収めています。
 
自分の好きなことを仕事にできる幸運な人もいるけれど、人から勧められたことをやってみたり、仕方なくその仕事を引き受けたりしたとしても、そこで自分のエネルギーを注いで仕事に打ち込むことで、道が開ける人もいるのだと思いました。
 
「自分の使命はどこか別の場所にあるはず」と探し続ける前に、今与えられた仕事を大切にして、心を込めて仕事に取り組むことで、想像もしていなかった新しい展開が生まれてくることもあるのかもしれませんね。


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