ベッドと和解せよ

「先輩聞いてくださいよ、土日で友達とキャンプ行ったんですけど面白いことあって、バーベキューの後に友達が、あれいや、バーベキューの前だったかな?バーベ前だったかもしれないです、でそのときに、あっ、そういえばバーベ中に友達がダイオウイカ持ってきてて笑、どおりでハイエースが生臭いと思ってたんですけど笑、あ、そんで、バーベ前か後に友達がふざけて地面に五芒星を描いたら、ベッドと和解せよ」ん?

「が顕現しちゃって、もうみんなでどうしようってなっちゃって笑、武器といっても火炎放射器くらいしかないし笑笑」

ん?何だ?

こいつはとんでもない虚言癖なのでいつも話を"音"としてしか聞いてなかったのだが、何か引っかかった。

「今なんて言った?」

「え?空飛ぶカニの大群がスイミーみたいに固まって、デカいハサミに挟まって友達が連れ去られたとこですか?あれよく考えたらどうやって体支えてるんでしょうね笑」

「いや違、たぶんそのもっと前、ベッドがどうとか」

「ベッド?ああ、『テントの破壊帝王』ですか、だからそいつは心臓にペグ打ち付けたらおままごとセットのプラスチックでできたニンジンになったって言ったじゃないですか」

「違う、けどそう。まあいいや」
そうだ、"ベッドと和解せよ"そう聞こえたんだ。

和解せよ、ねえ。


この二週間、私の寝付きの悪さは最高だった。
いや、寝付きの良さが最悪だったのか。どっちでもいいや。

ともかく寝れなかった。アロマ、ストレッチ、ホットミルク、環境音、試せるものはなんでも試した。医者からの睡眠薬も増やしてもらった。炭酸ガスの入浴剤で風呂に浸かり、夜十時にはベッドに入った。
いつも最初はいい感じだった。アロマの香りで副交感神経のスイッチが入り、すっとベッドに沈みこんでいく感覚がする。

だが途中で急にベッドが硬くなる。硬くなったような気がしてくる。すると次は腰や手足の位置が合っているか気になってくる。
そうなったらもう終わりだ。腕を広げても、足を組んでも、うつ伏せでも仰向けでも横向きでもしっくりこなくなる。
そうこうしていると睡眠薬の効き目がなくなり、次第に頭や指先、足の節々が鋭く痛みだす。
気を紛らわそうと流す音楽やラジオはなぜか必ず過去のトラウマを呼び起こすキーワードを含んでいて、そのフラッシュバックとリフレインに苦しんでいるうちに、朝になっている。

朝方、気絶するように二時間ほど眠る時もあれば、一睡も出来ずに仕事へ向かうこともざらであった。

「…先輩大丈夫ですか?ルンバ修道士ですけど」

「……ん?何て?」

「だからクマ、目の隈。『くますごい』ですって、疲れてるんですか?」

今や、こいつの妄言なのか、私の幻聴なのかも区別がつかなくなってきていた。

「ん、そうね、ちょっと寝不足で」
私は午後休を取り家に帰った。



ドアを開け、まず目に入るのはベッドだ。
四畳半ワンルームに、クイーンサイズのベッドが入っている。
これがどういうことかというと、ベッドが「刀」なら部屋が「鞘」。これが倉庫番やスライドパズルなら解くのは不可能。それくらいみっちみちに詰まっていて、私の生活スペースはボンバーマンの対戦モードの初期位置(人間三人分)ほどしかない。

ボムで壁をぶち抜く訳にもいかないので、仕方なく狭い部屋でやりくりしているのだが、こうなったのにはもちろん理由がある。

元々このベッドは前の前の恋人と同棲する際、一緒に買った物だ。
結婚も視野に入っていた私達は、家具を選ぶ際も「一生物」を選ぼうとした。そして大手家具メーカーでこのベッドに出会い、その柔らかさにいたく感動した。二人はもちろん、将来的に家族が増えても暫くは一緒に寝れるような、そんなイメージを抱きながらこれを購入した。

だがイメージはあくまでイメージだ。
最初は広いベッドなのにシングルベッドのサイズ感でくっついて寝たものだが、徐々にスペースを有効活用し、しまいには中央に大きなスペースを空け、お互い反対を向くように寝ていた。

数年してあっけなく私達は別れた。
私は部屋に残り、相手は出ていった。
家具の分配をしたが予想通り、クイーンサイズのベッドは残った。
一人にちょうど良い部屋を探す余裕もなく半年が過ぎ、更新の時期が訪れた。

ベッドに愛着が湧いていて私は困っていた。友人に譲ろうか、泣く泣く売り払おうか。

という話を会社の同僚にしたところ、自分の部屋に置いてはどうか、と提案してきた。
後々聞いたら、告白のつもりだったらしい。
結局、私達は交際と同時に同棲を始めた。

1年してあっけなく私達は別れた。
今度は私が出ていく番だ。
恋愛に疲れ果て軽い人間不信に陥っていた私にとって、もはやベッドを手放す選択肢はなかった。
柔らかさや大きさに感動こそしなくなったものの、やはり愛着があった。物へ愛情を注いだとて裏切られることは無いだろう。


そうして今のワンルームに引っ越してきたのが三週間前。一週遅れて、元恋人の家からベッドがやってきた。やけに軋むようになっていて、おおかた引越し業者がどこかにぶつけたのだろうと思ったが、長く使っているので仕方ない、と独りごちた。

よく考えると、寝れなくなったのはベッドがやってきてからだ。
失恋のショックのせいかとも考えたが、ベッドの来る前、床で直に寝ていた時はぐっすりだった。むしろ一人になって清々していたのでその可能性はない。

となると、やはりベッドか。
頭の中では「ベッドと和解せよ」という言葉がずっと引っかかっていた。


私は何を思ったか、うつ伏せの大の字でベッドに寝て、シーツの表面を撫で始めた。トトロのお腹に乗るメイのような格好だ。

また体が痛くなってくる。指先や足に噛みつかれているような鋭い痛みだ。
それでも撫で続けるうちに、思い出した。
なぜこのベッドを買おうと思ったか。


ハルコだ。



幼い頃、私の家では大型犬を飼っていた。
はじめ、両親が保護施設から連れ帰ってきたそれは、ひどくやつれ、威嚇とも怯えともとれる鳴き声を発していた。
どうやら前の飼い主に虐待を受けていたらしい。

だが幼い私の目には、白い毛並みに大きな体、疲れて気だるげな目が、好きだったファンタジー映画に出てくる白竜に見えたらしい。その犬を見て「はるこん、はるこん」と舌っ足らずに呼んでいたようだ。

そうしてハルコは私達の家族になった。

最初はよく噛まれた。だが血だらけでも興味津々で向かってくる私に最後は根負けし、ハルコは気を許してくれた。

ハルコは賢く、人語を理解しているように見えた。私がよくおもちゃのニンジンを部屋に隠すと、ハルコは必ずすぐに見つけた。私が褒め称えると、ハルコは顔中が涎でベトベトになるまで私を舐めた。

一人っ子だった私にはハルコが兄代わりで、色々なことを教わった。ハルコが好物の炙ったイカを「待て」されている時は、私も一緒になって好きなお菓子を我慢した。

私はハルコの背中が大好きだった。ふわふわの毛と柔らかな脂肪、包み込むような暖かさ。よく抱きしめたまま眠りこけては、ハルコの背に乗って空を飛ぶ夢を見た。


私が就職し一人暮らしを始めてすぐ、ハルコは死んだ。
老衰での大往生ではあったが、死に目に会えなかったのがつらかった。
墓前で小一時間泣き続け、生まれ変わっても私の元へ来て欲しい、と縋った。


そして数年後、私はあのベッドに出逢った。
最初に寝心地を確かめたとき、あ、ハルコだ、と思った。
沈み込む柔らかさ、両手を広げても届かない大きさ、そしてあの暖かみ。

店員が「こちら人の体温で暖かくなるようになっておりまして…」と言い終わる前に、「これ買います」と言っていた。

それからベッドは毎晩、ボロボロに疲れた私を包み込んでくれた。一週間に一度はその柔らかさに改めて感動したものだ。休日には大の字のうつ伏せで、昼寝をするのが好きだった。



思い出した。なんでこのベッドを買ったのか。なんでここまで愛着が湧くのか。
思い出したのは、この体の痛みからだ。
最初の頃、ハルコが噛み付いてきた時の痛みとそっくりだった。

私はおもむろに顔を上げ、ベッド全体を見遣りながら呟いた。

「………ハルコ?」

次の瞬間、私はベッドの中に吸い込まれた。



目の前には、ハルコのような何かがいた。
体は元気だった頃のハルコそのものだ。ただ体が何倍も大きい。幼い私とハルコの大きさの比率のように、ハルコも大きくなっていた。
そしてハルコの頭は、正四面体のような立体の三角形になっていた。口だけがあいており、中から長い牙を覗かせた。

これはハルコだ。そして怯えている。
解ったのは、うちに来た時と同じ鳴き声を出していたからだ。
落ち着かせようと近づくと、右足を噛みちぎられた。
それでも両手で撫で続けると、次第に落ち着いてきた。

私は落ち着いたハルコの背中に乗り空を飛んだ。飛びながら、色々な話をした。

最期に一緒にいられなかったことへの謝罪。ハルコがいなくなってからのこと。そして今でもずっと愛しているということ。
昔のように、ハルコは静謐な顔で私の話を聞いてくれた。いつの間にか顔は元のハルコに戻っていた。

ずっと近くにいてくれたんだね。
そう呟くと、今更かと言わんばかりにハルコは小さく吠えた。

しばらくして着地したハルコは、おもむろにどこかへ行き、おもちゃのニンジンを咥えて戻ってきた。
ハルコの期待する目に笑いながら、仰々しく褒め称えると、ハルコはいつも通りベロベロに顔を舐めた。
体が大きい分、涎の量も多い。軽く溺れそうになりながら笑った。

そろそろ時間だ。体が上に戻ろうとしていた。
私はニンジンを遠くに投げた。
ハルコは当然のように追いかけたが、別れの気配に気付いて振り返った。
やっぱり賢い子だ。

私は上に昇りながら、できるだけ大きな声でお別れを言った。
ハルコはわかっているのかいないのか、切ない顔でこちらを見ていた。



そして、これからもよろしく。
ベッドの上で、私は呟いた。

顔周りはベトベトになっていた。それは私の涙や鼻水だったかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。



後日確認すると、元恋人が、私がベッドを受け取るまでの一週間、ベッドを蹴ったり踏んだり飛んだり跳ねたり、とんでもなく雑に扱っていた事が発覚した。私が憎けりゃ家具まで憎し、ということだったのだろう。
それでベッドの支柱にヒビが入り、軋むようになっていたのだ。

私はベッドの支柱を丁寧に補強した。
死ぬまで使うつもりだ。


「それにしても元気になってよかったですよー、先輩いないと話聞いてくれる人いなくてつまんないんで」

それはお前の性格に問題があるんじゃないか、そして私はお前の話を真面目に聞いたことはない、等々の言葉を飲み込んで、「そうね」と言った。

「……じゃあ和解できたんですね」
「ん?何て?」

「いやだから、シャバシャバしたゲロみたいですね、顔が」
「めちゃめちゃ悪口だし、なんか無理あるよ」

「何がですか」
「何でもない」

「それより今度カニ食べに行きません?キャンプで見てから食べたくなっちゃって」
「空飛ぶやつ?」

「なんすかそれ気持ち悪い。確かに友達は空に放り投げられてましたけど」
「デカイのはデカいんかい」


私は最近、毎日うつ伏せで寝ている。


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