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青天の霹靂的相続トラブル〜その2・死と不義理〜

こんなトラブルが起こると思っていなかった(資産はほぼない)相続。
ここに書き留めておかないと、後々弟夫婦のなすがままになりそうなので、徒然なるままに書き連ねておきます。


父の入院と病状の悪化、その間のお話

3月23日に入院した父。
LINEは相変わらず既読スルーですが、それはいつものことで「あ、見たならいいか」と安心しておりました。
今回はあくまで、今後自宅で暮らすための処置的な手術でしたから、2週間くらいで退院できるのではないかと思っていました。

ところが、その際に腎臓がかなり悪いことも発覚。
栄養は点滴で摂ることしかできなくなっていました。
足のむくみも酷くなり、「4月に会うのは自宅だね」なんて話していたのが退院は延期。
入院までは訪問診療のみで凌いでいたため、精密な検査はできておらず、結果的に発見が遅くなったようです。

面会登録は母と弟でしたが、母は毎日通うこともできないため、病院に確認して代理で面会に行くこととなりました。

4月は会話ができました。
毎月来るのはお金もかかるのだから…と毎回言われてる話、粗相をしてしまって落ち込んだ話、足のむくみのマッサージ。
短い時間でしたが、アレコレ話すことができました。

5月の1週間帰省。
1ヶ月後の父は、すっかり痩せてしまい、声を出すことも困難な状況になっていました。
本当にあっという間に病状は悪化していたのです。
眠っているところにお邪魔して目を覚ますのを待っていましたが、その気配がないので肩を叩いて起こすこととしました。
「声出すの大変」やっと言葉にした父。
腕をさすっていると「触られるの嫌い」というので、ごめんごめんと手を離し。
そういえば、昔かたマッサージなども好きではない人でした。

この間、弟がお見舞いに来ることはなかったそうです。

父の最期の時が近づく

父の声を聞いた2日後、容体は急変し、病院から呼び出しがありました。
母と急いで病院へ向かい、会いたい方は皆さんお越しくださいということで父の兄夫妻もすぐに駆けつけてくれました。
意識が混濁し、4人部屋だったところ個室に移動。
その時が近づいていると、否応なしに感じさせられました。

その日から母が付き添いで泊まることになりました。
昼間は私と交代。
私は病室で仕事をすることにしました。
父の兄や従兄が送り迎えに車を出してくれました。
それが本当に助かりました。

話すことも、人を判別することもできなくなってはいましたが、無言で黙々と仕事をしていると、唸り声のような発声。
話しかけると落ち着くので、やはり人の存在は確認してるんだなぁと認識しました。
痰を除去するのは辛かったようですが、それ以外は至って穏やかな時間。

亡くなる直前には父の姉も顔を出してくれました。
夕方には弟家族も顔を見せたようです。
(やっと、という感じです)

姪っ子はすっかり変わってしまったじぃじの姿にショックを受けていたとのことです。
どうしてもう少し早く、話せるうちに連れていくなりしなかったのか…(2人ずつなら登録してなくても会わせていただけました)

これまでのいろいろなことが頭に去来して、なぜか夜中まで仕事をしていました。
時計を見たら深夜2時。
ふとスマホを見ると、母からの連絡が入っていました。

父の死と向き合って

「もう、そろそろかもしれない」
母から告げられた瞬間、覚悟はしていたものの、あの時の私はきっと動揺していたと思います。
何かを感じてその時間まで仕事をしていたのか、いつその時が来てもいいようにできるだけ作業をしようと考えたのか、今では思い出せません。

すぐに従兄から連絡があり、迎えに来てくれることとなりました。
とにかく急いで向かわないと。

病院に着いた時、すでに父は息を引き取っていました。
その時を、母は横で見届けていたそうです。
眠るように、静かに。

医師が来て、最後の診察をしてくれました。

5月18日午前3時5分。

私が到着してから15分ほど経ったその時間が臨終の時間となりました。
東京にいながら、二重生活と会社の理解のお陰で、臨終には立ち会えました。

しかし、その場に弟は居ませんでした。
母は私たちに等しく連絡をくれて、そのまま来ていたら臨終には間に合ったはずです。
しかし弟は、家族を迎えに戻りました。
それは間違いではないかもしれません。

でも弟宅に車は2台あるのです。
どうして先に来れなかったのか…なぜ引き返さないといけないのか…

モヤモヤはしましたが、すぐに葬儀社へ連絡して手配、伯父の協力で先に家に帰り迎える準備を整え、家族の到着を待ちました。
(その日の夕方に父のベッドや不要なソファを外に出してくれてたのは、伯父と弟に感謝してます)

居間で仕事をしてたので、仕事道具を2階に運んだり、バタバタと時間が過ぎました。
父の入院前からですが、私のモヤモヤは弟の細かな不義理にあるんだなと、しみじみ感じる時間でもありました。

そして、次は葬儀の段階へ入ります。

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