見出し画像

素直な言葉と、丁寧な自己主張に溢れる、noteの独特な空気感が好き。

4ヶ月前、私がnoteを始めたきっかけは「がんの告知」でした。
まさに青天の霹靂。
仕事や子育てや、これからの治療についてや、親のことなど、頭の中がごちゃごちゃになる私に、がんは次々と人生の大きな決断を迫ってきました。

すぐにキャパオーバーになった私は、本棚に置いてあった一冊の未使用のキャンパスノートに、自分の思いの丈を書きなぐりました。
受診の経緯と医師の説明、これから自分はどうしたいのか、治療はどんなものがあってどれを選択するのか、最悪の場合の今後の生活はどうなるのか、それでも毎日前向きでいるためにはどんなことを心がけていくべきか、などを。

告知から数日間、子供の世話など生活に必要な最低限のことだけをして、そのほかの時間はひたすら思いついたことや、病気について自分で調べたことなどを日記に書き続けました。
すると、目前まで迫っていた津波のような出来事を、いつの間にか高台のよな場所から冷静に見つめている自分がいることに気づいたのです。
時間をかけて感情を文字にすることで、そして何度か後から読み直すことで、こんがらがった感情が少しずつ解きほぐされて、日記の中で整理されていったのです。

その日記は自分にとっての精神安定剤のような存在になっていったため、noteとしてアップすることで、私と同じように心がざわざわしている方々の役に立てるのではと思いついたのが、noteのアカウントを作ったきっかけでした。

日記に書き綴った文字たちを読みやすく再構築してnoteにアップすることで、noteは私の表明の場になりました。
人生の大きな出来事や、なんども繰り返し感じたこと、前向きな気持ちで過ごしていくために忘れたくないことなど。noteは自分の心の備忘録でもあり、「これからはこう生きるぞ」という決意表明の役割も果たしているのです。
また、noteにあげたことは自分の優先事項やとても大事にしていることで、アップしなかったことは今すぐに考えなくても良いことだと、自分の思考をはっきりカテゴリー分けする機能も果たしていると思います。

文章を書くというのは、集中力を必要とする時間のかかる作業です。
私はツイッターやインスタも使っていますが、noteにアップすることは特別な感覚で、心の奥から信じていることや長年習慣にしていることでないと文章にうまく表せないなと感じています。
何となくバズに乗っかってそのときの気分を数文字で投稿したり、非日常の数秒間をストーリーに切り取る作業とは大きく異なるのです。

ツイッターやインスタが「点」の表現であるなら、noteは「線」の表現であると思います。線の表現は手間と時間がかかる分、誤解が生じにくく穏やかに主張できるというメリットがあると思います。実際、noteではSNSによくある「炎上」を見かけることはまずありません。
読み手側も「線の表現」は時間をかけて理解しようとするので、丁寧な表現であふれたnoteには穏やかな空気がゆっくりと流れている気がします。
辛かった出来事を素直に文章にし、それに共感してくれた方が優しいコメントを残してくれたとき、「自分を深く理解してくれた」と感じられる「癒しのコミュニケーション」が生まれると日々実感します。

加えて、noteの広告が少ないシンプルなデザインも、独特の空気感を生んでいると思います。
余計なものがない空間は、自分の主張を自分の色で表現しやすいし、周りの空気に飲まれて無意識に主張が変わってしまうこともない、とても素直な空間です。
他のSNSではあまり感じることのできない、自分の今の感情や意見をきちんと表現し昇華できたという清々しさを、noteでは感じることができます。

PCにむかう実際の自分は、家にいたり、カフェにいたり、昼間だったり、夜中だったりと色々な状況にあるのですが、noteを開くと、どこかの古民家のだだっ広い畳の部屋で自分の感情に向き合ったり、誰かの気持ちに静かに寄り添い、語りあっているような気分になるので不思議です。

素直な言葉と、丁寧で柔らかな自己主張に溢れる、noteの独特な空気感がとても好きです。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?