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おかあさんへ

 「おかあさん、ありがとう、大好き」そう言いながら抱きついた私を抱きしめ返してくれましたね。でも、「私も大好きよ」とは言ってくれませんでしたね。代わりに、「おじいちゃんもおばあちゃんもあんたのこと可愛がってくれていたじゃないの、だから大丈夫よ」と言いましたね。既に鬼籍に入った人達は確かに私を可愛がりながら亡くなりました。けれども、今生きている人には嫌われているように感じて辛く苦しく生きづらい思いをしているのが現状です。生きているのが辛いです。

 私の生きづらさはどこから来たのだろうか。その答えをおかあさんに求めている訳ではありません。今はおかあさんが生きていてくれるだけで救われている自分がいて驚く日々が続いています。おかあさんは目の手術を失敗してから急激に弱っています。それなのに頼りにならない私にたまに腹を立てつつも昔のように「この家から出てけ!」と言わないおかあさんに私は親としての成長と私への諦めを感じてしまいます。最近のおかあさんは、言葉をとても大切にするようになったと思います。そして「最後に頼れるのは自分だけ!」と悲鳴のように叫んだあの頃と変わらずに自尊心が高いのだと想像します。

 だけど、弱音や泣き言、愚痴を私の聞こえない場所でしているのは知っています。先日、妹が仏壇に飾ってある私の写真を怖い目でじっと睨んでいるのを見てしまいました。私は嫌われているのだとその時初めて実感してショックを受けました。

 おとうさんは最近、私に「生きろよ、死ぬ気ならそれでもいいけど」と言いました。生きるためにいろいろやっているのですが、まったく手ごたえがありません。あせってはダメだと思っていても無理なようです。

 おかあさん、私より先に死なないでください。お願いですから!私はもう、生きていくのには手遅れでした。こんな子育ての結末を迎えてどう思いますか?失敗作(試作品?)でごめんなさい。そして、産んでくれてありがとうございました。まだ、もう1,2年は生きられる予定です。もう少しもがいてから最後を迎えたいと思っています。おかあさんに見守っていて欲しいと思うのは、わがままでしょうか?甘えでしょうか?

「おかあさん、大好きだよ」


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