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【予備試験・司法試験憲法】主張反論形式の問題の攻略法

今のところ、司法試験と予備試験の憲法はともに設問1で原告の主張、設問2で被告の反論と私見を問うという主張反論形式を採用している。

主張反論形式については数多くの問題点(論じる内容が重複する、水掛け論に終始する等)が指摘されており、試験委員会もその弊害に目をつぶることができなかったのか、平成30年の司法試験では主張反論形式を放棄し、リーガルオピニオン形式を採用するに至っている。しかし、結局、令和4年から主張反論形式を復活させ、今に至っている。予備試験に関しては、年度によって異なるものの、原則として主張反論形式を維持している。

まず、気になるのは、なぜ憲法だけ主張反論形式という特異な出題方法を採用しているかだ。これは、仮に主張反論形式ではなく、民法のようなオーソドックスな出題形式を採用した場合、どうなるかを想像すれば分かりやすい。

今年の予備試験憲法を題材に考えてみよう。

設問1 取材の自由が憲法21条1項に含まれるか論じよ。

設問2 取材の自由と公正な裁判の実現の要請が衝突するとき、その違憲性をどのような基準で判断するべきか、判例を踏まえて論じよ。

設問3 設問2の基準を前提に、本件において証言拒絶が認められるか論じよ。

皆さんは、このような出題を見たときに、どのように感じるだろうか。答えやすくはなっているものの、これでは単なる知識を問う問題になる。知識を問うのは短答の役割なので、論文では知識+αを測る問題にする必要がある(これは憲法以外の科目にもあてはまる)。

具体的に、αに該当するのは主に1論点発見力と2事案分析力である。自分が弁護士として憲法訴訟を起こす場面を想像すれば分かりやすいが、「取材の自由が21条1項に含まれるか」や「取材の自由vs公正な裁判の場合の違憲審査基準」についてはコンメンタールや判例データベースを調べれば一発で分かることだ。小学生でもそれくらいはできる。

弁護士としての力量が試されるのは、具体的な事案にどのような憲法上の問題が含まれているかを見抜く力(論点発見力)、数ある自由の中からどの自由を選択するか(権利選択のセンス)、判例の枠組みを当該事案に及ぼすことができるか(判例の射程)、判例と当該事案の相違点がどこにあり、相違点が結論にどのような影響を与えるかを考える能力(事案分析力)である。

予備試験や司法試験でも、基本的にはこれらの能力を問うていると考えてよい。さらにいうと、憲法は条文が少なく、判例の蓄積もまだまだ不十分であるため(戦後80年の蓄積しかない)、学説の存在感が未だに大きい。主張反論形式を採用することにより、判例だけでなく学説の知識を確認できることから、試験委員会は(やむなく)主張反論形式を採用しているのだろう。

まとめると、主張反論形式を採用する理由としては、次のようになるだろう。
1受験生の論点発見力と事案分析力を測る
2争点を明確化し、論点に関して厚く論じさせる
3学説知識の確認(判例だけを暗記する表層的な受験生の排除)

この仮説を前提に、主張反論形式の攻略法を考えていこう。

1主張・反論・私見のバランスについて


主張反論形式の主な目的の1つが争点の明確化であるとすれば、その目的さえ達成できれば主張反論形式に強くこだわる必要はないということを意味する。具体的に言うと、主張・反論は論点発見や争点明確化のための道具に過ぎず、厚く論じる必要はない。試験委員会が書いてほしいのはあくまでも「充実した私見」であり、ここを履き違えて主張や反論に多くの分量を割いてはいけない。巷では主張・反論・私見のバランスを4:1:5や3:2:5にすべきといった案が出されているが、私見を厚く論じることができればそのバランスはどうでもよい。現実的には、主張と反論をなるべく抑えて、リソースを私見に突っ込むというのが最善策だろう。主張や反論で目的手段審査を長々とやっているような答案では私見を厚く書くことは不可能だろう。

2NGな反論集


主張反論形式を採用している以上、試験委員会としては、少なくとも中身のある「議論」をしてほしいと考えていることは間違いない。ゆえに、「議論」の趣旨から外れたような主張反論は評価されない。

まず、「〇〇という権利は重要だvsいや、重要ではない」「××という規制は強いvsいや、強くない」といった水掛け論は議論とは言えないため、書くべきではない。多くの受験生はこのような水掛け論が不毛だと知りながら、書くことがないので仕方なく書いているかもしれないが、1点も評価されないと思うので、書かない方が(時間の節約になるので)マシである。

他にも、主張でA説を書き、反論でB説を書くだけの答案も、同様に評価されない。議論というのは相手の主張を前提に反論をしなければ成立しないので、単に学説をずらすだけのやり方では議論と呼べない。それは単に土俵をずらしているだけである。せめて、A説の問題点を指摘したうえでB説を提示すべきだろう。

また、主張反論と嚙み合わない私見もよくない。私見というのは、主張と反論の対立点に対して結論を下す必要がある。逆に言うと、主張と反論が一致している部分について言及しても、意味がないということだ。「裁量が狭いvs裁量が広い」という主張反論に対して、「裁量が存在する」という私見を書いても、それは双方に争いのない点であるから、的外れな私見である。

3対立点の上手な作り方


では、どのような主張反論を組み立てればよいか。オススメなのは、同一の立場に立った上で、評価を変える、という手法である。学説ずらしではなく、評価をずらすという手法のメリットは、同一の立場を前提にしているため、踏み込んだ議論をしている感を醸し出せること、さらに、学説ではなく「評価」を変えているため、問題文の事情が使え、事案分析ができているように見せることができることである。もちろん、この評価は「〇〇という権利は重要であるor not」といった抽象的な水掛け論ではなく、具体的な事実に触れながら憲法的に意味があるものでなければならない。具体的には、「内容中立規制vs内容規制」「主題規制vs見解規制」「消極目的vs積極目的」「パブリックフォーラム or not」「制約が存在するvs存在しない」「開業自体の規制vs営業の規制」といった、憲法チックなバトルが望ましい。そして、これらの主張反論にはある程度パターンがあるので、過去問演習でこれらのパターンのストックを作ることが望ましい。

そして、これらの対立点はたいてい1保障の有無2制約の有無3権利の重要性4規制の態様5裁量の広さのいずれかに該当するため、試験では上から順番に1つずつ検討して、対立点を発見していけばいい。特に、4規制の態様では有意義な議論を展開しやすい論点が含まれがちなので、重点的に検討してみるといい。

もちろん、学説ずらしが完全に意味がない、ということはない。学説の存在を提示するだけで、ある程度の点数が入る場合もあるからだ。なので、学説ずらしも一言、二言書いて、メインは評価ずらしで勝負する、というのが現実的な対処法だろう。

主張反論形式というのは問題点の多い形式であり、完璧な答案を作るのは非常に難しい。ある程度の妥協が要求されることは間違いない。その中で、点数を最大化するために何を優先すべきか、ということを考える姿勢が重要となる。その際には、目先の形式に惑わされず、「試験委員会の要求にこたえることができているか(=論点発見や事案分析ができているか)」を最優先に考えてみるといい。



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