【仏教心理学】マズローの「天上天下唯我独尊」
お釈迦様&マズローコラボコラムというのをやってみる(^~^)
さて、マズローがあの有名な図だけでなく、実は本も書いていたというのは、実に驚きですが(爆)、本を開いてみると、とんでもなく深い言葉を残しているりっぱな人だということがわかります。
もちろん、普通の意味での心理学の業績もすごいのですが、その心理学は単に人生をスムーズに生きるテクニックというだけでなく、マズローは、どうやったら人は人らしく、心穏やかに、みんなの幸せを願いつつ、自分の幸せを無理なく楽しく追求できるか、を考えた人でした。
これって、この時点でお釈迦様と似てますね。
(^~^)だから前回は理論的な話でしたが、今日はコラムとしてお釈迦様とマズローの類似点などを、理論的なことはちょっと脇において、その発言を中心に書いてみます。読んでもらえそうであれば、連載コラムにしようかな……。
さて、では、お釈迦様のことば……。
いちばん有名なことばはこれではないでしょうか。
(゚0゚)は!やべ画像間違えた!
天上天下唯我独尊の正しい意味はもちろんラオウのじゃない
間違った意味での「天上天下唯我独尊」をみこちゃん風に言い換えると「華麗にスルー&シカト人生」です。
お釈迦様がこういう態度は最も嫌っているというのは、このnoteでも何度も取り上げました。
でも、まあ、文豪太宰治も間違ってますしね……。
天上天下、の部分はいいんですよ。より正確にはこれは、仏教では「宇宙」を指すので、福沢諭吉のようなニュアンスではありません。仏教というのは、あやしいスピリチュアルではなく、ごく自然に理論的な必然性で「宇宙」ということばがたくさん出てきます。
いずれこのnoteでも「宇宙」ということばが飛び交うと思いますが、みこちゃんがスピに走ったということではありませんので、あらかじめ表明しておきます。
問題は唯我独尊ですね。
まず、「我」なんですが、ここで正しく理解しておくと、全部すっとわかります。
ここでいう「我」は自分自身=お釈迦様=そのことば読んでいるあなた自信、ではなくて、「かけがえのない私たち、一人ひとりが」っていう意味でした。特定の一人、自分とかじゃなくて、私も、そしてあなたも、そして、地球の裏側の人も、未来のまだ見知らぬ人もその一人ひとりが、っていう意味です。
正反対でしたね。
そして「独尊」。これは、たったひとつの、尊い命、使命という意味でした。
みこちゃん訳でつなげて言うと、こうなります。
「かけがえのない私たち、一人ひとりが、たったひとつの、尊い命、使命、目的を持って生きている」
そして、人は何のために生きるのか、尊い命のその使命、目的って何だろう、お釈迦様は何とははっきりここでは言ってませんが、それを探しましょうと促しているようにも聞こえます。
マズローも同じことを言っている
そして、その人間性の立派さにおいて、お釈迦様と同じ感じのするマズローさん。
やはり、似たようなこと、同じことを言っています。
例えば大学受験というのは、本来、自分が将来何に成りたいのか、何をしたいのかで決めるものですが、大部分の日本人は、大学に入ることそれ自体が目的となってしまうので、落ちたら人生終わり(唯一の選択肢が消えた)ってことになってしまいます。
でも、本当はマズローの言うようにその願望は、通常それ自体が目的なのではなくむしろ 目的に至る手段なのである。ですよね。
だから、大学受験って、何のためにするんだったっけなって、いうところから、その背景にはいわば さらにその個人にとって基本的な目的が存在するのが分かる、というわけです。
たったひとりの、かけがえのない自分の人生の目的、使命、そしてじゃあ、この授かった命ってどうやって扱っていったらいいのかな。
これがつまり「天上天下唯我独尊」を発見した時の、一人自分を見つめ直した時のことばでした。
その目的とは、いったい何なのでしょう。
それは、ひとりひとり見つける、見つけていくわけですが、そのヒントをお釈迦様も、マズローもいっぱい、残していくれています。
そうした珠玉のことばをまた、このコラムで取り上げていきたいと思います。
(^~^)
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