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【仏教心理学】神秘主義者あるいは宗教家はてまたヒッピーとしてのマズロー

 マズローというと、「自己実現」あの「欲求の階層ピラミッド」(ちなみにマズロー自身はあの三角形は少なくとも著作の中では書いていない。大学の授業などで板書したかもしれないが)などから、とっても現実的な人で、実務家タイプの心理学者というイメージがあると思います。

神秘主義者というよりは
アメリカ大農園の土地貴族の容貌?

 でも、マズローはかなり、神秘主義的な思想も持っていまして、みこちゃんの印象としては神秘主義的な印象のあるユングなどより、はるかに(15倍くらい)マズローの方が神秘的なものに関心を寄せていたと思います。

 今回は、そんな神秘主義者(うーん、厳密にはやっぱ「者」ではないけどね)的マズローの側面をご紹介します。

「至高体験」という言葉はマズローのもう一つのキーワード

「自己実現」が名が体を表すを表す状態のマズローですが、「至高体験」という言葉もマズローのもう一つのキーワードでした。では、実際のマズローの「至高体験」に関する文章を拾ってみましょう。

至高体験というとやはりこっち方面も連想すると思いますが……

 最高の幸福と充実の瞬間に得られる、B愛情の経験、親としての経験、神秘的、大洋的、自然的経験、美的認知、創造的瞬間、治療的あるいは知的洞察、オーガズム経験、特定の 身体運動の成就などにおける認識事態を単一の記述でもって「至高経験」と呼ぶ。

『完全なる人間』P 92

 ふむふむ。さっきのイメージ画像のものも入っていますね。

 別の本からも拾ってみましょう。

 至高経験という語は、人間の最良の状態、人生の最も幸福な瞬間、恍惚、歓喜、至福 や最高のよろこびの経験を総括したものである。このような経験は、創造的恍惚感、成熟した 愛の瞬間、完全な性経験、親の愛情、自然な出産の経験などというような、深い美的経験から でたものであることがわかった。私は── 至高経験という── 一用語を、一種のまとめられた 抽象的概念として用いている。

『人間性の最高価値』P125

 ここだけを切り取ると、完全に神秘主義者かなという感じもしますね。

神秘主義は仏教を始め世界の諸宗教のうちにしっかり根付いている

神秘主義は、世界中の諸宗教のうちに、それぞれの特徴をもって位置を占めている。原始宗教におけるシャーマニズムなども、神秘主義的エクスタシーの一つに数えることができるであろう。『ウパニシャッド』における梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想は、東洋神秘主義の華ともいわれる。ここに伝統を引くヒンドゥー教にも、仏教にも、神秘主義の色彩はきわめて濃厚で、ヨーガ禅定(ぜんじょう)、密教の修法などにその特色をみることができる。
 ユダヤ教にも、カバラKabbālāとよばれる口伝(くでん)教義のうちに神秘主義の流れがあり、これにつながるハシディズムHasidism(敬虔(けいけん)主義)はM・ブーバーを通して現代の思想界にも影響を及ぼしている。

「神秘主義とは」コトバンク
太字はみこちゃん
密教も神秘主義と言える

インド大乗仏教の末期(7世紀後半)ににわかに興起した一流派で、大乗仏教の『般若(はんにゃ)経』や『華厳(けごん)経』の思想や中観(ちゅうがん)派、瑜伽行(ゆがぎょう)派などの思想を基盤とし、さらにヒンドゥー教の影響を受けて成立したものであり、この密教の独立は『大日(だいにち)経』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』の成立によると考えられる。

 しかし、それより以前にも多くの密教系の経典が成立しており、さらに密教の萌芽(ほうが)は遠くベーダ時代にさかのぼるとみられる。すなわち、ベーダ時代にマントラmantra(真言)を誦(ず)して攘災(じょうさい)招福を祈ることが行われ、その後マントラを神聖視する思想も現れている。原始仏教教団では、治病、延命、招福など世俗の呪術(じゅじゅつ)や密法を厳禁したが、その後にはこれらの呪術や密法を認める傾向が現れ、大乗仏教時代には、大乗経典のなかに陀羅尼(だらに)(ダーラニーdhāranī)、明呪(みょうじゅ)(ビディヤーVidyā)が説かれるようになり、また独立の密呪経典も成立した。

「密教とは」コトバンク
太字はみこちゃん

一般人が「至高体験」を得るにはどうしたらよいか

 では、我ら一般人が「至高体験」を手にするには、やはり、密教の修行をやったり、ヨガを本格的にやらないとだめなんでしょうか。

 マズローは、けっこう簡単に言ってます。大丈夫そうですよ。

 至高経験を体験するための最も容易な二つの方法は(経験的報告に関する単純な統計 によるものではあるが)、音楽と性行為であることを、報告しておきたい。(中略)私は、い つの日か、性の問題を、笑い事ではなく、真剣に取り上げて、音楽や、愛や、洞察や、美しい 牧場や、可愛い赤ん坊を好む子どもたちに、天国に行く多くの道の中に、性と音楽とがあるこ とを教える日の来ることを信じている。この二つは、最も簡単で一般的な、最も理解しやすい 方法である。

『人間性の最高価値』P207

 セックスと音楽で大丈夫だそうです。さすがここはアメリカ人。とたんに世俗化しました(爆)。

 まあ、どの方法でやるかは、みなさまの自由なわけですが、マズローは晩年に近づけば近づくほど、こっち方面の探究に熱心になっていきましたね。

まとめ 精神的探究はどこかで「至高体験」とは切り離せない

 マズローはセックスと音楽ということでしたが、こういう方向に何かを見出すのは、アメリカの1960年代のドラッグ文化などもそうでしょう。

 今日の日本でのいわゆるスピリチュアルというのは、いろんな太古の歴史をそれぞれに語りますが、やはり今日一つのムーブメントになったのはアメリカのあの時代の「ドラッグ・セックス・ロックンロール」だと言っていいと思います。

 あれは哲学や神学の世俗化であったと思います。世俗化が悪いわけではないです。みこちゃんは仏教で言えば大乗仏教を好んで勉強していますが(私はアンチ上座部仏教です)、大乗仏教は小乗仏教からすると世俗化された仏教ですしね。

 今多分、マインドフルネスなどがブームとなっているのは、1960年代の動機のもと、別の形を取って大掛かりな宗教、あるいは神秘主義の世俗化が行われているのじゃないかな、という気がします。

 1960年代の米国ではその担い手はヒッピーでした。

 2020年代では、このムーブメントの担い手はドラッグなどやらないビジネスパースンや一般の主婦などではないか。
 彼ら彼女らがマインドフルネスを求めるのは、きっと1960年代の「ドラッグ・セックス・ロックンロール」の現代風に洗練された欲望の形なのかではないか、などと思いました。

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