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小説『衝撃の片想い』シンプル版【第二話】⑧

【本当の恋人】



「ルームサービスで部屋に入ってくる女性は、レベル1だから安心してください」
ゆう子はAZを触って、そう教えたが、こっそり『原因』ボタンで、友哉のPTSDについて調べていた。
――病院の水着の写真は誰のこと?
入力で「水着の写真」と入れて、さらにAZに問いかけるように訊く。口には出さない。頭の中で話しかける。
『相手の女性のプライバシーに関わることで答えられません』
――天井って病室の天井ですか
『そのようです。詳しくは分かりません』
――分からない? 何もかも知ってるはずでしょ。
『まさか』
――あっそう。あのさ、友哉さんは異常に優しいんだけど?
『そのままの男性でいてもらわないと困ります』
――困る?
『……』
――答えが出てこない。友哉さんのデータが出てこないのか、重大な秘密があるのか。
しばらくすると、次の一文が画面に浮いた。
『神の領域です』
――友哉さんは神?
『神様ではありません。怒りっぽいので』
ゆう子が笑うに笑えず、肩を落とした。もう一度、同じ質問をすると、『神様ではありません。女に甘すぎるので』と、また批判が戻ってきた。ふざけたわけではないが、同じ問いかけを続けると、批判が矢継ぎ早に出てきた。
――シンゲン・カゲウラさんでしたよね、Aiのひと。トキさんの仲間じゃない?
『AZのデータ管理者です。仲間? 友達のことですか。違います。我々のことは聞かないように。AZの操作法や友哉様の健康のことなどを聞いて下さい』
トキさんの代理人みたいな人からの答えじゃなかった。当たり前か。一人でこんなものは作れない。このAZはきっとある組織で作ったんだ。トキさんが本当にトップの人間だとして、トキさんの意見とその部下たちの意見。そして友哉さんのデータが入っているのだろう。それをまとめたのがシンゲンという人間かそんな名前のAi。もし、このシンゲンという人の意見も入っているとしたら、彼ら皆が友哉さんを特別に崇拝しているばかりでもなさそうだ、とゆう子は考えた。
――友哉様と呼ぶのも、怒らせないようになだめていたのかも知れない。今の友哉さんが激怒すると、確かにまずいことが起こりそうだからなあ。このAZ、破壊しちゃうかも。
テロリストとの戦いを思い出し、苦笑いをする。
ワルサーPPKからの赤い光線が気にいらない大統領らを仕留めることも可能なのだ。ゆう子は頭の中のその言葉はAZに向けずに、部屋の隅に投げるように呟いていた。
それにしてもゆう子は友哉が言った「水着の写真」という言葉が腑に落ちない。
――彼女の水着の写真を持っていたのか。恋人じゃなくて恋着していた元カノなのか。だったら、それも奇妙だ。元カノが見舞いに来ないのは当たり前だ。それほど絶望することもない。幼少の頃の娘の水着の写真だとしても、「水着の写真」という言い方にはならないはずだ。「娘の写真」と言うはず。名前を言えない女性の水着の写真。やはり元カノか。
看護婦に怒っていた。
ただの骨折が違っていたのは、医療ミスなのか。
彼には絶望的なトラブルが一気に襲い掛かってきたのか。
成田から、何もかもやる気がなさそうだったのも当然で、わたしの誘惑、本当に嫌だったのかも。男性を誘って嫌がられたのが初めてで、わたし、怒ってしまった。
ゆう子が少しばかり反省していると、頭を冷やしに洗面所に行っていた友哉が戻ってきて、ソファに座った。
「トキに何を訊いたのかな。そのデバイスで訊けるんだろ」
ゆう子が水着の写真のことを訊きたいと思っていたのに、友哉が質問してきた。
「あなたがPTSDだって」
すると、友哉は不機嫌そうな面持ちになり、
「君は戦争映画を観たことがあるよね。女優なんだから」
と言った。
「あります。出演したこともありますよ。妙な比較はしないでね。時代が違うから」
ゆう子がけん制すると、友哉はほんの数秒、続く言葉を作らなかったが、
「あんな悲惨な目に遭ったことはないし、ビルが爆発するのをまじかに見たこともない。9.11のことだ」
と言った。
「自分はPTSDじゃないって主張して、周囲がPTSDだと判断したら、100%PTSDになりますよ」
「君の判断は?」
「PTSDです。程度は分からないけど」
「あと、三人くらいに言われたら認める」
「ずっと思っていたけど、気が強すぎると思う」
「泣かないからってふられたことがある」
友哉が笑うと、
「笑わなくてふられて泣かなくてふられて…。女は難しいですね。もしかして、あなた…」
ゆう子が神妙な面持ちになっていた。
「気が強くて怖いもの知らずじゃなくて、本当に夢も希望もない人ですか」
と言った。友哉が答えないでいると、
「ごめんなさい。発作が出たばかりなのに。小説家の夢はないんですか。大作を書きあげるとか」
「発作が出たのか。そうだな。少し取り乱したのは分かっている。恋愛や病院のことで気分が急に悪くなることも分かっている。だから、恋愛をする気分じゃないって話で、じゃあ、心の病を認めてることになる。つまり正常だ」
「正常ですよ。冷静なくらいに。で、夢は?」
「ない。なんにも」
「それは異常」
「君には夢があるってことか」
「ひとつ叶った。少しの間、女優業を休むこと。本当は海外でのんびりするのが理想だったけど、このAZが楽しいから、マンションでこもっているのも悪くない。もうひとつは三年後にある人とお付き合いする」
と言いながら、友哉を指差した。友哉は照れる様子はなく、むしろ、表情を曇らせた。
「そんなにわたしがタイプじゃない?」
「違う。何度言わせるんだ」
即答すると、ゆう子はほっとした表情を見せた。
「例えば、愛していた女が死んだとする。一ヶ月後に女優がやってきて告白してきた。それに笑い転げるのか」
――なんて真剣な男性なんだ。軽さがまったくない。
「発作が起こった時に、誰かの名前を言っていたかな」
「いいえ。あいつって」
「あいつか。…彼女の名前を口にすると、貧血が起こるような感覚になる。きっと発作を助長するから、言わないようにしているんだ。どうだ、正常だろ。俺が俺のお医者さんだ」
「奥さんのことじゃないですね。成田とかで律子って口にしていたから」
「いつまで続く尋問かな。トキにもされたぞ」
友哉はそう言うが、微笑んでいた。
「トキさんも? 皆、友哉さんに厳しいんですね」
「自分で言ってるよ。じゃあ、優しくしてくれ」
「わたしの疑問に辛くならない程度に答えてくれたら、三年間、ずっと優しくする」
「そうか。不倫していた女だ。あいつがいなくなって、それから俺はただ、休みたいと考えていた。君が休みたいと思っていたようにね。夢のすべても無くした。その不倫相手が誰かは律子にはばれてなかった。だけど、彼女が俺の洋服を洗濯していたから、洗剤の匂いでずっと同じ女が俺の世話をしていたのはばれていただろうな。入院中、律子に離婚をされて、娘とは会えなくて、その恋人は失って、なんと足は動かない。その人生になんの希望があるんだ。それが突然、こんな体になった。健康になったのか、もっと不健康になったのか分からないが、気持ちは変わらない。ただ、のんびりしたいだけだ」
「その彼女はどうしてあなたと別れたの?」
「女が男から離れる時に、道徳的な理由があったら教えてくれ。つまり…」
「裏切られたの?」
「裏切り、はビジネスや反社の連中の言葉だ」
「?」
「恋愛にそんな汚い言葉は使わない」
「皆、使ってる」
「俺は使わない。皆って誰だ? 俺の世界だ、この空間は」
「……」
ゆう子が目を丸めたところで、
「話は終わりだ」
と友哉が言って、ソファから離れてゆう子に背中を向けた。窓の外をじっと見ている。
「陽が落ちて、道路の血が見えなくなった」
友哉が軽く窓を叩いた。拳を握ってる。
「こっち見て。街が血に染まったのはあなたのせいじゃない。その彼女のこと、相当大好きですね」
友哉は振り向かない。
「こっち見て」
「そんな話で君を見るのか。見てほしいなら、口にチャックをしろ」
「ここが日本のホテルならいったん出て行ってもいいけど、ワルシャワで二泊三日。しかも、街は大混乱。わたしを追い出します?」
友哉はようやくゆう子に体を向け、
「あいつはもういない」
と言った。
「嫌いになったって言わない。わたしはどうしたらいいの?」
「おい、付き合っていた恋人を別れた途端に嫌いだと言うのか。そんな悪趣味はない」
「……おい…。昭和のおじさん?」
「あいつは理解者だった。俺を理解しようと必死になっていた。君は…信じてほしいと言った。似ているよ。見た目はまったく違うけどな」
友哉が、くすりと笑った。
「どこの見た目?」
「お互い美人だけど、君は個性的で知的な美人。そして明るい。あいつは整った顔立ちの美人で童顔。あとは胸かな」
「ああ、ロリコン先生はわたしみたいなムチムチ、プチ巨乳はお嫌なんですね」
ゆう子が口を尖らせると、友哉が優しい笑みを浮かばせた。
――時々優しい笑みを見せる人。人を命懸けで愛した事がある男性のそれ……
「女の子に嫌われるのはきっと話し方が怖いから」
ゆう子がそう冗談を言い、苦笑いをした。
――わたしのこと嫌いじゃない。良かった。本当に恋愛をしたくない気分なだけなんだ。そうだよね。わたしが悪かった。
ゆう子は胸を撫で下ろしたが、それは違った。
友哉が、ゆう子に恋心を持てない理由は他にあった。
二人の間に、見えない壁を作っているのは、

歴史。

歴史は変えられない。

同じ頃、日本の都内にある新築のアパートで、若い女が暗い部屋でテレビニュースを見ていた。
一人暮らしのようだ。
「ワルシャワ、怖い。けど、日本人が活躍」
癖のある言葉遣いの独り言を呟く彼女は、モナリザが今風に変わったような顔をしていて、スリムな体は背が低めのモデルのよう。
「新刊買った。読むぞ」
やっと部屋を明るくした彼女は、佐々木友哉の新刊『また妻に会いたい』のカバーを開いた。
「もう映画化か。お金持ち先生、お金くれー。お母さんから結婚するように言われてるんだぞー」
愛しそうに、友哉の本を見つめている。本棚には彼のすべての著作が並んでいた。
「どんな顔か見たいな」
クスクス笑いながら、彼女はしなやかに体を動かし、小さなソファに座った。
「待ってたらだめ。わたしが行かないとっ」
彼女のスマホが鳴動し、親友からメールが入った。

『足の悪い彼氏はどう? うまくいってる?』

「淳子、しつこい。誰のことなんだ」
彼女はスマホを投げるようにベッドに置いた。

『宮脇利恵』二十五歳。
大手、すばる銀行の職員。
『水着の女』とは違う友哉の、

『歴史上の本当の恋人』である。

…続く


普段は自己啓発をやっていますが、小説、写真が死ぬほど好きです。サポートしていただいたら、どんどん撮影でき、書けます。また、イラストなどの絵も好きなので、表紙に使うクリエイターの方も積極的にサポートしていきます。よろしくお願いします。