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地の時代は『過去を生きる時代』、風の時代は『現在を生きる時代』になれるか?

宝塚歌劇団宙組の小劇場作品に、『FLYING SAPA』という作品がある。
いろいろなことを考えさせられる名作だ。
あらすじは公式サイトのリンクを貼っておいたのでそちらを一読して欲しい。
もし詳細が知りたければDVDのAmazonのリンクを貼っておいたので興味があれば。
本筋はそこではない。

登場人物にイエレナという女の子がいる。
地球から、のちに惑星ポルンカと呼ばれる水星に移り住む過程で、家族を皆殺しにされ、復讐に生きる女の子だ。
怪我をしても命を賭けて敵に向かっていく彼女に、恋人がこう言う。
『復習はもうやめないか』
しかし彼女はすごい剣幕で言い返す。

『私には過去しかない!私から復讐を取ったら何も残らない!あんたの説教じみた綺麗事はまっぴらよ!』

そして彼もそんな彼女を支えて戦場に返るわけだが。。

彼女の時は家族を殺された『その時』で止まっているのだ。
彼女はそこからは復讐という過去を生きている。
それが『現在というタイムライン』であったとしても。
だからこそ、彼女は『私には過去しかない』と語気を荒げる。
それしか生きる意味がないから。

次の例を出そう。みなさんは鬼滅の刃は読まれているだろうか。
あの中に出てくる黒死牟(継国厳勝)という人物を思い出して欲しい。

彼は人間時代を忘れてしまう鬼にしては、かなり人間時代を覚えている。
しかし、妻や子のことではなく、始まりの剣士とされる弟、継国縁壱との子ども時代、自分との能力差に気づいた瞬間、別れ、
大人になってからの再会、鬼狩りになったこと、日の呼吸を修得できなかった劣等感、
他のものも継承出来なかったことから感じる危機感。

彼は、縁壱と違って前が向けない。
縁壱を越える強さを求めて無惨の誘いに乗り鬼となり、
鬼としての記憶もやはり老いた弟との最後の戦い、そして弟の死だ。

彼の時間は、弟が自分より勝っていると気づいたときで止まっている。

彼はそれ以来ずっと過去を生きていたのだ。

未来を見つめてキラキラと生きる弟の横で、日の呼吸が体得できなかったことを過去に加え、
そして死んだ弟の強さ、呼吸、全てを求め続けて鬼として邁進していく。

でもそのことに何の意味もなかったこと、自分が本当に求めたものがそれではなかったこと。
最後の戦いの中でそのことに気づいた。
しかし、未来を見ていた弟は彼を迎えには来ない。
とっくに妻と天国に行っていたからだ。

地獄の業火に焼かれながら、彼は未来を見られるのだろうか。

それともやっぱり過去なのか。

本題に入ろうと思う。
こないだまで、冥王星は山羊座にいたわけだが、
そこを代表とする時代を『地の時代』とか、『土の時代』とか言うそうだ。
これは200年続いたそうだから江戸時代の最後くらいからだろうか。
私はこれを過去を生きる時代だと感じている。
未来を見ていられるのは学歴を積み上げるのが終了するまで。

そこからは『学歴という過去』と共に生きる。

下剋上しようとしたって生半可なことでは出来ない。
学歴の枠の外にいられるのは『血統』というもっとどうにもできないものだけ。

『学歴と血統という過去に縛られて生きた時代』こそ、地の時代である。

そして今、冥王星が水瓶座に入って、風の時代になろうとしている。

これからは、学歴ではなく、自分のやりたいことが仕事になり、やりたくないことはやらなくていい時代になる、ようだ。

まさに『現在を生きる時代』と言っても過言ではない。

地の時代から風の時代。

『過去』を生きる時代から『現在』を生きる時代へ。

過去を生き慣れた人間が、そんなに簡単に現在を生きられるのか。
早い人は既に現在を生きているのではないか。
確かにフリーランスは増えているし、働き方は多様性が見え始めている。
しかし一方でどうしても過去を生きるしかない職業というのも存在するのではないか。
医師や弁護士など、どうしても学歴や知識といった積み上げた『過去』が必要になる職業はある。
その過去にアップデートは必要なのだが、ベースはやはり過去だと考えていて、『過去を生きる職業』といえる。

移行するのは簡単ではないのではないのではないか。
完全に移行するのは無理ではないか。
私はいくらAIが発展しても『過去を生きる職業』はなくならないとみている。

それとも。

移行するのは意識上の問題であって、目に見えるところは大して変わらないのではないか。

議論は尽きない。

時間が経てば結果は見えてくるだろう。

私はその日を楽しみに待ちたいと思う。

『風の時代は現在を生きる時代になるのか』どうか

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