Momoko55

恵比寿で小さな制作会社をやっています。もともとコピーライターだったのに今はほとんどディ…

Momoko55

恵比寿で小さな制作会社をやっています。もともとコピーライターだったのに今はほとんどディレクター、プロデューサー業一本やりになってしまいました。毎日のできごとをエッセイでつづります。

マガジン

  • 私の町と大好きな人と

  • 上司の教え

最近の記事

3月26日東京の様子

昼間仕事で市谷へ。昼過ぎという中途半端な時間もあるのか総武線はすいている。ゆっくり座れる。 市谷駅前も若干少ない。駅前のカフェはすいている。明らかに「普段よりすいている」。 帰りは荷物が重いのでタクシーを利用。車内から見える青山墓地の桜がみごとだったが花見客はいない。 途中途中でスーパーの前を通ったが、客足は普通の様子。とくに空っぽの棚も見えない。 終業は21時ごろ。駅ビル地下の若干高いスーパーに寄る。閉店2時間前のこの時間はふだんならまだそこそこ品ぞろえがあるのだが

    • 新型コロナ、今日から記録を付けていこう3月25日夜 東京恵比寿

      昨日3月25日午後8時に小池都知事の会見があり、週末の不要不急の外出の要請があった。併せて会見では、このまま感染者数が増え続ければ首都閉鎖(ロックダウン)もありうることが触れられた。 3月25日午後8時半 職場を出て徒歩で自宅へ向かう。帰り道にあるスーパーで明日の食材を買うために立ち寄る。 入口すぐの生鮮野菜の売り場はぱっと見には平常営業。リンゴやみかんのくだものも豊富にある。 そのまま2階の調味料売り場に向かうと空の棚が少し目立つ。塩、砂糖、みそ、マヨネーズなどは通常通

      • 私の町と大好きな人と③

        毎日夕方になると、近所の銭湯の男湯から大音量の「同期の桜」が聞こえてきた。たまにそれは「浪曲子守唄」のこともある。 とにかくその声の大きさときたら、銭湯の前どころか商店街の一帯に響き渡るが、町の人たちは毎日のことで慣れっこで誰一人立ち止まることもない。 声の主は鳶のさんちゃん。年のころは50代。酒に酔っていなければなかなかの好男子なのかもしれないが、常に酔っぱらっているから赤ら顔で目が座っていて素顔は誰も知らない。 いわゆるアル中なので夕方までまともに働いていたことはなく、

        • 「正しく恐れること」が一番の予防。

          新型コロナウィルスに関連する報道で、私が一番信頼しているのは東北医科薬科大学特任教授の賀来満夫先生のコメント。引っ張りだこだが、いつも静かな物言い。てか医療関係者、結構みんな冷静だけど。 その賀来先生の映像で後ろに出ていたパワポに「正しく恐れなさい」と書いてあった。そうなんだよー、正しく恐れること、これが一番大切! 新型ウィルスに限らず、地震や台風、いやいや宗教でもそうだけど、人知が及ばないようなものごとを相手にしたとき、優秀な専門家はみな「正しく恐れ(畏れ)なさい」と言うね

        3月26日東京の様子

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        • 私の町と大好きな人と
          4本
        • 上司の教え
          1本

        記事

          I am who I am. 教えてもらったこと①

          聖書の中に、神様が「私はある。私はあるというものだ」と言われる箇所がある。「I am who I am」または「I am that I am」などと表現されることも多い。 私はこの言葉が好きだ。この言葉を私に最初に教えてくれたのは、かつて勤めていた会社の社長だった。 <いと小さきものにすべからく優しくあれ> 人生のモットーは何か、というような話になって、何か壮大な目標のようなものを語った気がするが覚えていない。社長はニヤっと笑ったあとで、 「じゃあ、教えてあげよう、生きて

          I am who I am. 教えてもらったこと①

          私の町と大好きな人と③

          父の死は突然だった。いや心臓を何年も病んでいたのだが、普通に日常生活を送り美味しいものを食べて外出もしていたので、最後は発作を起こして救急車で運ばれて数日看病をすることになるのかな、くらいの覚悟しかしていなかった。 その日の朝も、少し気持ちが悪い、咳が出るというので、念のため医者に診てもらうかくらいの軽い気持ちで家から車で5分ほどのかかりつけの病院に母と私と一緒に向かった。 そのタクシーの中で父は意識を失い、病院の集中治療室に入って1時間ほどで息を引き取った。 私を含めて家族

          私の町と大好きな人と③

          デザインの敗北はほんとに敗北なのかあ

          ラフォーレ原宿の看板の一件でテプラが注目され「テプラとラミネートにデザインは敗北した」という話がまたまた浮上している。あれ、浮上しているのは業界だけ?(笑) 有名デザイナーがデザインしたコンビニのコーヒーサーバーがテプラの注意書きだらけになったことから、「テプラによるデザインへの侵略」みたいなことが話題になり、今度のラフォーレの件で再燃した感じか。 かいつまんで言うと、デザイナーがどんなにカッコいいデザインをしても、その上からテプラで注意書き貼られちゃったら一巻の終わり、みた

          デザインの敗北はほんとに敗北なのかあ

          私の町と大好きな人と②

          愛されていたなあと思う。どうしてあんなに愛してもらえたのだろう、あの町で。どうしてあんなに誰をも愛したのだろう、あの町は。 東京オリンピックがあって町には高速道路が走り、表通りにはビルが建てられていったけれど、まだまだ誰もが自分のことを(お医者さんでさえ)「貧乏暇なし」「貧乏人には縁がない」と平気で貧乏と言える時代だった。 なんとかなったのだ。正しい仕事が何かわからないおじさんがいた。木戸が壊れたとか雨どいがずれたとかそんなときに母はそのおじさんに修理を頼んでいた。おじさ

          私の町と大好きな人と②

          私の町と大好きな人と①

          少しまじめにテーマをもって書いた方がいいのかな、と思った。どこかに書き残したいと思っていること。私の町のことを書いていこう。 私が生まれ育った町は東京の城西にある町。山手線沿線の中でおそらく最後までパッとしない、たいして発展しない町だとふんでいたのだが、いつの間にか誰もが知っている全国区の町になった。 私の父方の祖父は関東大震災で焼け出され、壊滅的な被害を受けた下町から無傷だった今の地へ引っ越してきた。大正13年のことで、都内とはいえまだ田んぼや畑が点在していて「都落ちし

          私の町と大好きな人と①

          年末調整の書類が嫌いだ

          桜を見る会よりも、IRのなんとかよりも、ましてや小泉進次郎の息子誕生のことよりも、私が何よりも政府に一番にやってもらいたいと思っているのは、年末調整の書類の改善だ。 1か月の保険額とかどう考えても4桁か5桁しか数字が入らない欄なのにこーーーーーーーーんなに広かったり、くそ長ったらしい保険会社の名前を書く欄が3文字くらいしか入らなかったり。泣きそうだ。 0.1のボールペンでちまちま書いても欄内に書けたことなんか1度もない、神に誓って。 それに何×何の1/2(ただし5000円

          年末調整の書類が嫌いだ

          わたしはがに股

          大人になって恥ずかしいということを知ったので、がに股歩きはかなりよくなりましたが、私はずっとがに股で歩いていました。 そして私は私ががに股になった日のことをよく覚えています。なぜなら意図的にがに股になったからなのです。 幼稚園に入ってすぐのこと。近所のお姉さんのお下がりでリボンのついたかわいい革靴をもらったのです。 私の母は自分が紺色や水色が好きで着るものもシンプルイズベスト。私に着せる服も紺や水色。当時流行った漫画のついた運動靴や花の刺繡の入ったピンクの毛糸のパンツも履か

          わたしはがに股

          警備員Aさんのこと

          見事な枝ぶりだった梅が根元からごっそり無くなっていることに気づき、茫然と立ち尽くしていると「ここの梅はそこの〇〇さんのお宅にもらわれて行ったんですよ」という男性の声がした。振り向くと梅があった中学の建直し現場で警備員をしている男性が立っていた。「桜とヒマラヤ杉はだめだったけど、グラウンドの大きなシンボルツリーは残りますよ」と、中学にあった植栽の行方を丁寧に教えてくれた。それがAさんとの出会いだった。 それから朝夕と昼休み、建築現場の前を通るたびに挨拶をするようになった。ヘル

          警備員Aさんのこと

          コーンビーフの缶が変わるそうで

          ノザキのコーンビーフ缶ほど、どこの店に行っても迷わずにみつかる商品はない。あのシーチキンでさえ、マグロだカツオだファンシーだフレークだと何種類も棚を占めているのに、コーンビーフは潔くたった一種類。 台形の異形で、深緑にリアルな牛の絵に筆記体の文字。 「コーンビーフを買う」と決意した瞬間から、缶詰売り場でまるでスポットライトを浴びているように目に飛び込んでくる。一直線に飛んで行くことができる、素晴らしい存在。 幼児期のお遣いから自分で買う今日の今日まで、こんなに姿も味も変わらず

          コーンビーフの缶が変わるそうで

          地図を描く

          駅前ビルで食事をしていたら窓の外にある塾の看板が目に入った。かつてこの塾のチラシ制作の仕事をしていたので、看板を見るだけでも懐かしい気持ちがこみあげてくる。通信簿が2の子を3に、3の子を4にというような教育方針の塾で、つまり、うんと勉強のできる子の受験を手伝うわけでもなく、とんでもなく勉強ができない子をなんとかするわけでもない、いわば教室内のマジョリティ、お母さんが「うちの子、もうちょっと何とかならないかしら」というどこにでもいる子を相手にすることで急成長した塾だった。 当

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          ちょびの性格

          家の猫、ちょびが生後半年になったのでいよいよ去勢手術。野良猫だったので拾われた家で1回、家に来てから検診・ワクチン、採血・ワクチン、蚤取り薬と3回、近所の獣医さんの世話になっている。今回の去勢手術で4回目の訪院。 簡単な触診をしたあとで「あとは採血、レントゲンを撮って何にもなければそのまま手術に入りますから夕方ごろお迎えに来てください」と言われる。「ちょびくんは性格がいいから、まあ、大丈夫ですよ」とも言われる。 たとえ飼い猫でも「性格がいい」と言われるのは嬉しい。でもしか

          ちょびの性格