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言葉をオトで捉えていた。

いろんなお話の中で「○○」の言葉が、とても響いて聞こえました。

コーチングの勉強を1年ぶりに再開し、最近は週1回ペアコーチを行なっている。

コーチングセッションとしての対話は、ふつうの会話とは異なるとは思っている。

コーチ側は、聴くことに徹する。いわゆる「傾聴」と呼ばれているものだと思う。

知人・友人との会話だと、どうしても互いに話すので、ボリュームが半分半分くらいのイメージだけれど、コーチングセッションでは、クライアント(コーチングを受ける側)がほとんどの時間を話す。必ずしもクライアントは話す必要はなくて、沈黙の時間もあるので、『クライアントに時間が委ねられている』の表現の方が、今はしっくりくるかも。

友達との会話でも聴く時は聴くけれど、「聞く」の漢字の方がしっくりくるような聞き方を無意識でしていると思う。聞いてはいるけれど、誤解を恐れずに言うと、そこまで真剣に聴いていないというか...。

けど、コーチングモードの時には、聴いている。

そのモードが普段の会話と何が違うのかなぁ〜と思っていたけれど、「言葉をオトとして捉えている」のが、コーチングモードだなぁと思えた。

これまでもなんとなく思っていたけれど、あ、そうだなぁ〜と確信に変わった(こころの奥で納得できた)気がしたので、なんとなくnoteを書きたくなって、例のごとく即興で言葉を紡いでいる。


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ゆうこりんの感性で、この表現は特徴的だと思うって言ってくれて、直感で伝えてもらって、深くさらにそのこと(大切なコアな部分)について探れた。


先日ペアコーチをした方に、感想を届けてもらった言葉。


直感とか、感性からのフィードバック

って言葉ももらって、確かに自分は直感を大切にしているし、思ったことをすぐに口に出して伝える性格だよなぁ〜とも思う。(すぐに伝えることによって今までたくさんの人を傷つけてきたし、事故ってきた...苦い思い出もある...ので、すぐに伝えないように気をつけてもきている....)

感性が豊かだとか、感性がある...とか、なんかそんな言葉を昨年ぐらいからかけてもらうことが増えてきた気もしている。

それが何なのかは、まだピントきていないけれど、自分の感性が役に立つことがあるらしい。感受性は豊かな方だと思う。(すこしの情報で想像して、勝手に自分で自分を苦しめたり、すこしの情報で感情移入して泣いたり、動揺したりすることはよくある、冷静になりづらいタイプではある)

でも確かに、最近読んだ断捨離系?の本で...

モノで空間をいっぱいにし、残念な状態で放置することは、ココロもアタマも思考停止、感覚麻痺、感性鈍化の状態に繋がる。

という一文に触れて、これはまずいな...感性が鈍るのは、本当に避けたいから、部屋片付けようって気持ちがようやく芽生えて、今日も朝5時に起きて、モノを減らしていた。

だから、感性を大切にはしていきたい生き物だと思う。

「感性」の言葉の正体については、まだ自分ごと化できていないけれど、センスって言葉とも、なんか違うような気もしている。このあたりは、自分なりにもうすこし感性と友達になれてから、自分の自信にしていきたい。


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今行っているコーチングの勉強では、純粋意欲を書き出したり、その先の存在意義についても考えるワークもしている。

そのことをテーマに話していたときに「言葉にして伝えたい欲」と「真剣な話を聴きたい、さらけ出して欲しい、人のドロドロした部分に触れたい欲」が高いことに気づいた。自分自身が、嘘を付けないし、さらけ出す方だし、素直でいたい人間だから、相手にも求めてしまうのかもしれない。

このあたりは、もうすこし深めていきたいし、たぶん一生深めていくテーマなので、ゆっくりかみしめていきたい。

すぐに綺麗な言葉で言語化はしないけれど、昨日話していく中で、いろんなボールを投げてもらうことで、わたしは、人の本当のオト(本音)の話を聞くのが好きだし、本人も気づいていないようなホンネを一緒に探して気づきたいんだなぁ〜って思った。

上辺だけの会話が苦手すぎて、建前とか、見せかけとかの社会も本当に苦手なのも影響しているのかもしれない。

「魂で会話したいんですかね?」って言葉を頂いてから、ほー.....たましい.......!って感じで驚いたけれど、(こころより深い「魂」ってニュアンスで届けてもらった)、心揺さぶる会話?はしたいような、本当にやりたいことを一緒に見つけたり、心の声に一緒に気づきたい=言語化して伝えるって行為なのかもなぁ〜と思えてきた。


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悲しいけれど、言葉で嘘はつけてしまう。言葉だけなぞって、自分のことのように語ることもできてしまう。

けどたぶん、オトまでは嘘をつけないのかもしれない。それか自分は、対話しているその人が、こころから思っていることか、そうではないかってことを「オト」として捉えていて、言葉(オト)が「軽い」とか、「重い」とか「深い」とか、「流れている」とか、「はやい」とか、「ふるえている」とかを無意識に捉えているのかもしれない。

だから、文字情報(コトバ)と、音の情報が共鳴していなければ、違和感を感じて伝えるし(文字情報としては「楽しいです!」って伝えているけれど、本心ではそう思っていない独特な会話が流れている雰囲気...)今まで話していた「言葉(オト)」が急に明るくなったり、深くなったりしたら、その人の本当のオト=ホンネの部分なのかな?と思って、再度投げかけたりするのだと思う。(それはコーチングの勉強でいう「おうむ返し」の分類かもしれないけど)


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「表情」で捉える人もいるだろうし、「オト」で捉える人もいるだろうし、コーチングのスタイルは人それぞれなのだろう。聴覚優位なのか、視覚優位なのかとかもありそう。人とチャットをしていて、文字情報だけでも、これまでの会話量に応じてなのか、あー今日の言葉は軽いなぁ〜とか、色がアオっぽいなぁ〜とか、グレーっぽいなぁ〜とか、感じることもある。見えているのは、同じ黒色の文字なのに。


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昨日のペアコーチは自分の中で、とてもコトバのセッションをしている感じがして、心地よかった。言葉のキャッチボールであり、オトのキャッチボールであり、奏でている感じなのかもしれない。そんな話をしている中で、やっぱり「コーチングセッション」の「セッション」は音楽だなぁ〜って思った。即興であり、音楽。ジャズセッションのような形かもしれない。


セッションに、コンダクター(指揮者)はいないんですか?


と問いをもらって、なるほどなぁ〜と思った後に、あぁ、コーチングセッションにはコンダクターはいないなぁ〜って思えた。

何かを引っ張ろうとしたりするのは、コーチのエゴで、コーチがコンダクターになった瞬間、それはコーチングのセッションではなくなっている気がしたから。

あくまで主旋律はクライアントさんで、テンポ(BPM)も、調子(major調,minor調)も、クライアントさんが進めていく中で、もしかしたら、コーチ側がすこしテンポをあえて早めることもあるかもしれないし、遅らせることもあるかもしれないし、メジャー調のオトを届けてみて、気づいたら転調している...なんてこともあるのかもしれない。


そういえば、一年前にも同じようなことを感じていて、言葉にしていた。

・コーチングセッション = 即興 だなって思った
・空間を共にする、同じ波長を共にする
・BPM(テンポ)とHz(波長)を共にしながら、まさに「セッション」する感覚。音楽と似ているなって思って、即興セッション。ジャズセッション。そのためには知識ももちろん大切だけど、人間力...なのかなとも思ったり
・言語で引っ張ろうとして答えを導いて誘導させて腹落ちさせようとしているなこの人って思うセッションを受けた時があって、気をつけたいなって思ったこともある

改めてここに戻ってくるから、自分の中でのコーチングセッションの捉え方は、音楽で捉えることが、いちばんしっくりくるのかもしれない。

...過去のnoteを振り返ると、今回コーチング勉強をさせてもらっている宮本さんとのセッションでも、同じようなことを伝えていたらしい...。笑

セッションの時間って、ハーモニーが重なって、最後クライアントの独演奏を綺麗に奏でられるように後押しするのが役割なのかなって思っているんですよね。不安だったら、重なり合うオトでハーモニーを奏でられるように精一杯目の前の人の呼吸と息遣いとオトの音色を感じている。その中で、急にクライアント自身が、アドリブでオトでありコトバを紡げる瞬間があって、それが最後クライマックスで到達する瞬間が、とても心地良くて、そのオト(コトバ)を聴けた瞬間、コーチングやっててよかったなって思うんですよね。


生きている中で忘れることは多いけれど、忘れられないこともあって、めぐりめぐって同じようなことを言っているのは、本当に自分が大切にしたい感覚なのかもしれない。それが「感性」なのかもしれないけれど。


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なぜ自分がこんなに「音楽」で捉えるのかは、ずっとピアノを習ってきたことも影響しているんだろうなぁ〜と思う。

スポーツも好きだし、運動部だったし....音楽やりながら運動部という変わった?人生だし、演奏がとても上手で得意なわけでもないし、大学で音楽を学んでいたけれど仕事で活かしているわけではないけれど、なんだか「コーチング」って文脈で、「音楽」が結びついていることが、とても自分の中では意外だった。おもしろいなぁ〜って思う。


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応援したい人がいて、今は自分が応援したい人に、コーチング?的な時間を共にしているのだけれど、「自分がそうすることによって、何を起こそうとしているんですか?」って問われたときに、とても考えてしまった(簡単に言葉が出てこなかった)けれどその後に出てきた言葉は「その人の表現を見たいし、見続けたいからですね」という言葉だった。


生きていることが表現だとは思っているので、いわゆるアーティスト活動だけが表現だとは思っていない。


こうやってnoteを綴ることだって、紡ぐことだって、創作活動だと思うし、いわゆる「シゴト」をすることそのものも「表現」だと思う部分もある。その人のコトバやリズムが好きな人もいるし、踊りが好きで応援している人は、その人の踊りであり、動きである表現を見続けたいからなんだろうなぁ〜と思った。


表現者をサポートしたい...と漠然と思っていて、これまでのnoteでもたくさん綴ってきたけれど、それはただただ、自分がその人の表現が好きで、ファンなんだなぁ〜って思った。


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ペアコーチングの感想や、気づきを、今回一緒にコーチングを学んでいるグループでシェアすることになっていて、でも今回は、箇条書きではかけないなぁ〜と思って、久しぶりにnoteを書きながら振り返ってみた。


言語化欲が高いなぁ〜とはつくづく思うけれど、2時間弱のペアコーチから気づいたことや、学んだことを、4500文字くらいに文字にする自分は、ほんとうに言葉が好きなんだなぁ〜って思った。

オトも好きなのに。笑

結局このnoteでは、コトバで説明してる...矛盾もまたおもしろい。

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TOPの写真は、音の波紋を抽象画として表現してくださった方のお写真をお借りしました。どうしても、音符やギターの写真だと、直接的すぎて、しっくりこないなぁ〜と思っていたところに、素敵な絵を発見できて、とても幸せな気持ちになりました。

どこか「余白」を残したい自分がいたみたいです。


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