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20200226_24年目を迎えた人のコトバとオトに触れた日

スクリーンがおりてきた瞬間、胸がうずめいた。

2020年2月26日、スガシカオさんデビュー24年目の日に行われたLIVE。一風変わったLIVEだけれど、テレビやイヤホンから聴いてきた懐かしいオトにふれてとても柔らかい空気に包み込まれた矢先。白い大きな幕が降りてきた。

ひと文字めが表示された瞬間、目の前が滲んだ。その書体はどの書体かはわからない。スガシカオさんご本人の書体のようにも見えた。真相はどうでもいい。久しぶりに曲を聴いて、本当の涙が溢れてきた。

苦しかった。切なかった。胸が締め付けられた。

そのあとに流れてきた、いつもは楽しく聴ける「コノユビトマレ」も、なんだか切ないテイストに聴こえた。

スガシカオさんは、あそこまで歌い上げたのに、気持ちの切り替えができていて、さすがだなぁ〜と思った。でもそこで切り替えないと、とことん落ちるところまで落ちてしまう暗くて深い闇に突入してしまいそうだった。

陰のあとには、陽がくる。

自分の中で、そこだけは信じている。黒くて暗くて蒼くて碧い世界に突入しても、いつか雨上がりの日の、明るく眩しい水たまりに反射された、青いソラを掴みとれそうなクモが出てくるって信じている。

そんなソラ、どっかで見たなって思って、スマホの写真を必死でスクロールした。たどり着いた色に、タバコの吸い殻が写り込んでいて、なんだか自暴自棄になった。

これが渋谷の現実か。

現実は受け入れるしかない。今社会も大きく悩まされている。みんな不安だ。みんな恐怖と闘っている。誰も望みたくない未来を描かなければいけない。受け入れなければいけない。ため息混じりながらも、覚悟を持ったコトバを聴いたら受け入れなければならない。

音楽はなんのためにあるのか。

コトバかオトに励まされてきた。眠れない夜にイヤホンつけて眠りについた曲が何曲かある。泣き疲れて気づいたら眠れていた夜もある。コトバをずっとながめて、目の前が滲んで、気づいたら右手のスマホがベットに落ちていたこともある。

どうしようもない感情を抱いている。

いくあてもない気持ち。他のコトバに触れた瞬間、自分のコトバから変わってきてしまいそうな気がして、いつもは見にいくTwitterのタイムラインもまだ見ていない。

明確なコトバが出てこない。
何も腹落ちできていない。

それだけは嘘じゃない。そして、泣いて疲れているのも事実。だからその気持ちを保存しておきたくて、事実とは向き合っておきたくて、コトバを綴っている。タイトルも思いつかない。ただ、これは自分の記憶の保存だ。

いろんな人が苦しんでいる。

そんな社会の空気を感じ取ってしまったから、自分が笑っていいのかなって思ってしまった。自分だけ満たされていていいのかなって。

でもどうしようもない現実を、どうにかして歩いていかなければいけない。別に死にたいとかではない。ただ、みんな苦しそうだ。

マスクがなかった。売り切れていた。

そんなコトバが届いてから、何が正解かわからない苦しさの中で、みんな必死に決断して、判断して、でも失敗して、もがいている。批判は誰でもできる。でも決断して行動している人もいる。それを批判していて、何が楽しいのだろう。

誰も正解なんてわからない。

結果論でしかないって、誰かが教えてくれた。それは転職を決断する時もそうだった。短絡的に、良かった悪かったの判断なんてできないような、誰も知らない次元の話なのかもしれない。

自分にできることを必死に考えながら、歩んでいこうと思う。

共感力が高すぎるらしいので、自分にできる範囲のことを一歩ずつ進めていこうと思う。まだ死にたくはない。いつか叶えたいことを見つけてしまったから。

少し救いだなって思ったのは、雨上がりのソラのミチの写真に、ポイ捨てされたタバコは写り込んでいるけれど、水たまりの形はハートに見えたこと。

前を向いて、一歩ずつ歩んでいこう。そういえば、私が一番好きな歌詞も伝えてくれていた。

"あと一歩だけ、前に 進もう"


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