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メルセデスが好きなんだ(第3話)



その日、マッシモはトリノで用事を終え、ミラノに向かって走っていた。その途中のビエッラという街の看板を見た時に、ふと友人を思い出した。その友人はジョヴァンニと言いマッシモのメルセデス友達。「最近会ってないなあ、元気かな。久しぶりだからちょっと寄ってみよう」ということで、高速を下り、友人の元へ向かった。

ジョヴァンニとは2人でメルセデスのクルマや部品探しに出かけたり、クルマ談議をする間柄。彼はRoute 63という古いメルセデスに特化したクルマ、部品販売の会社を経営。大きな倉庫の中には、彼自身のコレクション、良い状態の販売用のクルマ、レストアーを必要とするクルマ、部品を取るためのスペアのクルマ、その他、と分けられている。


久しぶりの再会なのに会うなりすぐにメルセデスの話になった。つい先日、ニース(フランス)の解体屋から手に入れて来たメルセデスを見てくれ、とメルセデスで溢れている倉庫内に入った。ここに足を踏み入れるたびにエネルギーが湧いてくる。ジョヴァンニが、「あの2台がこの前仕入れたクルマさ」、と指差した。だがマッシモはその指の先とは逆方向の解体寸前のクルマの方に目が行ったまま。マッシモの目は奥にあった水色のメルセデスに釘付けになってしまった。マッシモはこの倉庫の中でMercedes Benz 230 W110と運命の出会いをしてしまったのだ。

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奥の方で陣取っている解体寸前で宙ぶらりんになっていた水色クルマ。あまりにもスペースを取るので部品のために残しておくべきなのか、悩みの種のクルマだった。そんな解体寸前の水色のクルマが、マッシモに一生懸命テレパシーを送ったらしい。「僕を置き去りにしないでくれ」っと。そう、クルマも生き物なのだ。

さて、そこからが問題だ。家を買ったばかりのマッシモの財布の中はすっからかん。ここに来るまではまさかクルマを買うなんて1%も思ってもいなかった。

購入したい旨をジョヴァンニに伝えると、「お前、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかい?なに馬鹿なこと言ってんだ。こんなオンボロを買うつもりなのかい?」
当時、このクルマの市場価格は約4000(約52万円)ユーロ。完璧な状態でも10,000 (約 130万円)ユーロ。この状態だったらもっと低価格だろう。しかし、どんなに安くてもこの車を乗れる状態にするには市場価格よりはるかに高い金額になってしまう。値打ちもないクルマにお金をかけてレストアーしようという人は、世の中なかなかいない。マッシモだけだ。

でもこのクルマに一目惚れしてしまったマッシモ。愛する対象にはなんでもできる。マッシモは惚れ込んでしまった水色のメルセデスのために必死に交渉。

ジョヴァンニに正直に話した。「僕は今、家を買ったばかりでお金は無いんだ。でも、このクルマは運命なんだ。何か物々交換はできないか」
と突拍子もないことを言い始めた。
ジョヴァンニは「笑いながら、ちょっと考えさせてくれ」という言葉を残し、その日は別れた。

私が「どうして解体寸前のクルマを買ったの?」とマッシモに聞くと、「お腹が僕のクルマだ、って言ったんだよ。頭じゃないんだ、僕の体が叫んだんだよ。僕だってまさかクルマを買うなんて思わなかったよ。自分のお財布の状況は自分が一番よく知っている。クルマを買う余裕なんて全くなかった。だけど、買わずにはいられなかったんだ。あのクルマは僕を見て、連れてってというんだよ。これはまさしく運命さ。体が教えてくれたんだ。一目惚れの衝撃、わかるだろう?」
とマッシモ。


何日かしてジョヴァンニからの電話がなった。
「ずっと前にベネト地方の閉鎖してしまったディーラーに2人で行って、倉庫から部品を買って帰ったの覚えているかい?その時持ち帰った部品や運搬用の台車はまだあるかい?」
勿論あるさ!と答えるマッシモ。

2005年2月、こうして台車と部品とMercedes Benz 230 W110の物々交換の売買交渉は成立。
2月と言えばマッシモの誕生日。
やっぱり彼にはクルマの神様がついている!


ジョバンニから聞いた話によると「ニースの近くのメルセデス専門の解体屋で2台のメルセデスの購入の交渉時、ディスカウントを聞いたが値段は下げられないとのこと。では、何か付け足してくれと、目の前にあった古いべスパを頼んだら、それは無理と言われ、近くに置かれていた解体寸前のMercedes Benz 230 W110だったら持っていけ、ということで持ち帰って来た。」と。

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まあ、部品くらいにはなるだろう、と持ち帰ったものの、何のオファーもなく時だけが過ぎていった。せいぜい部品調達用であとは解体行きだろう、これがこのクルマの運命なんだ、と思っていたところにマッシモの登場となった。まさか友人からこのクルマを売ってくれと頼まれるとは思ってもいなかった、ということだろう。


さて、これから物語が始まる。

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クルマは家に届いたけれど、修理するにもお金が無い。
先ずはこのクルマの歴史、メカニズム、デザイン、内装を3年かけてしっかり学んだという。勿論貯金も欠かせない。そして、クルマを知り尽くした上で今度は部品探し、その後、レストア作業が始まった。全てにかけた時間は5年、かけたお金は、市場価格を大きく超えた。

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マッシモが愛とパッションと信念でこのクルマをとことん追求し、復活させた。

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美しい水色になって蘇ったMercedes Benz 230 W110。何回も解体寸前まで行ったけれどどうにかして生き残り、最後には「クルマの命」を大切にしてくれる「父親」に逢えて良かった、と安堵しているに違いない。これからはずっと守ってくれる、と。

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フランスのニース付近で手に入れたというこのクルマの車検証には前オーナーのニースの住所と名前が書いてあった。ある日、マッシモは仕事でモンテカルロに行くことになった。モンテカルロとニースは目と鼻の先。仕事を終えてから、ちょっと足を伸ばして車検証に書いてあった住所と名前を頼りに尋ねてみることにした。どんな結末になるのかワクワクしながらクルマを走らせた。

あった! ニースの海岸沿いの通りに確かにその住所はあった。その番地にあるマンションの何世帯もの名前の中に、車検証にあったオーナーの名前も書いてあるではないか!呼び鈴を押しても誰も出ない。少し待っていると門が開いて中から人が出て来た。理由を話し、マンションの中に入れてもらうと住民の名前が郵便受けにずらりと並んでいた。拙いフランス語で、自己紹介、メルセデスの話、連絡先を書き、前オーナーの郵便受けに手紙を残し、マンションを後にした。

数か月が過ぎ忘れかけた頃、何とオーナーの息子さんから手紙が届いたのである。
「現在父は容態が悪くベットから立ち上がることができない。でもこのクルマのことはよく覚えていて、父はとても感動していた、ありがとうございます」と。
マッシモはすぐに息子さんに連絡をし、今度メルセデスでお父様(前オーナー)に会いに行くと約束をした。

2010年、マッシモは約束どおり水色のMercedes Benz 230 W110に乗ってニースまで会いに行った。
ベットから起き上がれない生活を送っているオーナーも、この日はやっとの思いでベランダまで歩き、上からしっかりと中庭にある1967年から2004年までの37年間、人生を共にした水色のメルセデスを見ることができた。

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とっくに解体され影も形もない状態になっているとばかり思っていた愛車が、突然見ず知らずの人の手によって美しく蘇り、目の前に現れた。なんと感動的なシーンだろう。

これはまさに車生(クルマの生)の物語といえるだろう。クルマも初声をあげてから解体されるまで、いろいろな道を辿っていく。この水色のメルセデスは生き抜く力を持っていたのだろう。何回も解体寸前に助けられ、最後にはマッシモという人に助けられ、生まれた姿に蘇えらせることができた。

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今回の話は、クルマは生き物であるということを考えさせられた心に残る話だった。

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