大学への細道①

 一番上のハルがこの4月から大学生になった。

 高校は塾の力(個別の塾でどれだけお金かかったか。「集団じゃダメなの?」と聞くと、「それだと学校と一緒とで勉強できないから」と言う。学校で何やってるんだ~。)で地元の都立高校に入ったが、高校からいきなり勉強に目覚めるわけでもないので、親は就職とかしてくれた方がよいと思っていた。どうみても知的好奇心がそれほどあるとは思えず、高等教育に向いているとは思えない。私に似ていくら数学ができないからと言って「1」をとるというのはいかがなものか。(この時は思わず留年の要件がどうなっているのか、書類をひっくり返して確認したものだった。)

 しかし、本人は始めから進学するつもりでおり、勉強するなら応援するよ、でもしてないじゃん、もう就職してよ、いや、進学するから、といった不毛なやりとりの繰り返しであった。

 3年1学期の3者面談を前に、1年前の面談から何も変わらないし、言うことないなと思っていたのだが、そうだ、進学するする言ってるだけで(スルスル詐欺?)勉強しないし、これで受かったら他の受験生に申し訳ないくらいだし、落ちて路頭に迷っても、それを受け入れる親の覚悟だけはできたし、それ言おう!と勇んで面談に臨んだのだった。

 だが、先生は一枚上手だった。ハルのことをなぜか目にかけてくれて3年間担任をして頂いたY先生。本当に3年間どれだけお世話になったことか。ボランティアでもの凄い量のゼミを開いてくださり、ハルも末席を汚して最後まで面倒をみて頂いた。結局塾にもいかなかった。その先生が、私の言い分に対しておっしゃったのは、「ハルくんはがんばって一般受験を目指します。それのどこが問題なのですか?」の一言だった。生徒を決して見放さない。信頼している。そのために全力を尽くす。(本当に休日もゼミで生徒たちに関わってくださり、ご家族は大丈夫なのでしょうかと、余計ながら心配しておりました)親の私にはとてもできない。他の親にはできるのかも?家でのぐーたらなハルの姿をみていたら絶対無理!でも、もう先生を信じて親はついていくしかない・・・。そんなこともあり、もう、結果がどうであれ、本人(と先生)に任せるしかなくなっていた。

 春ごろ、父が志望校を尋ねたところ、「T大」(さすがに東大ではありません)という。普段は滅多なことでは動じない連れ合いが5秒くらい絶句していた。私も同じである。しかも法学部である。絶対向いていない。理由は文系3科目で受験できるかららしい。そんな選び方でいいのか。

 秋になり、祖父母の家で食卓を囲んでいた時、祖父が同じことをきいた。「T大」。「え、それセンターの受験会場が?」「違うよ、志望校」「え、その話まだいきてたの?!」「前言ったじゃん」・・・もう消えた話かと思っていた。やや耳の遠い祖父母は受験会場がT大なのだと思い込んでいるが、私はそれを訂正する気にもなれない。なんかわからないけど、とにかく失敗しようが何しようが、本人に任せるしかない。


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昔話には人が社会の中で成長していく原型のようなものが象徴的に表れているという。子どもが育ち、親元を離れ、やがて社会に出ていくときには親でない他者のとの出会いが重要な役割を果たすらしい。昔話ではその「預言者」の言うとおりにすると、言う通りの展開となり、やがて一人前の大人になっていく。ハルにとってY先生は「預言者」である!

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