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インドネシアジャワ島ものづくりの旅【2】バティックミュージアムで紡ぐ日本とインドネシアの絆

「私たちが日々身にまとう衣服は、ただの布ではない。それは文化、歴史、そして人々の繋がりを織り成す糸である。」

この深い信念を胸に、民族衣装文化融合プロデューサーの中野裕子はジャワ島の心臓部、中央ジャワ州の首都ペカロガンにあるバティックミュージアムを訪れました。このミュージアム来訪は中野にとって、インドネシアで初めてバティックという美しい織物に出逢った瞬間からの夢でした。



バティックミュージアムとは、インドネシア、特にジャワ地方の伝統的なバティックを集めた博物館です。中野は旅仲間と共に学芸員による詳細な説明を聞きながら、ジャワの芸術と文化の深淵に没入していました。



ペカロガンには「奉公会バティック」という独特な形態が存在します。これは、戦時中にジャワにいた日本人からの影響を受けて生まれたとされています。日本の友禅師が友禅の技法をバティックに取り入れることを教えたという説もあり、この技術交流は、今もなおこの地で受け継がれているものです。


時を同じくして、地元の学校に通う学生たちもバティックを学ぶために博物館を訪れていました。中野は彼らに、インドネシアのバティックで作られた着物を見せます。彼らは、インドネシアのバティックが日本の伝統衣装になっていることをとても喜び、一緒に写真を撮ったり、多くの会話を交わすことができました。



バティックという形で結ばれた日本とインドネシアの間の素晴らしい文化交流は、単に美しい作品を生み出すだけでなく、異なる背景を持つ人々を一つに結びつける強力な絆となりました。


ペカロガンのバティックミュージアム訪問は、中野にとって、文化の力がいかにして人々を結びつけ、理解を深めることができるかの生きた実感となりました。

ジャワのバティックが織りなす、豊かな歴史と文化のタペストリーは、今後も長きにわたって多くの心を捉え、異文化間の架け橋として機能し続けるでしょう。


Written by Emi Sasaki(e.to.wa)

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