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ホーホケキョに思うこと

ベランダで洗濯物を干していたら”ホーホケキョ”が聞こえてきました。近所に野生のうぐいすがいるらしくて、時々声が聞こえます。

他にも野鳥はいろいろいるので鳴き声もしますが(一番好きなのはすぐそばの川でたまに見かけるシラサギです、本当に美しい!)、鴬の鳴き声には特別感がありますよね? やっぱりあの独特のメロディーだから?

子どもの頃、手乗りインコを飼っていた時に、口笛で鴬の鳴き声を真似て仕込みました。なので、うちの代々のインコはみんな”ホーホケキョ”と鳴きました(笑)。

それはさておき、今朝ベランダで鴬の鳴き声を聞いて思い出したのが、子供の頃に絵本で見た”中国の古いお話し”。タイトルは忘れました。

中国の王様が籠に鴬を飼っていて、とても美しい声で鳴くので毎日それを喜んで聞いて可愛がっていました。
ところが王への献上品として籠に入った”機械仕掛けの鴬”が贈られてきました。王様はその機械の鴬をたいそう喜んで毎日そちらを聞くようになり、本物の鴬には見向きもしなくなりました。
鴬は悲しみのあまり病んでしまい、とうとう鳴かなくなってしまいました(あるいは、死んでしまいました、だったかもしれません…)。それを知った王様はとても悲しみましたが(そして、おそらく反省もしたのですが?)、本物の鴬の美しいさえずりは二度と聞けませんでした…。

確か、そんなお話でした。大判の絵本で見たので小学校中学年の頃で、もう50年以上も昔のこと。いかにも中国風の衣装に身を包んだ王様が悲しんでいる挿絵は、今もなぜか覚えています。他にも絵本はたくさん見ていたでしょうし、その挿絵は今思えば水墨画調の淡い水彩画で、子供心に全然好きではなかったのですが、今もはっきりと覚えています。

この話を、ベランダで、「あの鴬はどこで鳴いているのかしら?」と向かいのマンションの敷地や駐車場周辺に植えられた木々の辺りに目をやりつつ、洗濯ピンチを手にしつつ急に思い出して、なんだかこれは技術の進歩まっしぐらの時代に生きる私たちへの警告のようにも思えました。

例えば、近いところで言うなら、AIアナウンサーのニュースの読み上げはどんどん上達し、”AIによる”と言われなければ人間のアナウンサーのように聞こえます。だからって、AIアナウンサーの精度が上がったから人間は不要になるのか?っていうと、決してそんなことはないですよね~。特に近頃のニュース番組では、原稿を読むだけではなくてキャスターの方々のやり取りや、ちらっと人となりが垣間見えるのが楽しかったりしますし。

スピルバーグ監督の映画『AI』にも通じるところがあるように感じます。

加速化する技術の進歩の中でのアナログ回帰といえば、昨日見た映画『PERFECT DAYS』の中でも、主人公が毎日通勤の車の中で聴くのはなんと”カセットテープ”の音楽で、カセットの再生装置が搭載されている車もすごいですが(あの車ももしかしたら年代物だったかも? 私は車に詳しくないので気づかなかっただけで)、車に同乗した若い姪っ子は、カセットをどうやって扱うのかもわからないという様子が描かれていて、それはそうでしょう…、という感じでした。いかにも古いアパートの畳の部屋にも、懐かしいカセットデッキがデンと置いてありました、しかも初期の頃の代物と思しき、大きくて四角い無骨な作りの、が。

さらにフィルムで取るカメラも、主人公・平山さんの愛用品。ちまたでも一部で人気復活中と少し前にテレビのニュースで見たような…。

私自身はまったくデジタル人間ではないので、アナログ回帰しようもないわけですが(笑)、先端だからとか便利だからって盲目的にツールに頼ったり走ったり、この時代だから当然のこととするのではなくて、本質的にそれはどうなんだ? 目的に適っているのか? と立ち止まってみることは大切にしたいなって思います。

冒頭の鴬のお写真は、Strolling Rickyさんからお借りしました。鴬って声はすれども姿は見えずで、近所で声は聴くのに見たことはないので、「こういう姿なんだ?」と新鮮です。健気に鳴いているようにも見えますね。ありがとうございました!




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