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馬-2 特別を砕いて編む


クロミちゃんのTシャツを着る店員の女の子
マーケットで可愛い雑貨を売るデザイン学生

マレーシアでかわいい雑貨に出会うと思っていなかった。「かわいい」はもはや日本だけのものではなく、中韓、もっと遠い国でも見られる。
サンリオやふわっとしたかわいさは日本独自の最強文化だと思っていたがとっくに世界中に広がっていて、自分の想像ほど特別なものではないと気づいてしまった。世の中いくらでも素敵なデザインの雑貨はあるし、作れてしまう。
自分が特別に感じていた「かわいい」文化に一度雲をかける。


壁画
宿で居合わせたインド人のいとこ同士2人とロシア人で壁に向かっていた時誰かが言っていた。
これはアートで特別だ
特別に感じられない?人はみな一人一人特別なんだ

壁はかわいい良い。でもなんだか僕はとてもそうは思えなくて、ちょっと大げさなんじゃないかとか巡らせながら適当に返事を返す。
僕にとってのアートはただ綺麗なものではなくて、人や社会に視覚で問いかけられるものだ。単なる色の羅列や線を引いたものはアートじゃなくて記号。
魔法のような強さを感じていた「アート」への熱が一気に冷える。


絵をかく、歌う、制作。できるよ、日本でもクアラルンプールでもどこでも。スマホやSNSが技法と価値観の共有を急速に進めた。ある程度大きな都市があれば、ネットで検索して出てくる文化はすでに大きなコミュニティを持ち、大衆化していたりする。
絵描き、歌手、創作者。名乗れるよ、ホーチミンでもバンコクでも。

では、線を一本引けばそれはアートなのか。人類総クリエイター時代。軽率で金の匂いがする言葉。

アート、創作。特別だと思っていた。無知ゆえ必要以上に高尚なものとしてとらえてしまっていたようだ。
ある文化に則って物を作ること、それは創作だ。共通の価値観に則って物作りを行う界隈だっていくつもある。意義を求めすぎてしまっていた。同時に、問いかけのある創作に魅力を感じる自身の趣向を知る。


バズやSNSの文化圏が徹底的に合わない時、僕は現代におけるアートの価値観に見切りをつけた。「ただ一人の人間がなんか作業している」という視点から再出発し、大げさにしすぎないところからまた耕しなおす。
そうやってこれまでと逆の方向から風を吹かせ、創作行為に対する自分の体験を再検討する。さながらマレーシア周辺で盛んだった季節風貿易。

西へ東へ物を運ぶマラッカ海峡。西の中東、東の中国インドの真ん中に位置し、呼吸で新しい花を咲かせたマレー系王朝の数々。

今宵僕は甘いあこがれを吐いて砕いて、渋い渋い人間のものづくりに対する苦難を吸い上げる。丁度歩みを止め振り向き、これまで偶然歩んできた道を見直すようなものだ。

さて、何が見える?今宵はどこから船がやってくるだろうか。

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