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泰-1経済と環境の前提

実のところとっくにタイを出国しちまった。今日は日本を出てちょうど一ヶ月、節目の日。明らかに疲れが見えてきてこのままでは考察が書けず後の振り返りに支障が出る。おまけに二段ベッドの上のラテン人が大変うざい。

しめた、物を書かざるを得ない状況だ。

滞っていた週記録を大学で毎授業書いてた講義カードのように扱う作戦を閃く。そうかこれなら最低限勉強の形で渡航を続けられるし、考えてることを提示できる。知識と経験を結びつければ構造が見えてきて、いやでも次に知ること、今知っていることが明確になる。しめしめ。

一ヶ月の渡航を経、この人間は少しずつ自分で物を編むコツを掴んだようであった。


11月23日から30日にかけてのタイ一週目。初日から宿を失い、25日夜から5日間は風邪をひいて戦闘不能におちいった。振り返りが本質の旅であるためさほど支障はなかったが、食べ物が喉を通らず、治った後も食欲が完全に落ちて厳しい時間を過ごした。

風邪になっちまったもんは仕方がないので、暖をとり、眠って回復を待つ。2年に一度必ず訪れる大崩れ。バンコクで引き当てたのは最凶だがまあ人生こんなこともあるだろう。ふかふかのおふとんにおとなしく飲まれる。

画像奥のさつまいもは大変優秀で、まあまあくたばっていたうたがわの生命活動を最低限支えた。

さつまいもと綿布団の献身で少しずつ回復した僕は、バンコク中心部の文化を探り始める。アートカルチャーセンターに訪れたり、アニメイトに行ってみたり。
この時代を作る同じ世代は何を見ているんだ?
ネット世界の文化はどう愛されているんだ?
さあ、今こそ知る時!教えておくれよ!

都市めくバンコクに胸を躍らせた僕は、想像の範疇と想定外に出会った。

範疇とは、バンコクのアドリブ性とユーモアのこと。

バンコクのアートカルチャーセンターには、市民から募った絵画作品や若手の特集展示が溢れており、自由で開かれた風土のもと若い芽が大切にされている。

同施設の一角に設置された「sea junction」は、東南アジア諸国の真面目な本とカジュアルな民芸品が紹介されていた。
本の間にゆらりと現れるユニークなオブジェ。帽子とチェック柄を見るにマレー系の民族だろう。その前に並ぶ3羽のアヒル。きどりすぎず「やあ」と話しかけるような気さくさで文化を紹介する姿勢。僕の知っている東南アジアの楽しさに出会えた。うれしかった。


想定外とは、僕の中の日本文化に関すること。

以前から「東南アジアの人と音楽や作品を作りたい」と思っていた。東南アジアのアドリブ性高き文化や身近にある物で作り出す精神が僕に合っていたし、日本のアニメや漫画を愛する人間がいることに可能性を感じていた。
特にバンコクは東南アジア随一の大都市。メイドカフェもある。アニメ関連で繋がったネッ友がいる。日本文化がまあまあ受け入れられているから、僕と感覚が合う人間がいる可能性を一段大きく感じていた。

アジアの人間と最高に楽しい服を着て、何かを作って披露して、僕らの時代で遊ぶ。社会不安でさえ笑ってうまく扱ってやる。
そういう未来を描いていた。

でも、バンコクは多分ロリータや奇抜な服を着て闊歩するような街じゃないし、短い期間ではサブカル的な創作空間にたどり着くことは不可能だった。漫画は愛されていた。
思ったよりバンコクは垢抜けていた。
同時に、自分の文化基準がかなり日本的で、ある程度趣味にお金を費やす自由が担保された環境に養われたことを自覚する。

もしかしたら、経済と環境の前提を踏まえると僕のやりたい文化的行為は難しいのかもしれない。薄く雲がかった空が自分の無知を知らせた。

そもそも暑い地域で着飾ると汗でドロドロになる。経済水準は東南アジアでは高い方だが、どのくらいの層が趣味を研ぎ澄ます余裕を持っているだろうか。
判断するには背景を知らなすぎた上に、お金の使い方、文化、まだ知らない条件を複数認知した。
王族の存在と文化の関係性もよぎった。

ようやく僕は、注目対象を絞る必要性を強く認めたのだ。東南アジアからより狭い地域に絞って模索したい。勉強研究には分業が必要だ。


東南アジアで最も表現の自由度が高い地域は?自身に近い考え方が適用できる地域は?学ぶ言語は?僕は何をしたい?
潰してきたけど再会したい感覚が、まだ知りたいことがたくさんある。

そのために土壌を知りたいのだ。

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